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2020年07月28日 11時40分 JST | 更新 2020年07月31日 10時53分 JST

21歳、精神病院に入院したら、待ち受けていたもの。それでも、私はこの人生を生きている

精神疾患にならなければもう少しましな人生だったかもしれない。苦難な人生だった。でもこの経験は私にしか語れない。そして、それを人に知ってもらえるのは幸いだ。

John Encarnado / EyeEm via Getty Images
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今から約20年前、私は初めて精神病院に入院した。会社の仕事の過酷さと、貧困が原因で大量服薬をして自殺を図ったのだが、救急搬送されて一命を取り留めた。ICUで三日間ほど意識不明の状態が続いたが意識を取り戻した。私はおむつをしていて、腕からは点滴の管が伸び、口には呼吸器がつけられていた。頭の近くに何か大きな機械があり、数字がチカチカと点滅している。生きているという喜びよりも、死ねなかった方が辛かった。この先も生き続けなければいけないという事実から目を背けたかった。

 

精神病院では“糸ようじ”が危険物

ICUを退院することが決まった後、私は精神病院に入院することになった。母が入院の準備をしてくれて、大きな荷物と一緒にタクシーに乗り込む。東京だというのに緑ばかりが目についた。後から知ったことだが、精神病院を建てる時は住民から反対運動が起こることが多いので、都心や駅から離れた少し不便なところに建設されることが多いそうだ。この病院もそうだったのだろう。

 

着いた先は、精神科単科の病院でとても大きかった。受付を済ませると、看護師と一緒にナースルームに通された。

「荷物の検査をします」

そういうと、母が持ってきたバッグを開けて中身のチェックをし始めた。そして、ケースに入っていた糸ようじを見つけると手に持って見せてきた。

「糸ようじの逆の部分、尖っているでしょ? 危ないから没収します」

どこが危ないのか理解に苦しむが、ここは従うしかない。

「ボディチェックします」

そう言われて、私は戸惑いながら両手を上げて看護師の前に体を差し出すと、パンパンと全身を叩かれる。何か危険物を隠していないか疑っているのだろう。私は心を病んでこの病院に来たのに、扱いがまるで犯罪者のようだ。

「大丈夫ですね。じゃあ、病室に案内します」

そう看護師に言われて、鍵のかかったナースルームから病棟に出る。壁はシミだらけで、経年の劣化を感じさせた。少し広い場所には小さなテレビと古ぼけたソファがあり、近くの棚に本と少しのボードゲームが見え、卓球台まであった。入院患者の姿がちらほら見えるが、活気はなく、みんな静かに過ごしていた。

 

21歳で精神病院に入院することになるなんて…

病室に到着すると、母親が入院の手続きのために出て行ってしまい、1人になってしまった。私は、本当にここに入院するのだろうか。21歳になったばかりなのに、精神病院に入院しなければならないなんて、酷すぎやしないだろうか。壁にできたシミを眺めていると、不安がこみ上げてくる。絶対に入院したくない。体はもう元気なんだから、家に帰りたい。その時、母が手続きを終えて帰ってきた。

「お母さん! 私、入院したくない! 家に帰る!」

泣きながら訴えるが、母は「もう手続きしてしまったし」とうろたえている。しばらくワンワン泣いていたら、入院患者さんたちが集まってきた。

「この病院、そんなに悪くないですよ」

患者さんが私を慰めるために声をかけてくれたのが聞こえて、私は恥ずかしくなってしまって駄々をこねるのをやめて入院することにした。

 

暇つぶしはタバコを吸うこと

入院して一週間もすると、ここでの生活の仕方が分かってきた。朝は6時起床で、朝食は7時に食堂で摂る。朝食は学校給食のように、大きな入れ物にご飯と味噌汁が入っていて、それを自分で器によそう。おかずは一品のみで、梅干しやタクアンなどの漬物が多い。昼食や夕食はもう少し品数が増えるが、薄味のものばかりで、正直、まだ21歳の自分には物足りない。病棟内は比較的若い人が多く、見たところ20代や30代の人が3分の2くらいだったので、みんなも同じ気持ちだったと思う。それでも、文句を言うことができないので、押し黙ったまま食べる。食堂では誰もおしゃべりをしない。皆静かに黙々と食べるだけだ。

 

朝食が終わると、喫煙所に向かう。私は入院するまでタバコをそんなに吸っていなかったのだけれど、ここにきてからたくさん吸うようになった。毎日暇でやることがないので、タバコを吸うことでその暇を潰しているのだ。それに喫煙所はいつも賑わっていて、タバコを吸いながら患者さんたちと喋るのを楽しみにしていた。

しかし、ライターは危険物なので患者には所持が許されておらず、ナースルームにチェーンで取り付けられているものを使っていた。しかも、タバコは一週間に一箱と決まっていて、タバコがなくなってしまって、他の患者さんにお願いして恵んでもらっている人もいた。

 

体力の低下防止のため、回遊魚のように病棟内を歩く

私は入院患者の中でも比較的、社交的な方だったので、同じ年齢の人たちとお喋りして時間を潰すことが多かった。

「ちょっと歩こうか」

私を誘ってくれたのは、マリッジブルーで入院している若い女性だ。「歩こうか」と言うのは本当に病棟内を歩くだけなのだけれど、実は結構重要なのだ。

私が入院しているのは閉鎖病棟なので、外出には医者の許可がいるのだが、私はまだ下りていない。許可が下りている人も自由に外出できるわけでなく、週一回の散歩の時間に看護師を伴って、団体で病院の周りをぐるりとするだけで終わる。ここに入院していると、運動不足による体力の低下が避けられないので、一部の患者さんたちは回遊魚のように病棟内をグルグル回っているのだ。

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歩いていると、内側からドアをどんどん叩いている音が聞こえる。この病室の人はドアに鍵をかけられていて、部屋にずっと閉じ込められているのだ。「保護室」というらしい。部屋の外に出られないので、室内にはトイレも設置されているし、監視カメラもついていて、ナースルームから部屋の中が見られるそうだ。私は保護室の存在を知った時、刑務所と変わらないじゃないかと思った。まるで刑務所のようだ、と私は思った。

私たちは病気になって、治療のためにここにいるのに、適切なケアもなく、ただ閉じ込められているだけだ。それでも高額の医療費がかかる。お金を払わない分、刑務所の方がマシかもしれない。

 

しかも、お風呂は一週間に3回しか入れない。しかし、この病院だけが特別というわけでなく、大抵の精神病院は毎日入浴ができないという。さらに、化粧水や乳液の持ち込みが禁止されているので、入院している女の子たちは文句タラタラだった。

当たり前だが、お菓子などの食べ物の持ち込みも禁止されている。食べたいものは月に一回だけ許されている買い物の時に、病院の購買で買うことができる。商品はスーパーで良く見るブルボンの袋菓子やおせんべい、他にはバナナやオレンジなどの果物も並んでいる。しかし、金額の上限が1000円までと決められているので、欲しいものを無制限に買うことはできない。頭のなかで計算をしながらお菓子を選んでいると、まるで小学生が遠足に行くためのおやつを買っているみたいな気持ちになった。

 

なかには、5年も入院している人も…

精神病院に入院していると、楽しみが食事だけになる。この場所には食べること以外、楽しみがない。しかし、きっちり計算された病院食は美味しいものではなく、白身魚に野菜のお浸しなどが主だった。一度、ラーメンが出たのだが、生ぬるく、麺は伸びきっていた。それでも入院生活が長くなると、それすらも美味しく感じる。

週に一回コーヒーが飲める日があり、楽しみにしていたのだが、出てきたのはカフェインの入っていないデカフェで、しかも不味くてコーヒーと呼ぶのが憚られる味だった。それでもみんな「美味しい、美味しい」と口にして飲んだ。

外の世界の美味しいコーヒーを飲んだことがあるはずなのに、それを忘れてしまったかのような口ぶりだった。いや、あの外の世界はなかったと思った方が幸せだから、そう振る舞っていたのかもしれない。何しろ、精神病院は一度入ったら退院までがとても長いのだ。五年間、ずっと入院している人もいたし、病棟にいたおばあちゃんは病気が良くなっているのに家族が引き取りたがらないため、長期的に入院していた。人によっては住所が精神病院になっている人もいるそうだ。       

 

ベッドに縛り付けられ数日間過ごした

日本の精神病院の入院日数の長さは先進国の中で群を抜いている。そして、入院患者も非常に多い。日本には精神科特例という一般の病院よりも看護師が少なくても良いという特例があり、精神科の治療は収容して隔離する方法が長いこととられている。          

もちろん、昔に比べたら現在は、入院日数は短くなったし、地域で患者が暮らせるように支援するという動きも出来つつあるが、退院までの平均日数はいまだに300日近いというのが現状である。欧米では1カ月程度であるのを考えると、その違いは大きい。その他にも精神病院には、身体拘束の問題もある。長期間の身体拘束は死亡の恐れがあり、実際に亡くなった人もいる。

私は精神科入院で身体拘束を何回も受けた。暴れたら投与されている点滴をはずしてしまう恐れがあるから、という理由での身体拘束だったのだが、そういった説明は一切なく、両手、両足、動体を真っ白なベルトで固定され、ベッドに縛り付けられる貼り付けられる形で数日間過ごした。不安になり、看護師を大声で呼ぶのだが、来てくれなくて、声を出すのに疲れ果てて泣いていた。 

Eri Miura via Getty Images
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退院しても、不安だった

私は初めての精神病院を1カ月半で退院した。退院の日に病院の外に出た時は信じられないくらいの開放感だった。空は澄み渡り、空気には秋の気配が感じられた。母とバスを待っている時、嬉しかったけど不安だった。この先、ちゃんとした人生を送れるのかどうか、そればかり考えていた。病院によっては退院後の行き先や支援先をサポートするカンファレンスしてくれるらしいが、私は何にもなく、ただ病院の外に放り出された。そのせいかどうか分からないが、私の社会復帰は大幅に遅れ、仕事につけたのは30代半ばごろだった。

 

自分の人生は不幸だと思うことが良くある。精神疾患にならなければ、もう少しマシな人生だっただろうと想像する。それでも、私はこの人生を生きなければならない。苦難に満ちた道だけれど、この世で周縁に追いやられている者が、何を考え、体験し、どう生きているのかを書き記し、人に伝えることができるのは、それを体験した人にしかできない。生きることは困難だけれど、それを人に知ってもらえるのは幸いであると私は考えている。

 

(※この話は2000年代に筆者が入院した病院での経験をもとに書かれています。現在のすべての精神病院について記した内容ではありません)

 

(編集:榊原すずみ