5歳の時から18年間続けたサッカーを、私がやめた話

私には天賦の才も無ければ、努力の才能もない。体格も走力も頭脳も、全てが欠けていた。でも、楽しかった。
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「歴史には価値のない 化石の一つになるのさ」

こう歌ったのはThe Pillowsだった。

私は去年、サッカー選手を引退した。
何の価値もなく、だれの記憶にもほとんど残らず。
地域リーグのしがない補欠要員の人生が幕を閉じただけのことである。

物心ついたときにはサッカーを始めていた。幼稚園の頃だったか。
5歳の時には始めていたから、年数にすれば18年間。
歩んできた人生の3/4はプレーヤーとして過ごしていたわけだ。

しかし所属していたチームの正規メンバー、いわゆる
・一軍
・トップチーム
として、スタメンになったのは中学生の頃が最後。

以降8年間は、控え選手以下の立場としての生活に過ぎない。
プレーヤーと名乗るのもおこがましい、ただただ下手の横好き。

そんな自分でも社会人サッカーという、働きながらプロを目指す生活に辿り着けたのは幸運というほかなく、恵まれた環境を謳歌していた。
本気でプロを目指し、3年間プレーをさせていただいた。
出場機会はほぼ無く、出場できてもその試合はほぼ勝敗が決まっている。
いわば戦力としては何の役にも立たない置物に過ぎない。

こういった経歴を見た方の大半は私に問う。

「なんのためにサッカーやってるの?」

チームメイト、スタッフに数多く言われた言葉である。

無論そこにはさっさとやめちまえという揶揄があったことは、いくら鈍感で人の気持ちが分からず、サイコパス疑惑をかけられていた私でも感じ取れた。
何のためと言えば「楽しいから」としか答えられない。
そう答えると再び問われる。

「試合に全く出られないのに?」

プレーヤーとして活躍してきた彼らは
・試合に出て
・勝ち
・活躍する
という結果が楽しく、そこに価値を見出していた。

私には無縁の言葉ばかりだ。
高校三年間などは一軍の監督に名前を呼ばれたこともない。
同級生にJリーガーが数人いるが友達だとも思えない。
彼らと一緒にプレーしたこともない。
専門学校でも社会人でも、名前を呼ばれるのは怒られるときのみ。
中学卒業以降、選手として人に褒められた記憶は皆無に等しい。
傍から見れば、そんな底辺を歩み、それでもプレーを続けた私の存在が、彼らには異質に映っていたのかもしれない。

私はいつも答える言葉が決まっていた。

「サッカーすることが楽しいから」

怒られようが試合に出れなかろうが、練習でしかプレーできなかろうが、
プレーすること自体に私は価値を見出していた。
少しずつ上手くなっていく過程に夢中になった。

チームメイトは全員が格上の選手であり、比較するのもおこがましかった。だからそこに無理やりにでも価値と目的を見出すしかなかったのだ。働きながらサッカーを続けることは、想像以上に過酷だった。

夕方までフルタイムで働き、夜は練習へ向かう。
満足な睡眠時間も取れず、丸一日の休みはシーズン中はほぼ無い。
決して高くない給与から移動のための車のローンを払い、サッカー用具費を捻出し、食費は削られていく。
それでも。
確かに楽しかったのだ。

2018年シーズンを最後に、契約は終了となった。
それとともに、現役をやめることは決めていた。

これ以上の犠牲をサッカーに払うことは私には不可能だった。
私には、サッカー選手に必要なものが何もない。
天賦の才も無ければ、努力の才能もない。
体格も走力も頭脳も、全てが欠けていた。からっぽだった。
自分のしていた努力は所詮何も成し遂げられない無為な行為に過ぎず。
私は何も残せないまま、消えていくのみである。

それでも、何度も言う。

私は、楽しかった。

自分の為に続けた現役生活は、幸せだった。

そう言い切れるし、後悔はない。

努力の才能が無くとも、やれるだけのことはやった。
元から叶わない夢に縋りつき、ロスタイムをもらっていた。
終了を告げる笛は無情に、冷酷に鳴り響く。
それは終わりの合図であり、次へのスタートでもある。

記録にも記憶にも残らない、チームには無価値な選手生活。
それを幸せだったと言い切れること。
私にとっては貴重な、何物にも代えがたい時間だった。

アマチュアリーグは、そんな諦めの悪いサッカー好きが人生を削って挑む舞台です。
賞賛も歓声も少なく、それでも戦い続けることを選んだ人達。
少しでも興味がわいた方は、地元のチームを探してみて欲しい。
そして心の片隅で、彼らを応援してあげてください。

もっとアマチュアリーグにスポットライトが当たることを願います。

それはきっと、全てのサッカーに関わる人間を幸せにするんだと思います。
アマチュアリーグの現実を見てきたからこそ、声を大にして言いたい。
そこにはドラマが、人生が詰まってます。
一度、ぜひ足を運んでみてください。
新しいサッカーの一面が見られることを約束します。

本記事は、2019年5月23日のnote掲載記事

より転載しました。