膵臓がんと告知されたお母さんの日記(第18話:「36歳の終活」)

優しい人にたくさん出会いました。 一生ぶん、出会いました。

不定期でブログを投稿させていただきます、西口洋平です。妻と小学生のこどもを持つ、一般的な38歳男性です。「ステージ4のがん」であることを除いては。

がんだと宣告されたときに、おぼえた孤独感。仲間がいない。家族のこと、仕事のこと、お金のこと......相談できる相手がいない。同じ境遇の人が周りにいない。ほんとにいなかった。

それなら自分で仲間を募るサービスをつくろうと、ネット上のピア(仲間)サポートサービス「キャンサーペアレンツ~こどもをもつがん患者でつながろう~」を、2016年4月に立ち上げました。

こどももいて、地元には親もいる。仕事やお金...... 心配は尽きません。 そんな僕みたいな働き盛り世代で、がんと闘う人たちをサポートしたい。そんな思いから、抗がん剤による治療、副作用と付き合いながら、仕事と並行して、地道に活動を続けています。

キャンサーペアレンツのFacebookページで活動情報をアップしていきますので、「いいね!」をお願いします。

西口洋平

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膵臓がんのナオさん。

2015年6月にがん告知を受け、手術や抗がん剤治療を経験。2016年に再発し、抗がん剤、放射線など様々な治療を行うものの、現在は無治療で生活。小学校一年生の息子さんと旦那さんの三人暮らし。

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ナオさんがキャンサーペアレンツに登録したのは、2016年9月。

発信するのは苦手とのことで、キャンサーペアレンツに登録するまではブログや日記などを書いたこともなく。そんなナオさんの日記を、ご本人の了承のもと、これから一つずつご紹介をさせていただきます。

※キャンサーペアレンツは、子育て世代・就労世代のがん患者のコミュニティであり、様々な社会的な接点の中で生きています。こども、家族、仕事、地域、普段の生活、将来への不安。がん患者への偏見や誤解など、まだまだ「がんと生きる」ということに対する理解が乏しいというのが実態です。キャンサーペアレンツでは、ここに集う方々の意見を『声』として広く世の中に発信し、がんに対する理解を広げ、がんになっても生きていきやすい社会を実現すべく活動を行っています。

■投稿日

2017年6月28日(水)

■タイトル

36歳の終活

■本文

前回の日記に、たくさんの子育てアドバイス、ありがとうございました(>_<)

自分だけで考えていたら思いつかなかった原因や理由に、目から鱗。

大変勉強になりました。

キャンサーペアレンツで日記を書かせてもらう(相談させてもらう?)と、本当にためになります。

息子とはその後、またプチ喧嘩しながらも、がんの話を根気よく続けています。

正しく理解してもらえるよう、また、息子の思いも聞いてあげられるよう、頑張っていきたいと思います。

***

最近の私はと言いますと。

痛い......。とにかく痛い時間が長くなってきました。

背中。お腹。腰。あらゆるところが痛い。立てない。座れない。

疼痛コントロールがうまくいっていません。

レスキューがバシッと効かないんですよね。

今週から別の病院で神経ブロック注射を始めることになりました。

謎の嘔吐や下痢もあり、脳CTも撮ることになりました。

少しずつ、色んなところに不具合が起きていて怖いです。

腫瘍自体はあまり大きくなっていないのになぁ......。

単なる体調不良であることを祈る!

そして、今後の準備。いわゆる終活です。

とにかく断捨離。

今までお世話になった方々への手紙。

息子や夫へ、思いを書いたノートをつけたり。

息子が好きな料理のレシピをファイルにまとめたり。

息子の動画や写真をDVDに焼いておいたり。

連絡事項や暗証番号を書いておいたり。

ぎょっとされるかもしれませんが、葬儀社も自分で決めてきました。

ホスピス見学。

訪問医の先生方と面談。

セカンドオピニオン的な側面もあり、これは非常に実りあるものでした。

私の通う病院には緩和ケア病棟がありませんので、いわゆる緩和ケアは自宅もしくはホスピスになります。

私は最初、自宅でなるべく過ごすことを希望しましたが、少しそのことに違和感もありました。

やっぱり訪問医の先生と面談していく中で感じたことは、在宅のプロであることは間違い無く、いい先生なのかもしれないけど、私が看取ってほしいのは、知り合ってわずかな期間しか経っていない先生ではないなぁと。

二年間共に戦ってくれた主治医や、元研修医の先生や、元主治医の先生、放射線科の先生、ケモ室や外来の看護師さんたちがたくさんいる今の病院で最期を迎えられたらいいな、と思ったのです。

もちろん、そのときになってみないと自宅か病院かはわかりませんし(痛みを取るなどの緩和ケアはできるだけ自宅で行います)、小林麻央さんのように自宅で家族だけでゆっくりそのときが迎えられたら、それ以上のことはないように思います。

でもおそらく最期は、病院に行かなければいけない状況の方が可能性としては高いはず。

緩和ケア病棟がないのは重々承知の上でダメ元で、主治医に自分の気持ちを話してみることにしました。

「私、先生に看取ってほしいと思ってるんです。だめですか?」

診察のとき(キャンサーペアレンツで知り合った仲間の教えもあり)、どストレートに聞いてみると、

「緩和ケア病棟がないから、絶対にできるとは言い切れないけど。でも、いいよ」

「一番ナオさんのこと解ってるはずだから、そうできたらいいなと思う」と。

優しい言葉にじーん。。先生、ありがとう〜。。

「しんどくなったら受け入れするから、ホスピス行かないでここにすぐおいで」

と言ってくださいました。

「そんなん言ってると、最期看取るの元研修医の先生だったりするんだよなぁ」と、ブラックな冗談もすぱーんと飛ばしてましたが。笑

***

私は本当に、優しい人に囲まれた闘病生活を送ることができました。

そこだけはもう、めっちゃラッキーやったなーって思います。

がんになったことは、めちゃくちゃ悔しいです。

でもがんになったことで出会えた人たちは、みんな素晴らしい方ばかりで。

今思い出しても、ぐっとくることがたくさんありました。

優しい人にたくさん出会いました。

一生ぶん、出会いました。

これは私が『若いのにかわいそう』だから出会えたのかもしれません。

私は、それでよかったのかもしれない。

***

主治医の診察は、私が治療をやめてからすごくリラックスしたものになりました。

今までも割とジョーク飛ばす系の診察ではあったけれども、やっぱり命のやりとりというか、真剣にしてくださってたんやなぁと改めて感じます。

主治医も肩の荷が下りたのかもしれないし、もっと大きな荷が積まれたのかもしれないし、私にはどうして主治医が『リラックスした』のか理由はよくわからないですけど、お医者さんという仕事の大変さを今、心から思います。

今、主治医には「抗がん剤をやめた方がいい」と言ってくれたこと、そのことに本当に感謝しかないです。

アカの他人が医者と患者として出会って、考え方がうまくいくこともあれば、いかないこともあって。

でも私はこの先生が主治医で本当によかったし、この先の自分のすべてを先生にお任せしようと思えました。

そう思える先生に出会えたことは幸せなことだし、自分がこの二年間でやってきた最大の終活だったのかな?とも、思います。

36歳でせっせと終活をする自分が虚しくないといえば嘘になるけど。

***

がんになるのは、怖いです。

死ぬのはもっと、怖いです。

でもいつかは誰でも必ず死んじゃいます。

どこで、誰に囲まれ、どんな先生に看取られたいか。

実際そうなるかは別として、自分に確固たるものがあったこと。

それを与え続けてくださった周りの人々に、今はただ本当に感謝したいな、と思います。

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(第19話へつづく)

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