名前だけは知っていても、その具体的業績は意外と知られていないビジネス界の偉人を分かりやすく解説してもらい、あわよくば我々の明日の仕事にも活かしてしまおうというお得なこの「ビジネス偉人伝」。これまで D・カーネギー、二宮尊徳、萩本欽一を取り上げましたが、今回は今でもよく耳にする漫画界の「あの人」を取り上げます。
神様から学ぶ
平山先生:今回のビジネスの偉人は、「神様」を取り上げようと思います。
千野根:神様ですか!久しぶりの講義になりますが、先生、今回大丈夫ですか?
平山先生:もちろん、怪しい宗教の勧誘ではありません(笑)。最近、若者・ネット界では、すぐに「神!」「神降臨!」と言っていますが、これでは神様の大安売りです。本当に神と呼べる人物は、ある分野の革新的創造者であり、かつその分野が発展して続けていなければなりません。日本が世界に堂々と自慢できる分野と言えば、漫画・アニメですが、その分野を創造した人物と言えば・・・。
千野根:手塚!手塚治虫ですね。
平山先生:こらこら、手塚先生と言いなさい。漫画家の先生は、我々にとって子供の頃からずっと先生です。
千野根:すいません、平山先生は漫画ファンでもありましたね(苦笑)。今回は、知っている偉人なので、少しほっとしたのですが、この連載と漫画の神様は繋がりますか?
平山先生:この連載は、漫画家志願者のためものでもなく、もちろん漫画紹介でもありません。でも、17歳でデビューし、1989年に60歳でお亡くなりになるまで、現役の漫画家であり続けた手塚先生から我々が学べることは多いのです。手塚先生は、生涯で15万枚もの原稿を描いたと言われています。それに加えて、60タイトル以上ものアニメ作品も手がけたこと、医学博士でもあることから、知る人ぞ知る異色の漫画家なのです。
千野根:すごい。「アトム」「ジャングル大帝」「リボンの騎士」「ブラックジャック」「火の鳥」など、好きな作品はたくさんありますよ。でも、実は人生についてはよく知りません。
平山先生:千野根さんの年代ではそうでしょうね。今年の2月9日で、手塚先生がお亡くなりになってから丸26年です。逆説的な言い方ですが、我々が手塚先生を神格化している間は学ぶことはできません。我々は、すごい業績を「才能」という一つの要因だけで納得してしまうからです。「天才だった」と言ってしまえば、我々とは違う別格の人になってしまう。
千野根:才能よりも見るべきところがあると。
平山先生:もちろん、漫画家としての成功は、有り余る才能があったからですが、手塚先生は才能だけで成功したわけではありません。ここ数年、手塚先生の伝記や関係者証言などがさまざまな形で出ており、徐々に生身の手塚先生が知られるようになりました。
一つのブームを作ったのは、2009年からはじまった『ブラックジャック創作秘話-手塚治虫の仕事場から』(原作宮崎克、漫画吉本浩二 全5巻,秋田書店)の成功ですね。この漫画は、仕事場における手塚先生の苦闘をリアルに描いています。また最近、手塚先生のマネジメントを続けられて、現在は手塚プロダクションの社長でもある松谷孝征さんが手塚先生と共著という形で『手塚治虫 壁を超える言葉』(かんき出版)という本を書かれました。手塚先生の生の声が聴けます。
苦闘の漫画家人生、二つの選択肢
千野根:手塚先生は、「若くして成功、その後も大家として活躍」ではなかったのですか。
平山先生:手塚先生の人生と作品を順番に紹介しましょう。しかし、話し出すと終わらないので、ここは泣く泣く簡略版です。まず、手塚先生は、「ストーリー漫画の第一人者」と言われています。手塚先生以前にも多くの漫画家が活躍しているので、手塚先生の革新性には諸説あるのですが 、映画、小説、アニメなどの先行芸術を吸収し、手塚スタイルといわれるストーリー展開や作画を作ったと言えます。「アトム」「ジャングル大帝」「リボンの騎士」は、今も読み継がれる優れた初期作品群です。基本的には子供向け漫画の伝統に位置づけられまして、後輩の漫画家にも大きな影響を与えました。
手塚氏の後輩への影響力が描かれている「まんが道」
平山先生:その後、60年代70年代以降の劇画ブームがやってきました。劇画と漫画の厳密な線引きは難しいのですが、劇画は、写実的な作画で青年向けのシリアスなストーリーという特徴を持っています。具体的には、白戸三平先生の「カムイ伝」は江戸時代の百姓一揆を取り上げていますし、さいとうたかを先生の「ゴルゴ13」は一流のスナイパーを取り上げています。
劇画ブームと言っても、従来の漫画から劇画に完全に移行するわけではなく、たとえば藤子・F・不二雄先生は「ドラえもん」、赤塚不二夫先生は「天才バカボン」などを描き続けています。
手塚先生にもそういうキャリア選択はあったと思うのですが、先生は、子供向け漫画も大人向け漫画も、という道を選びます。
手塚先生に言わせれば、1コマ漫画、4コマ漫画、ストーリー漫画、ナンセンス漫画、そして劇画タッチの漫画もすべて「漫画」なんです。たとえば、虫プロ商事で『COM』という漫画雑誌を創刊し、『火の鳥』を連載していく。
手塚先生は、ディズニー・アニメの影響を受けているので、デフォルメされたカワイイ・キャラクターを描くのが得意なのですが、大人向け漫画では作画スタイルも変えていくのです。これがどれだけ大変なことか。手塚先生もスランプの時代がありましたが、それでも描き続けます。
千野根:すでに大御所なのだから、変えなくてもよいわけですよね。
平山先生:手塚先生は、大御所というポジションに安住する人ではなかったと言えます。手塚先生は、いつも締切ギリギリだったのですが、それは完璧主義者であるだけでなく、過去の自分とは違うものを作りたかったからだと思います。そのうえ、手塚先生は、膨大なコストがかかるアニメーション作りにも取り組んで行きます。アニメ作りは、手塚先生の長年の夢なのですが、結果的には、45歳の時に自身が設立した3社のうち、現存の手塚プロダクション以外の2社が倒産します。
千野根:倒産、はじめて聞きました...手塚先生のイメージとは違います。
平山先生:でもね、倒産した年に、なんと手塚先生は「ブラックジャック」という後期の名作を描きはじめます。子供向のマンガ雑誌で初めて医者を主人公としたこの作品は、生命とは何か、医学とは何か、人間社会とは何かを問うた大人も満足させる漫画の傑作であり、なおかつ大ヒット作品であったことは大きな驚きです。
漫画の世界は、読者の人気が絶対条件の競争世界です。マンネリ化して生き延びることは可能ですが、チャレンジし続けることは困難で本当に難しい。手塚先生は、お亡くなりなった年にも、3本の連載を続けていました。手塚プロダクション社長の松谷さんの本によれば、手塚先生の最後言葉は、「頼むから、仕事をさせてくれ」だったそうです。
千野根:仕事に対する情熱がすごい。今回のテーマが見えてきましたよ。仕事人としての若々しさでしょうか。
平山先生:「アンチ・エイジング」「生涯現役」ですね。現在、定年も65歳に延長し、高齢者でも働き続けることが求められています。しかし一方で、40歳定年制という話もあります。この65歳と40歳のズレは大きい。つまり、生活のためには65歳、しかし求められる能力は40歳で賞味期限、という厳しさです。漫画・アニメという若く瑞々しい才能が重用される世界では、20代が重宝されます。その中で、60歳まで現役に拘った手塚先生の仕事術に学ぶことは多い。 まずは、大御所にならないこと!
千野根:私の場合は職場の偉そうな「小御所」ですね(笑)。そうなると今回は、中高年の方にも読んでほしいですね。
今の自分を壊し続ける勇気
平山先生:手塚先生は、アシスタントの若者からも常に新しい情報を入手していました。若者たちの中でビートルズが流行っていれば、早速聴いています。手塚先生の年代では、ビートルズに関心を持つ方は珍しいでしょう。
千野根:謙虚な方なのですね。
平山先生:謙虚とは、ぜんぜん違いますよ!謙虚という言葉には、結果的には上下関係が埋め込まれているのです。むしろ積極的に、若者から学ぶのです。成功者は無意識にも自分の過去に囚われます。しかし、新しい枠組みやセンスを頭の中に入れるためには、「今の自分を壊す勇気」が欠かせないのです。スクラップ・アンド・ビルドと言いますが、ビルドよりもスクラップの方が難しい。先ほど紹介した松谷さんの本では、こんなエピソードが挙げられています。
「私が、「子供用の石けんの名前がおもしろい」という話をすると、「そういうのを教えてください。松谷氏の子どもは、今どんなおもちゃで遊ぶんですか」と聞かれたことがありました(97頁)
千野根:好奇心いっぱいですね。
平山先生:「変なプライド」がないんです。しかし、その一方で手塚先生はライバル漫画家に対するファイティング・スピリットもあります。手塚先生は、いつも人気一番も狙っているんです。要するに、仕事において生涯現役でいる秘訣は、少なくとも心の芯は「青年」であり続けることなのかもしれませんね。
千野根:私、職場では、既にオジサン枠に入れられています。焦ります。
平山先生:...。それはそうと、「変なプライド」とライバル漫画に対するファイティング・スピリットは違います。嫉妬だけならば、相手が失敗すれば問題解消です。相手から吸収し、勝負してやろうという意気込みなのでしょうね。ちなみに、根本のところで「自分の可能性に対する信頼」があれば、変なプライドはなくなります。
「すごい感性だ」という衝撃を感じたときに、わからないものとして無視するか、積極的に吸収するかは、自分の可能性、もっと言えば「漫画家の表現力に対する可能性への根源的な信頼」です。 つまり、以下のような関係が成り立つわけですね。
「変なプライド=嫉妬」 ≠ 「自分の可能性への信頼=仕事に対する信頼」
千野根:自分ではなく、仕事ですか。
平山先生:手塚先生にとっては、同じことなのです。自分に対する信頼と漫画に対する信頼は不可分。こんな幸福な仕事人生はありません。自分の仕事を愛せば、自分を愛することになる。こんな言い方には、違和感がありますか。
千野根:若者には伝わりにくいかも。昭和な価値観というような。
平山先生:でもね。なんで、手塚治虫という人生に関心を持つ人が増えたのでしょう。アニメで大借金、50歳になっても徹夜の連続、締切間近にタクシーの中でも仕事、そんな無茶苦茶な仕事量にもかかわらず、世界との交流も...。手塚先生が60才という若い年齢でお亡くなりなったのは、漫画家という激務も一つの原因だったのかもしれない。
千野根:時代のワークライフバランスの流れと逆行するけど、気になる存在。
平山先生:手塚先生は自らの意思だけで仕事に燃えることができる人「自燃型の人」なのです。つまり、内発的な動機付けだけで動いている究極の偉人です。激しい仕事を支えているのは、漫画を描くことが好き、子供たちにメッセージを伝えたいという仕事選びの初志であり、それが消えない炎になっているのですね。残念ながら多くの人は、内発型のエンジンを積んでいません。だから、お金とか、労働条件とか、外発的な動機で動いています。
千野根:長続きしませんけどね。
平山先生:そうなんですよ。やる気になっても、すぐに無気力になったり。でも安心してください、我々には「手塚治虫」がいます。手塚先生と一緒に働いた人たちは、皆さん、その仕事ぶりに苦しめられますが、手塚先生の思い出を楽しく語れるのはなぜでしょうか。
自燃の人と出会ってしまうと、我々も燃えるんです。火を灯されると、一生その火を頼りに働けるかもしれない。「漫画の神様」の本当の姿を知れば知るほど、別のすごさが際立ってきます。人間手塚治虫のリアルな人生とは、脱神話化の後の「新しい神話」なのです。 皆さん、手塚先生と出会ってください。
【参考文献】
手塚先生の自伝としては、以下の本があります。
・手塚治虫(1997)『ぼくのマンガ人生』(岩波新書) ・手塚治虫(2000)『ぼくはマンガ家』(角川文庫) この他、手塚先生のメッセージを知るには、以下の本がいいでしょう。
・手塚治虫(1996)『ガラスの地球を超え―二十一世紀の君たちへ』 (知恵の森文庫) 手塚先生の作品群を知るには以下の本。
・手塚プロダクション・秋田書店 編集(1998)『手塚治虫全史―その素顔と業績』(秋田書店) 手塚先生の評伝はたくさんありますが、以下の本を挙げておきます。・竹内オサム(2008)『手塚治虫アーチストになるな』(ミネルバ書房)
(2015年1月7日のサイボウズ式 「自燃の人、手塚治虫から学ぶ「アンチ・エイジング術」」 より転載しました。)