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2020年07月20日 10時51分 JST

ブルーの洋館、旧尾崎行雄邸が解体の危機に 東京・世田谷で保存運動、交渉期限迫る

地元住民による保存運動が行われている。

旧尾崎行雄邸保存プロジェクト提供
東京・世田谷の旧尾崎行雄邸(保存プロジェクト提供)

解体の危機に瀕する東京・世田谷区のブルーの洋館、旧尾崎行雄邸を後世に残そうと、地元住民らによる保存運動が行われている。「憲政の神様」と呼ばれた元住人の尾崎行雄(1858〜1954)は、国会(帝国議会)開設から25期連続で衆院議員、第2代東京市長も兼務した。日米親善のためアメリカ・ワシントンD.C.に桜を送った逸話でも知られ、アメリカの外交関係者からも保存を呼びかける声が上がっている。

アジア開発銀行の元米国大使、ロバート・オアー氏はハフポストの取材に「尾崎は日本の歴史にとって大切な人物、ぜひ残してほしい」と話している。

尾崎行雄とはどんな人物?

江戸末期、安政5年(1858年)生まれの尾崎行雄は、激動の時代の日本を政治家として率いた人物。犬養毅と並び、日本に立憲主義・民主主義を確立させた立役者だ。「立憲主義の神」「議会政治の父」などとも称される。

第一次世界大戦後のヨーロッパ視察で、破壊された街を見た尾崎は、国家主義を非難し、国際主義を世界の繁栄の第一の道にしなければならないと説いた。それ以来、普通選挙の実施と非戦運動に身を投じることになった。

満州事変後、太平洋戦争開戦前夜の時期には、暗殺を覚悟した上で、議会で軍部の行動を批判する命がけの演説を行っている。そうした姿勢が、特にアメリカで高く評価され、戦後は91歳ながら渡米、対米関係の改善と日本の民主化に尽力した。

オアー元大使は現在、日本在住。ボーイングジャパン社長などの経歴を持ち、2008年大統領選ではオバマ氏陣営でアジア戦略アドバイザーを務めた。日本に造詣が深く、尾崎の娘とも親交があった人物だ。彼もこの保存運動を支援したいと名乗りをあげた一人だ。

「私は専門家ではないが、尾崎は軍国主義に反対した功績でよく知られた人。とても勇気がある人物で、ずっと前から印象的な人だった。日本は、その歴史を伝える建物を壊すのは避けるべきだ」と語る。

Zoom画面より撮影
オアー・元アジア開発銀行米国大使

 洋館はどんな建物?

この洋館は尾崎が東京市長だった1907年(明治40年)ごろ、イギリス出身の妻のために建てられた木造2階建て。鮮やかな青色が特徴的だ。当初は港区にあったが、譲り受けた英文学者が一度解体し、1933年(昭和8年)に現在の場所に移築したという。

保存プロジェクトによると、解体が持ち上がったのは、この英文学者の親族が死去したため。現在の所有権は都内の住宅メーカーにあるという。7月に解体工事が始まる予定だったが、その前に保存プロジェクトが陳情書を提出し、ネット上でも3000人以上の署名が集まった。これを受けて、現在は解体作業が一時中断されている。

保存プロジェクトの発起人は『天才柳沢教授の生活』などの作品で知られる漫画家の山下和美さんだ。

数奇屋を建て住むまでの経験を漫画にした『数寄です!』も描いている山下さんは、建物そのものの価値からも残すべきだと訴えている。

山下さんは「過去に気がついたら無くなってしまった美しい建物が沢山ありました。後に残ったのは無味乾燥な三階建狭小住宅。今回は何とかしてそれを止めたかった。たとえ尾崎行雄の家でなくても残したい可愛らしい洋館です」とコメントを寄せた。

 建物をめぐっては、小池百合子東京都知事らも記者会見で「運動をサポートしたい」と表明。世田谷区でも調査などが行われているが、保存プロジェクトの担当者は「区が買い取ったり指定文化財にするなどの解決策はハードルが高く、余談を許さない状況」と危機感を表明する。

住宅メーカー側との交渉期限は7月いっぱいに迫っている。

保存プロジェクトでは現在、出資者を募って資金調達を進めながら、敷地ごとの買い取り、もしくは移築して保存するための交渉を続けている。敷地購入が実現できれば、洋館を残しつつ地域に開かれた公共的な建築物として活用したい意向だ。