アートとカルチャー
2020年08月02日 16時21分 JST

映画『劇場』で描かれた、「東京」に存在する男女の歪な関係性のリアル

ふたりの生活は、見る人から見れば、なぜ続けないといけないものなのか、さっぱりわからないものだろう。

©2020「劇場」製作委員会
映画『劇場』より

全国の映画館のほか、Amazon Prime Videoでも同時に配信中の映画『劇場』は、又吉直樹の小説を原作に、行定勲がメガホンをとった話題作である。

この映画を見た第一印象は、「東京」を描いているな、ということだった。そこにはもちろん、登場人物が住んでいる高円寺や下北沢の風景からも思うところだが、そんな街に生息しながら夢を追う若者たちの姿が「東京」のリアルだと思ったのだ。

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映画『劇場』より

 

女性の家に転がり込み、家賃も出さない。東京に居そうなリアルさ

物語は、学生時代に出会った友人と上京し劇団「おろか」を立ち上げた永田(山崎賢人)が、街の中で偶然に沙希(松岡茉優)という女性と出会い、彼女の家に転がり込むところからスタートする。 

沙希は服飾の学校に通いながら俳優になることを目指していた。永田は彼女との出会いをヒントに脚本を書き、彼女を主演で舞台公演をうつと、評判は上々だった。しかし、打ち上げの席で社交的にふるまう彼女を見て、その後、二度と彼女を舞台に出すことはなかった。

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永田(山崎賢人)、沙希(松岡茉優)

あらすじからも気づく通り、永田は子供っぽい性格である。沙希が自分だけを見ていてほしいと思っているし、彼女のおかげで舞台公演が成功しても、だからといって沙希が注目されることをまったく喜べない。

家賃は一切出さない上、光熱費だけは出してもらえないかと沙希から持ち掛けられたときに屁理屈を言うシーンを見て、怒りを超えてあきれてしまうほどだった。そして、そこには暴力性が見えるから、沙希も反論する気力すら奪われているように見えた。

いわば“クソ”と言っていいくらいの永田の姿は、非常にリアルだ。

自分のために本を買い、気ままに喫茶店でカレーを食べる。そのことに一抹の罪悪感を持つが、沙希が自分が買ったのと同じ本を買っているのを知ると、その気遣いが後ろめたくて理不尽にキレる。

そんな描写がリアルであればあるほど、作者の実感や自戒(たとえ自分のことでなくとも、周囲への実感も含めて)がこもっているのではないかと思ったし、その点こそ、この作品を肯定できるかできないかが分かれるところだとも思った。

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「女性は男性を影で支えるべき」「女性に頼っていることを受け止められない」…作品に見え隠れするジェンダー規範

東京には、永田のように小劇場に関わる人たちを含め、夢を追って貧乏暮らしをしている若者が数多存在している。

芸人もそうだろうし、ミュージシャン、俳優、学問や文筆の世界で生きる人なども入ってくるかもしれない。多くの人がギリギリで暮らしをしながら、東京にしがみついている。

その中には、永田のように女性の家に潜りこみ、経済的にも頼りつつも、そのことでフラストレーションをぷすぷすと発酵させ、その怒りを彼女にぶつけることで、自分を保っている人もいるかもしれない。

そして、自分でもそのことには気づいているのである。夢を持っている、芸術を志しているということが、その免罪符になると考えてしまう構造もあるはずだ。

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もちろん、女性でも夢を追いながら、誰かに頼って生きている人もいるだろう。だから、夢を追っているときに経済的に誰かに頼ること自体が男女ともにいけないことだとは思わない。しかし、男女のジェンダー規範の違いによって、男性と女性では、その時の心理状態や受け止め方は違うかもしれない。

男性の場合は、ジェンダー規範として、「女性に頼っている」ということを肯定的に受け止められず、罪悪感を抱いてしまうこともあるだろう。そのことが、逆に高圧的な態度をより一層とってしまう理由になるのではないか。永田にもそんな一面が見えた。

そして、理不尽な日常に不満を感じながらも、笑顔で毎日包み込んでしまう女性は東京にどれだけいることだろうか。ここにも、「女性は男性を影で支えるべき」というジェンダー規範が隠れて見えるのである。

作品を見ていて、なぜ沙希はどこか作ったような声色で話し、そして嘘っぽい笑い方をするのだろうか、と気になっていた。

一方で、永田はそんなことにはまったく気づかない。彼女の笑っていることに素直に安堵を感じているし、ときには無理に笑わせようともする。まるで自分の心を落ち着けようとしているように。

しかし、後になってその沙希の作ったような声色、そして笑い方は、沙希がずっと永田のために「作って」いたからそう見えたのだと気づかされるのだ。

ある日、沙希は初めて地声で、大きな声を出す。

それは彼女の初めての反抗であり、自分をさらけ出した瞬間であった。彼女はずっと永田のために「演じ続けていた」ということがわかった瞬間だった。彼女が永田に、自分はお人形じゃないよ、と告げるシーンも悲しい。

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なぜ沙希はその生活を「やめられない」のか 

こうしたふたりの生活は、見る人から見れば、なぜ続けないといけないものなのか、さっぱりわからないものだろう。

永田は家賃どころか、光熱費すら出してくれないし、そのくせなにかと不機嫌になる。沙希に向き合う気もないくせに、沙希が同級生の男性からバイクをもらったと聞けば、嫉妬して冷たく当たる。傍から見ていれば、ふたりが一緒にいる意味などないと思える。

しかし、世の中には理屈ではどうにもならないこともある。そして、身近であるからこそ、邪険に扱い、どんなにひどいことをしても受け止めてくれるのが愛情だ、とはき違えている人もたくさんいる。 

永田との暮らしを続けているうちに、沙希はたくさんのものを奪われてしまった。そして、それが生活を簡単にはやめられない理由にもなっていた。

沙希は服飾の学校に通っていたが、生活費を稼ぐため、日中はアパレルで、夜は居酒屋で働きはじめた。もともと俳優になる夢を抱いて上京してきていた沙希は、一度は永田の劇団で主演をして好評を得たこともあるが、衣装づくりはするものの芝居には一切関われない状態になっていた。

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作品の舞台となった東京・下北沢

彼女は不満も言わないし、永田にほかの演劇の話を積極的にしないため、一見すると彼女が自分で選択しているように見える。しかし、実際には「そう選択せざるを得なかった」のではないか。

世の中には、経済的な見通しが立たずに離婚ができない、交際相手のもとを離れられない女性というのも存在しているが、沙希の場合は、経済的には自立できる条件はあっても、自己肯定感が奪われていたし、なにより疲れ果ててしまっていた。

そして、彼女は永田にすべてのリソースを割き、永田に賭けていた。だからこそ、いつかは一緒になって幸せに暮らすという夢も簡単には捨てられなかったのだろう。陳腐な言い方ではあるし、それがどこまで純粋なものかはわからないけれど、それでも「好き」という気持ちもあったのだとも思った。

こういう人に、「早く離れなよ」と言ったり思ったりしてしまうのは、それがどんなにその人のためになり、正論だとしても、残酷なものでもある。けれど、やっぱりこれが歪な関係性だと気づいてももらいたい気持ちもあった。 

©2020「劇場」製作委員会

 

「東京にはこんな現実がある」それを隠さず描くことにも意義がある

私は、この映画を途中まで見て、永田が沙希との日々の暮らしの経験を糧に私小説的なものを書き、作家として歩みだす…という結末になったら本当に後味が悪いな、と思い始めていた。 

劇中、永田には決定的な才能があるわけではないようにも描かれていた。永田が自身の限界を知り実家に帰るという、芸術を志す人にとってはほろ苦い結末になってもいいのではないかとすら思った。そうでないならば、永田が本当に変わるしかない。

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東京・下北沢

結末は、危惧していた内容に近いものだった。しかし、永田は変わっているようにも見えたし、沙希は実家に帰ったことで、心身の健康を取り戻していたのはまだ救いであった。沙希の顔色がよくなり、髪がサラサラになっていたことが、そのことを物語っている。

最後の展開にはあっと驚かされたし、うまい具合に決着したとも思わされたし、映画としても面白かった。

この結末は日本の大衆映画のならではの正解でもあると納得したが、永田の変化を、素直に受け止めてしまうのは少し甘いところがあるのかもしれないとも思った。

なぜなら、永田のような存在がこの東京のどこかにいたとして、こんな風に都合よく、良い方向に簡単に変化するだろうかと思うところもあるからだ。変化しないのであれば、沙希がきっぱりと拒絶をするしかない。

ちなみに、原作では、永田はやはり演劇の才能が開花することもなく、これまでの関係性を自省することはあっても決定的に変わることはなく、だからこそ沙希ははっきりともう永田とは歩めないと決めたということが示唆されていた。

沙希は「東京=永田」と一緒にいることで、どこか夢うつつな中にいるような感じがあったが、はっきりとその夢が冷めたのだと捉えることができた。

今、(日本全体の象徴としての)東京に暮らしている人も、どこか夢うつつであるような気がする。酷い政策に不満を抱きつつも何をしても暖簾に腕押しのような状態で、一方である者は、そこにすらすがりたいという思いで心酔したりもしている。男女の関係にもそんなところがあるかもしれず、私たちは、東京で暮らす中でさまざまな力、気力や判断力や実行力を奪われているかもしれないとも思う。

私がこの映画が評価できるとしたら、東京にはこんな風に夢を追って生きている若者がたくさんいて、その背後には何にでも笑ってあげて、理不尽な屁理屈にも怒ることができない女性がたくさんいるかもしれない、ということ。それは歪であるけれど、蓋をせずに描くことで、まるでその場にいるようにリアルに感じられた、ということだ。 

©2020「劇場」製作委員会

 

信頼できる登場人物が信頼できる物語を紡ぐ物語を見るのもいいが、現実社会にそんなものがたくさん転がっているわけではない。だからこそ、東京にはこんな現実があるということを、隠さず描くことにも意義はあるのではないか。

なぜなら、そんな風に生きている人が世の中には実際にたくさんいる。自分だけがおかしなことに陥っているわけではないとわかるし、そこから抜け出せるということも示されるなら、それも悪くないはずだ。 

映画の中の沙希は完全に抜け出したのか。永田は変わったように見えて、今も以前と同じように「男のわがままを許せ」という部分を残しているのだろうか。

小説の結末を見ると、沙希は「ごめんね」と何度も何度も言うことで、もう永田とともには歩まない意思を感じることができたが、映画では、あっと驚く仕掛けもあって、この先のふたりがどうなるのか、曖昧な部分が残されてしまっていた。

このラストをどう解釈するかで、作品への評価は分かれるのかもしれない。

作品情報

劇場』全国公開中/配信中

配給:吉本興業

(執筆:西森路代 @mijiyooon / 編集:生田綾 @ayikuta