アートとカルチャー
2020年08月13日 07時30分 JST

「食べ物を救い出すことは自分自身を救うこと」食品ロスを考える日本の旅でグロス監督が問うもの

“もったいない”の精神に魅せられたダーヴィド・グロス監督が、日本のフードロス解決のヒントを探していく映画『もったいないキッチン』。フードアクティビストでもある監督の目から見た with コロナ時代の食のあり方とは?

©UNITED PEOPLE
映画『もったいないキッチン』より、ダーヴィド・グロス監督(右)と塚本ニキさん(左)

「フードロス」をテーマに、オーストリア出身のダーヴィド・グロス監督が日本各地を旅しながら食における“もったいない”を探し求めていく映画『もったいないキッチン』が公開中だ。

本作はグロス監督にとって2作目となる映画。前作『0円キッチン』では、オーストリアの定番揚げ物料理シュニッチェルの廃油を燃料に、ゴミ箱で作った特製キッチンを乗せた車でヨーロッパを旅しながら、各地で食材の無駄な廃棄をなくすために活動している人たちと出会い、料理をしながら食の現在と未来について探求した。

『もったいないキッチン』はグロス監督が、来日時にすっかり魅了された日本の“もったいない”の精神と、その対極にある日本における世界トップクラスの深刻なフードロスの問題について、解決のヒントを探していく物語だ。全国を旅しながら各地で出会った活動家やシェフたちと捨てられる食材を使った料理で、人々を笑顔にしていく。

なんといっても一番の魅力は、フードアクティビスト、シェフ、ジャーナリストとしてヨーロッパを中心に活動するグロス監督の食に対する飽くなき探究心と、最後まで美味しく食べようという食への情熱である。

持ち前の天真爛漫なキャラクターで様々な人を巻き込みながら、食にまつわる社会の構造的な課題に対して、わかりやすくポジティブに直接的に喚起を促すグロス監督の思いとは? 本作や日本での撮影について、話を聞いた。

©Aiko Gross-Kakehashi
ダーヴィド・グロス監督

食べ物をゴミ箱から救い出すことは、自分自身を救い出すこと

前作『0円キッチン』では欧州議会の食堂で廃棄された食材を使った料理を議員に試食してもらいフードロス問題を訴えたり、スーパーのゴミ箱にダイブしながら、売れ残って捨てられてしまう食材を救出したりするなど、アクティビストとしてのグロス監督が全面に出ている作品だった。

本作でも、日本の大手コンビニの役員の前で、賞味期限切れで廃棄される運命にあるパスタの弁当を食べるパフォーマンスをして問題提起した。もし監督が日本人であれば、こうはいかなかっただろう。 

このパフォーマンスについて、グロス監督は「日本語も文脈もまったくわからない外国人として、コメディ的立場でパフォーマンスをしたが、現実はそう甘いものではないことも理解している。ただ自分のあの行動によって、社会システムにヒビが入り、長年課題になっているフードロス問題について光を当てることができたらと思った」と語る。

©Macky Kawana
映画『もったいないキッチン』

ここにこそ、グロス監督の本質がある。料理という私たちにとってもっとも身近な行為を通じて、なぜフードロスが生まれてしまうのか、という社会システムに焦点をあてているのだ。そういった意味でも、本作ではフードロスとは切り離せない、環境問題や生き方にも言及している。

「ドイツの現代美術家ヨーゼフ・ボイスは、緑の党結党にも関与した社会活動家ですが、彼は『オーガニックのほうれん草を食べても問題は解決しない』という言葉を残しています。

まずは私たち人間の魂を救わなければならない、救われなければ問題は解決しないという、魂の補完とでも言うのでしょうか。そういう言葉があって。

私たちが最終的に目指す問題は『フードロス削減』ではありません。

プラごみを減らそう、フードロスを減らそう、環境問題を解決しようなどといったことはあくまで課題にすぎず、本当の目的は、全て取り組むことで一人ひとりの魂/良心を救うということだと考えています。

命ある食物を大切に扱わず、モノとして、ゴミとして捨てていることは、自分たちの魂を捨てている・傷つけているに等しいということを理解することが大事なのです。

映画のなかで野草料理専門家のおばあちゃんが言っていたように、スーパーに依存するような食生活からなるべく離れて、食べ物が育つ土に触れることで、心が豊かになる。食べ物を救い出すことは、自分自身を救い出すことにつながります」

“もったいない”という言葉にも表れているが、日本には本来、食の循環や環境に配慮する文化がある。そして、あらゆるものに神が宿るとされる八百万の神という思想からもわかるように、自然やそれらに宿る神の存在が日々の暮らしの一部になっており、そうした文化は今こそ見直すべきなのだろう。

 

withコロナ時代は「人間中心」から「生命中心」へ

©Macky Kawana
映画『もったいないキッチン』

昨今、フードロスという言葉によって「私たち人間がこれまで様々な食材に対する権利を奪ってきたこと」が顕在化されてきた。 

アクセンチュアグループのデザインスタジオFjord(フィヨルド)が毎年その先1年のトレンドを予測する「Fjord Trend 2020」によると、これから先、人々の意識が「人間中心」から「生命中心」へシフトしていくとされている。そう考えたときに、食やその周辺にある自然や家畜といった生物に対する権利が問われる日もそう遠くはないかもしれない。 

「食の権利は、これから真剣に考えなければいけないトピックです。

ドイツでも最近、食肉処理場で1500人以上の労働者が新型コロナに感染したニュースがありました。これは、劣悪な労働環境に加えて、大量生産や工業的畜産がどれだけ病んでいるか、システムの病理を象徴する出来事だったと感じています。

ヨーロッパでは『エコサイド(環境殺戮)もまた犯罪だ』という意見があります。

環境や人間以外の生物に対する意識が変わってきている時代で、いま自分が感じているのは、この映画を通じて皆のためにわかりやすいマニュアルをつくらずとも、withコロナを生きる私たちは『生命中心』に変わらざるを得なくなる時代になってきているということ」

 

「皆が本当にそれを望めば、できます」の意味とは

廃棄食材を集めて、人々とともに料理をするグロス監督のヨーロッパでの活動は、食と人との繋がりを再構築させて、人々の心を豊かにさせるといった面で、アートに近しい。

しかしながら本作では初めての日本での撮影ということもあり、言語や文化の違いなど、その思いをそのまま反映させて「アート作品」として仕上げることは難しかったのではないか。

そう尋ねると、撮影中、グロス監督は「地獄は己の中にある」という、ある哲学者の言葉を自問自答したと教えてくれた。これまでは「困難に立ち向かうために、何が何でも自分の信念を貫く」ということを信条に作品を作ってきたが、日本での撮影は、思うように進まないこともあり、ジレンマに陥ったこともあったそうだ。

「俺の映画だ!俺のやりたいように表現させろ!個人としての権利を認めろ!」というような態度は、空気を読むことを大切にする日本では通じなかった。そんな状況下で、外国人である自分が、どこで自身の信念を貫くか、内省し続けた撮影になったという。 

結果として、自分の一方的な正論や正義を貫くことは、フードロスを通じて社会システムの問題の是非を問う映画のメッセージに反しているのではないかという気づきが生まれた。『もったいないキッチン』は、グロス監督が自己変容を遂げた記念すべき作品でもあるのだ。

©UNITED PEOPLE
映画『もったいないキッチン』

そうした思いのもと本作には、自然や様々な命に敬意を払い、食べ物に接することの大切さがメッセージとして込められている。

「映画の中で精進料理を提供してくださった僧侶に『フードロス問題は解決できますか?』と尋ねたところ、『皆が本当にそれを望めば、できます』とおっしゃられました。 

哲学的かもしれませんが、たとえアスリートや兵士であっても、まず自覚しなければならないのは『最大の敵は己にあり』ということ。自分の中にある利己的な課題意識や行動で、世の中に問題提起をするのではなく、本質的な問題について自分と対峙しながら、映画に関わってくれたすべての人々と信頼関係を築きながら完成した作品です」

 

筆者は、グロス監督や旅のパートナーの塚本ニキさんと前作『0円キッチン』公開時から、ともにフードロス食材を使った料理ワークショップを開催するなど、友人として、同じ思いを共有する仲間として親しくしている。

前作で見受けられたアクティビストとしてのアグレッシブさが本作にはやや少なかったことが気になっていたが、グロス監督とのインタビューで腹落ちした。

欧米に比べ、法的制約もある日本において、フードロス問題に切り込むことは困難で、思い通りにいかないことも多かったのだろう。それでもグロス監督は、暗くなりがちなトピックを、自身も成長しながら、持ち前の明るさで切り抜けた。

映画『もったいないキッチン』は、フードロス問題のみならず、日本の私たちが本来持ち合わせている「(食材へ感謝と敬意を払う)いただきます」と「もったいない」の精神を、考え直すきっかけを与えてくれている。

(取材・文:大山貴子/編集:毛谷村真木)