バンクシーの最新作は監獄を美術館に変える?【専門家が読み解く】

かつてはオスカー・ワイルドが収監されたレディング旧刑務所がなぜ選ばれ、なぜこのタイミングだったのか? そこには、ある草の根的な政治的・文化的運動を、バンクシーが後押しする狙いがあった。ロンドン在住の専門家による寄稿です。
Steve Parsons/PA Images via Getty Images

脱獄するストリートアート

背が高く頑丈な赤煉瓦の壁。つないだシーツをロープ代わりに、男がぶら下がっている。 

縞模様の服、簡素な帽子、彼が囚人であることは一目瞭然だ。

奇妙なことに、脱獄するためのロープの重しになっているのは、タイプライターである。

この壁に絵を描いたのは、あの覆面ストリートアーティスト、バンクシー。2021年の初作だ。

自ら『クリエイト・エスケープ』というタイトルをつけた。

場所は、ロンドンの郊外の街、レディングにある旧い監獄の壁。時は、2月28日。 なぜ、ここに? なぜ、この時に? そして、なぜタイプライターが?

いつもその時その時に最もふさわしい場所を選ぶアーティスト、もちろん、そこには深い意味とメッセージがある。

かつてO・ワイルドが収監された旧刑務所が選ばれた理由

レディング旧刑務所の内観
レディング旧刑務所の内観
Dan Kitwood/Getty Images

なぜ、タイプライターか。

このレディング旧刑務所には、ヴィクトリア時代のセレブリティー、耽美小説の旗手であり、あの『サロメ』を著したオスカー・ワイルドが収監されていた(収監は1895-97年)。

理由は、彼がゲイであり、恋人が11歳年下の貴族の息子だったことにある。

19世紀の英国社会では男性同士の性的行為が禁止されていた。

獄中、ワイルドは、懺悔や反省文をしたためることを強制され、出獄後は『レディング刑務所のバラード』という詩を書いている。

服役を終えたものの、その後は、世間からは忘れさられ、失意の時を過ごし、パリのホテルで孤独のうちに病死した。46歳だった。

オスカー・ワイルド
オスカー・ワイルド
Napoleon Sarony/Universal History Archive/Getty Images

バンクシーがレディング旧刑務所に、このタイミングで新作を発表したことにも、ゲリラ・アーティストとしての鋭い戦略がある。

刑務所は2013年にその役目を終えた後、英国司法省の管轄下にあって、将来的に売却の話が持ち上がっていた。

しかし、歴史的に優れた建造物として、文化的なレガシーとして、これを美術施設として残すべきだとの地元住民や著名な文化人たちからの声が広がっていた。

俳優のジュディ・デンチや、作家・ジャーナリスト・俳優でオープンリーゲイのスティーブン・フライも名を連ねている。

つまり、この草の根的な政治的・文化的運動を、バンクシーは後押ししているのだ。

新作発表はLGBT歴史月間の最後の日曜日

さらに、イギリスにおいて、2月はLGBT歴史月間だった。LGBTの権利や、その自由と人権を歴史的に検証していこうというムーブメントだ。

コロナ禍の制限がある中で、イギリスのさまざまなミュージアムでもそれにちなんだ催しが行われた。バンクシーがこの作品を残したのは、その月の最後の日曜日だった。

推測の域を出ない事を承知で書くならば、もし、その運動がうまくいって、旧刑務所が負の記憶を封印することなく、次世代の文化へと昇華される施設になるならば、バンクシーのこの作品が最初のコレクションになる可能性は高い。

そうなれば、きっとアーティストからの置き土産=無償の寄贈となるに違いない。これまでも、表現において同じような慈善的行為をしてきたバンクシーの、筋の通った活動といえるのではないだろうか。  

吉荒夕記(よしあら・ゆうき)

ロンドン大学SOAS美学部にて博士号取得、在学中に大英博物館アジア部門にてアシスタントキューレターを務める。2012年、ロンドンを拠点にアートローグを設立。2019年9月には著書『バンクシー 壊れかけた世界に愛を』(美術出版社)を出版した。

(文:吉荒夕記 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)

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