グッバイ二日酔い、ハロー安眠。ノンアル生活で私が手に入れたもの

私はケリー。アルコール依存症じゃないけど、お酒は飲まない。
禁酒前の筆者ケリー・ダガーさん
PHOTO COURTESY OF KELLY DOUGHER
禁酒前の筆者ケリー・ダガーさん

こんにちは、私はケリー。アルコール依存症じゃないけど、お酒は飲まない。

心変わりするのが得意で、以前は、ニューヨーク以外には住みたくない、一生結婚しないし子どもも持たないし、タトゥーなんか絶対しないと思っていた。

それが今は、シアトルに住み、タトゥーも6つほどある。そして未来の子どもの名前を想像しながら結婚式の計画を立てている。

でも、これまでで最も重要な心変わりは、とても困難な調整が必要だった。お酒なしの人生なんて考えられなかったけど、31歳の今や、ワインではなくチャイを片手に原稿を書いている。

私の人生におけるアルコールの意味って?

この1年間、ゆっくりでもはっきりと、私の人生におけるアルコールの意味についての考えを改め、最終的にお酒を飲むことを辞めた。

これは、私にとっても周りの人たちにとっても予想外の展開だった。だって、私には特に飲酒問題など無かったから。

アルコール依存症の人だけがお酒を断つ必要があるとの私の思い込みが、自分とお酒の関係を考えることを妨げていた。だから、多くの人たち同様、10年以上もお付き合い程度にアルコールを飲み続けた。

大学時代、年上の彼氏が切らすことなく運んできてくれた強いカクテルに、疑いを持つことはなかった。大切な人とのひどい喧嘩はいつも飲酒後に勃発していたことにも、疑問を抱くことは一度もなかった。

体調は、未診断の多嚢胞性卵巣症候群、慢性疲労症候群やうつ病に影響されていると思っていて、友人や家族、メディアで見るようなごく普通の私の飲酒習慣が原因ではないと考えていた。

「責任ある飲酒を」とよく言われるけれど、私は他の人と同様に、適度な飲酒は無害だろうと安心して捉えていた。

また、多くの人と同じく、新型コロナウイルスのパンデミック中、私の飲酒量は増加した。それまでは、ひどく疲れた日のたまの楽しみだった1〜2杯の赤ワインが、狭く退屈でストレスフルな日々の唯一の楽しみになった。

そして、3つの出来事が同時に起こった。アパートを引っ越し、1カ月の禁酒キャンペーン「Dry January」に参加することを決意し、友人と一緒にホリー・ウィテカー氏の『Quit Like a Woman』を読み、議論した。

これらのうち1つだけでも、私の日常に変化を与えるのに十分だったけど、すべてが合わさったことで、アルコールから解放された。

特にウィテカー氏の本は、1カ月の禁酒期間を乗り越える助けになっただけでなく、飲みたい欲求を取り除いてくれた。

彼女の本の中には、私の世界の見方を変えてくれた文章がたくさんあったが、以下はそのうちの一つだ。

「アルコールが個人的にも全体的にも有害だということに目を逸らすのを辞めれば、かつて『タバコ』が経験したような瞬間が訪れると思います。世論が逆転し、主流の文化から拒否され、ひと昔前にやっていたこと、として見られる時が来るでしょう。

いつか孫たちは、私たちがいろんな場面でエタノールを飲んでいた時代があったことにショックを受けるのではないでしょうか。私が70年代の家族パーティーで叔母や叔父が室内で喫煙している写真を見ていつも驚くのと同じように...」

ウィテカー氏の本を読んでから、アルコールのネガティブ面だけでなく、彼女が予言した社会の拒否反応についても考えるようになった。

ウィテカー氏などの禁酒作家の著書のおかげか、それともセレブたちがアルコールを断つと公言するトレンドからか、はたまた乳がんホルモンの乱れメンタルヘルスの問題におけるアルコールの役割について無視し難い関係性が明らかになってきているからかーー。多くの女性がソバーキュリアスに転向し始めている。

飲酒を止めることが受け入れられるようになってきただけでなく、フェミニズムを表現する行為とみなされるようになり、文化の変化が起きている。

結局のところ、お酒を飲むとき、私たちは自分自身を傷つける可能性があるだけでなく、女性をターゲットにし、依存性の高い物質から利益を得る男性中心の産業を支えていることになるのだ。

社交の場でお酒を飲まないというのはとても勇気のいる選択だ(イメージ画像)
skynesher via Getty Images
社交の場でお酒を飲まないというのはとても勇気のいる選択だ(イメージ画像)

お酒を断って、手に入れたもの

だからといって、私が一晩で飲酒を断ったわけではない。結婚前の友達を祝うパーティーでワインを飲むこともあれば、バーでダイエットコーラを注文することもあった。数カ月間、「適度に」お酒を嗜んだ。私の飲酒習慣はコントロール下にあり、「健康的」と呼ぶ人さえいるだろう。

それなのに、夏のピクニックで友人とシャンパンを飲んだ翌朝、私は最悪の気分で目が覚めた。不安が喉を締めつけ、憂鬱な気持ちが胃にのしかかった。結局、愛犬と遊ぶことも小説の執筆に取り組むこともできず、ベッドにもぐり込んだ。

暗い寝室で涙を浮かべた自分の顔を写真に収めながら、こんなことをしている自分を少し笑った。そして、断酒を誓った。

それから108日が経ち、ずっと続いていた不安や疲労感はすっかり薄れていった。安眠できるようになり、興味のあることを追求する意欲が湧いてきた。そして何よりも、飲酒によって無駄な時間を過ごすことがなくなり、多くの時間を手に入れた。

もしこれを読んで、「良かったね。でも私向きじゃなさそう」と思っているなら、それはそれで良い。アルコールがあなたの人生に悪影響を及ぼしていないと感じるなら、それは素晴らしいことだ。

アルコールを崇拝する文化の中で、お酒を飲まないというのはとても難しい選択で、やるなら好奇心とやる気と勇気を振り絞り、自分で決意する必要がある。

今でもときどき、自分の選択に疑問を持つことがある。この夏の自分の結婚式で本当にシャンパンを飲まない気でいるの?って。特に飲酒の問題を抱えておらず、いつ適度な飲酒をしても問題ないであろう人間にとって、あまりにも極端に思える。

でも、そこが問題なのだ。私は「問題ない」バージョンの自分で人生を過ごしたくない。自分の感覚や経験をもう鈍らせたくない。

7月にバージンロードを歩くとき、緊張をほぐすためにまずシャンパンを飲むことはない。その代わりに、緊張も喜びも驚きも、すべてを感じることを自分へのギフトにする。そしてその一瞬一瞬を、後でありのままに思い出すことができるだろう。

ハフポストUS版の記事を翻訳・編集しました。