ただ「そこにいること」が許される場所。被災地でも発揮された編み物の「人をつなげる力」【東日本大震災】

いまから10年前、東日本大震災後の南相馬市をはじめとする被災地で「編み物」が人をつなげることに一役買ったのを、ご存じだろうか。
筆者提供

私たちには「孤独感や生きづらさを感じる」局面というのがある。

コロナ禍のいま、まさにそうなりやすい状況だ。 

いまから10年前、東日本大震災後の南相馬市をはじめとする被災地もそうだった。その中で「手芸」が人をつなげることに一役買ったのを、ご存じだろうか。 

「編んでいると自然と仲間が増えていった」

私は「編み物」を中心とした「手芸」の力を広めるNPO法人の代表をしている。

「手芸」というのは、マフラーを編んだり刺繍をしたりするあの「手芸」である。

そして、私がそのNPO活動で南相馬市に足を運んだ際、現地のリーダー格の方から「心に効く『手芸の力』」について話をされた時の衝撃については前回の記事で執筆した。

実はその時、それだけではなく、次のような別の「手芸の力」についてもうかがったのだ。

「編み物活動をしていて本当によかった。編んでいると色々な人から話しかけられて、仲間が自然に増えていった。本当に編み物に感謝しています」

被災地では家族や友達を亡くしたうえ、原発事故の影響で住んでいた家を出て、仮設住宅で生活することを余儀なくされた地域も多いが、南相馬市はその一つだ。

いくつものエリアに分かれた仮設住宅のそれぞれに、ご近所さんや友人同士で入居できるわけでもなく、「知り合いが周りからいなくなってしまった」被災者の方々が強い孤独感を感じたことを思うと、無念遣る方ない気持ちになる。

しかし、そこで「手芸の『人をつなげる力』」が発揮されたというのだ。 

ただ「その場にいること」が許される場所

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コロナ禍以前の話になるが、編み物をする人たちの間で「編み会」というイベントが流行した。

「編み会」とは集まった人が「それぞれ好きなもの」を気楽に編んで時間を過ごすイベントのことで、技術を習ったり、参加者みんなで同じものを作ったりする「講座」「ワークショップ」とは違うのが特徴だ。

きっかけは某毛糸メーカーがはじめたイベントのようだが、そこから一般の愛好者たちがインターネットで有志を募って、いわゆるオフ会のような「編み会」をするようになった。

この「編み会」に参加する人から次のような話を聞いたことがある。

「『編み会』は喋らなくても編んでいるだけで『その場にいて良い』感じがあって気楽だ」

もちろん、話しながら編むのを楽しむ人も多いのだけれど、このような意見が出るのを見ると色々なことを考えさせられる。

「座持ち」という言葉があるが、通常の食事会などでは「場の雰囲気を持たせる」ためにある程度「話さなければいけない」場面がある。

そうした発言が「その場にいるための『資格』」めいたところがあるのは否めない。

「編み会」にはそういった「資格」を強要する空気感が薄い。

それぞれが好きなように編んでいればよいうえ、その「編む」という行為は基本的には自分一人で完結するからだ。

「『人とつながる場』にいながら『自分は喋らなくてもいい』」というのは実は現代において珍しく、「編み物」はそういった場の核となりえるものなのである。

面白いのは、編み物には欠かせない「毛糸」を意味する英語「yarn」を動詞として使うと「長話をする」という意味になることだ。まるで「毛糸をたぐる」ことと「話をする」ことが同じことに思われているようである。

ちなみに『YARN』という世界的に有名な編み物作家数人を追うドキュメンタリー映画があるが、そのテーマの一つが「人とのつながり」であることもここに付け加えたい。 

人が集まれないコロナ禍で人気を集めた「ヤーンボミング」

ヤーンボミング
ヤーンボミング
「ヤーンボミング de ひたちなか」提供

この手芸の「人をつなげる力」はコロナ禍でも発揮された。 

その有り様はさまざまだが、わかりやすい例として取材に行ってこの目で見た、茨城県ひたちなか市在住の編み物作家が主催した「ヤーンボミング de ひたちなか」を挙げたい。

「ヤーンボミング」とはアメリカ発祥の編み物技術を利用したストリートアートであるが、上記のイベントでは大量に必要となる編み物作品の募集をインターネットを通じて日本全国に呼び掛けたところあっという間に集まってしまい、締め切りを1カ月短くせざるをえなかったほどだったという。

コロナ禍のため、イベント参加者は、家で一人で編んでいた人が多かったと思われるが、それでもなおかつ「人とのつながり」を感じたいと思った結果だろう。

このように、一カ所に集まらずともネットを通じて手芸の「人をつなげる力」は発揮されている。さらに、興味深いのは編み物愛好家の人たちが「本来一人でできる作業」をしつつも「人とつながる」ことへの反応が良いことで、「マフラーやセーターなどの実用品を作れる」などとは全く別の価値がそこに見出されていることだ。

「もの」を作る から「人とのつながり」を作る へ

ここからは「手芸」のなかでも「ソーイング」「洋裁」の分野の話になるが、東京都墨田区に「喫茶ランドリー」という喫茶店がある。

私も以前コーヒーを飲みにお邪魔したことがあるが、この喫茶店はカフェスペースのほかに業務用の「ランドリー」、つまり洗濯機や乾燥機が置いてある「まちの家事室」と呼ばれる空間があり、気軽に人が集まってくる場所となっている。

そのスタイルは評判を呼んでいて、様々な地域のコミュニティスペースのお手本となっているほどである。

ここで興味深いのは、「喫茶ランドリー」にはミシンや裁縫箱が用意されていることだ。

「どんなひとにも、自由なくつろぎ」という理念で運営されるこの店は、ことさら「手芸」に特化した場所ではない。

しかし、そこにミシンや裁縫箱が置かれるということからも「人が集まること」と「手芸」の関係を読み取ることができる。

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「手芸」は人をつなぐ「場」を作るのに役立つのだ。

その「場」は「サードプレイス」というものに似ている。 

「サードプレイス」とはアメリカの社会学者レイ・オルデンバーグが論じた「自宅や仕事場とは隔離された、心地のよい第3の居場所」のことであり、具体的には日々「井戸端会議」が開かれているような「理髪店」「カフェ」「食堂」などが、その例として挙げられる。

皆が気軽に出入りができ、楽しく、もうひとつの家でありながら、そこにいるだけで社会とつながるような場所のことだ。

激しい近代化の結果、世界中からそのような場所が目に見えて減ってしまったのをきっかけに注目されるようになったのだが、私は、手芸をするとその周りにこの「サードプレイス」的な場ができあがるのではないかと考えている。

家で一人でいても、あるいは、外ででも「手芸」をすればどこにでも「サードプレイス」がつくれるのだ。

この、場所にとらわれない「人をつなげる力」はこれからの時代、求められていくのではないだろうか。

このような力は手芸だけでなく他の分野にも見ることができるだろう。

その価値をみんなで認め、楽しみながら「孤独感や生きづらさ」をなくしていけると良い。 

私はそのように思っている。

(文:横山起也 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)

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