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2019年07月26日 08時24分 JST | 更新 2019年07月26日 08時24分 JST

「そばかす」だらけの顔が大嫌いだった9歳の私に伝えたい 「早く大人になりなよ、すっごい楽しいから」

真っ白で、濁りのない肌をした同じクラスの女の子が羨ましかった。あの頃は。

OlesyaPeredery via Getty Images

私には4歳の息子がいる。毎朝、保育園へ送りに行くのが日課だ。その日、人に会う予定が入っていなければ、メイクもせずすっぴんで送りに行く。

笑顔で、先生方に挨拶する。

大きい声で、息子の友だちに「おはよう~! 今日も元気だね~!」と声をかける。

そんな風に、堂々と笑ってすっぴんで人に会える……今は。

真っ白で、濁りのない肌をした同じクラスの女の子が羨ましかった。

大学生になるまで、顔じゅうにそばかすが散らかった自分の顔が嫌いだった。

外で遊ぶのが大好きな子どもだった。木登りや(光GENJIの影響で)当時流行していたローラースケートが大好き。やんちゃで負けず嫌いで、男の子に混ざって走り回っては、怪我をして帰ってくる子どもだった。

小学校3年生になった頃。少しずつ、顔にそばかすができ始めた。顔を洗っても、何をしてもこびりついてはがれない。外で遊べば遊ぶほど、そばかすは増えた。両親からは「ビタミンCが足りないんだ」と、やたらみかんを食べるようにすすめられた。……当然、消えるわけがない。

真っ白で、濁りのない肌をした同じクラスの女の子たちがうらやましかった。彼女たちは無邪気に「SMAPが好き~」「福山雅治が好き~」と言う……なぜか私は、「どの面下げて」と思っていた(小学生なので、その語彙は知らなかったと思うけれど)。「こんな顔をして、あんなかっこいいアイドルを好きだなんて言えない」。そう思っていた。 

ある日突然、クラスの男子たちからこんな風に言われた。

「おい! そばこ!」

「何だよ、その顔じゅうの茶色いゴミは!」

こういうことって、いきなり始まる。一瞬で拡散し、しつこく続いて止まない。ゴミ、どころかもっとひどいこと(文字で残せないようなこと)だって、言われた。

小学生男子は、つくづく残酷だ。オブラートに包むということを知らないし、嫌がれば嫌がるほどエスカレートする。机の周りを取り囲まれて、休み時間じゅう言われたこともあったような気がする(……面倒な記憶すぎて、忘れた)。

私も勝ち気だったから、言われるたび

「うるさい!」「やめて!」「もう言わないで!」

と、大きな声で言い返した。ぶちん!とキレてしまって、教室で机を突き飛ばしたこともある。けれど、抵抗すればするほど、加速するんですよね。こういうのって。

ある時、廊下ででかい声で「おい、そばこ!」と男子に呼び止められ、そのまましつこくからかわれたことがあった。あまりに腹が立ったので、「いい加減にしろ!」と体格のいいその男子を背負い投げし、リノリウムの床に叩きつけてしまった。

……がんばったなぁ(苦笑)。(もちろん、暴力で抵抗することが良いことだとは思っていません……そこは小学生だったので許して欲しい)

Carlina Teteris via Getty Images
大学のイメージ写真

ぶっ飛んだ同級生に囲まれ、私の「そばかす観」に変化…。

中学校へ入って、バスケ部に入るとさらにそばかすは増えた。炎天下で何時間も部活に明け暮れるのだから、当然だ。だけど、小学校時代の私を知る人はたった1人しかいない学校だったので、そばかすをからかう人など誰もいなかった。

それでも周りのかわいい子たちや、シミもくもりもない肌をしている友だちを見れば、できるだけ隠れたいと思っていた。高校の卒業アルバムには、カメラが恥ずかしくて正面を向けず、うまく笑えていない私が写っている。

そんな気持ちが吹き飛んだのは、大学生のときだ。2年の時に進級した専攻は「演劇映像専修」。学内でもぶっ飛んだ人たちの集まりだった。

キャンパスには和服を着て和傘をさして歩いている人もいれば、テンガロンハットを被って授業に出ている人もいた。授業では1時限目からテレビドラマや映画を見るし、生協にはフランス書院文庫の官能小説が「教授の指定教科書」として並んでいた。

世の中の常識や、あるべき姿なんてどうでもいい。世の中からずれまくっていたって、好きなように生きたらどう? 自分は何を信じ、何を愛するのか。それこそが正義。そこでは、私のそばかすなんて大したことではなかった。

もちろん、演劇や映像を主専攻とする学科なので、俳優を志す友人たちはとにかく美しかった。中には、周囲から「美人」と言われることをコンプレックスに思っている友人さえいた。(私は彼女のざっくばらんな性格が大好きで、その後長くいろんなことを語り合う友だちになった)。当たり前だけど、彼らはそばかすなんて一切バカにしなかった。

ある時、同じ専攻で、「琵琶」という和楽器のプロを志していた友人に「小学生の時、そばこって呼ばれていたことがある」と、打ち明けたことがある。

彼女はしれっと、サラッとこう言った。

「そばこ? なにそれ、かわいいじゃん! え、そばかす気にしてるの? かわいいよ?」

衝撃だった。

大学に入って「そばかす」をあまり気にしなくなっていた私だったが、まさか「かわいい」というポジティブな評価をされることがあるとは……。

私にとって恥ずかしくて大嫌いなものでも、違う場所から見れば、かわいいと思える。そばかすって、かわいいんだ……!? あんなに嫌だと思っていた、嘲笑のあだ名も見方を変えればかわいく聞こえるんだ……!?

大人になればなるほど、人生は楽しい。

その後、私はチャレンジすることにした。あえて「そばこ」として生きようとしてみたのだ。大学3年の時に参加したインターンシップで知り合った友だちグループに、「そばかすがチャームポイントだから、私のこと、そばこって呼んで!」と言ってみた。

当時運営していたブログのハンドルネームを「そばこ」にしてみたり、メアドに「そばこ」って入れてみたりした。嫌だったものを、捉え直して正面から凝視して「本当にかわいく思えるか」チャレンジしてみようと思ったんだと思う……ねぇ、そこまでしなくて、いいんじゃないの(笑)?

そんな風に自虐的なことをしている自分に、ふと苦しくなったり、バカバカしくなることもあったけれど、今はかわいらしい呼び名だと思えるようになった。当時の友だちは未だに、私のことを「そばこ!」「そばこちゃん」って呼ぶけれど、にこやかに楽しく「はーい!」って返事ができる。

大人になるにつれ、そばかすはどんどん気にならなくなっていった。大人にはメイクという飛び道具がある。コンシーラーやファンデーションをすれば隠せるし、美白したりビタミンCたっぷりの美容液を使えば(ドラッグストアで1000円ちょっとで買えます)ある程度予防もできる。なかなか勇気が出ずにトライできていないけれど、病院でレーザーなどをさっぱりなくしてしまうことだってできる。

すてきな女優さんにもそばかすのある方はいる。深津絵里さんが出演されていた映画『悪人』の場面写真やポスターにどれだけ勇気づけられたことか。そばかすを隠さず堂々と出演されていて、凛として美しくかわいらしい。こういう生き方もできるんだと思った。

時事通信社
映画「悪人」完成報告会見

子どもの時の私に教えてあげたい。「ふっふっふ、大丈夫。大人になったら、そばかすなんて誰もバカにしないよ。早く大人になりなよ! すっごい楽しいから、こっちおいで!」って。

いつも思う。大人になればなるほど、人生は楽しい。狭かった世界の扉は少しずつ開かれ、目線が上がる。世の中を生きていける胆力が備われば、いくらでも自由になれる。「なーんだ、大人って楽しいじゃん」。そう思うのだ。

今でも「そばかすを好きか?」と言われると、さすがに「好き」とは言えない。でも、「私を形づくる大切な一部です」とは言えるようになった。「自分の顔が好きか?」と言われると、よくわからないけれど、「笑顔はけっこう好きかもしれないです」と言えるようになった。

少なくとも毎朝、息子の保育園のママ友と「おはよう〜」と言い合う時、私はそばかすのことをほぼ忘れている。

もし大事な人に「あなたのそばかすが嫌い」と言われたら、「そっかー、じゃ、しょうがないですね」という感じ。だって、変えられないもん。

コンプレックスを克服するということは、悲しかったあの時の自分と握手することだ。「そばかす」に関しては、子どもの頃の自分と手をつないで、にこやかに歩くことができている。

著者提供
息子と散歩

コンプレックスとの向き合い方は人それぞれ。
乗り越えようとする人。
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