“国民総幸福の国“といわれたブータンの今と「幸せ」を問う、映画『ブータン 山の教室』

1999年にテレビ放送が開始されてから、一気に世界のトレンドがブータンを席巻した。ネットやスマホが普及し、「幸せ」の意味がブータン国民の間でも揺らいでいる。
ブータン 山の教室
ブータン 山の教室
Jigme Thinley Shutterbug Bhutan

“国民総幸福の国”と言われるブータン。だが、1999年にテレビ放送が開始されてから、一気に世界のトレンドがブータンを席巻、ネットやスマホが普及し「幸せ」の意味がブータン国民の間でも揺らいでいる。

4月3日に公開される映画「ブータン 山の教室」の舞台は、ブータンの北西、ヒマラヤ山脈の氷河沿いにあるルナナで撮影された。このルナナは“秘境中の秘境”。最寄りのバスの停留所から、山々を歩いて1週間かかる。物質的な「世界のもの」が忍び込んでいない。

ヒマラヤに続く高原の澄んだ空気までそのまま写しとったかのような、圧倒的に美しい映像が続く。

「ブータン 山の教室」の舞台ルナナ
「ブータン 山の教室」の舞台ルナナ
sonam loday

映画には、村の人たちが実際に登場し、舞台となる質素な学校も子供たちが通う本物だ。標高4800メートル、人口56人。携帯も通じず、車もない。

お茶を淹れるためにお湯を沸かそうとするとき、使うのはガスコンロでもマッチでもない。ヤクの「落とし物」だ。

首都ティンプーから来た、落ちこぼれの若き教師ウゲンは、お茶を沸かすための火でさえつけられずイラつく。また、トイレットペーパーではなく「私たちは葉で拭く」と村人に聞いては、絶望的な表情を浮かべていた。

そもそも、ウゲンは、音楽の道を夢見て、オーストラリアに移住する計画を間も無く実行しようとしていた。その矢先に、赴任先としてルナナ行きを命じられ、ルナナに渋々来ていた。

そのウゲンが、村の人から教えられヤクのフンを、手にとったときから少しずつ、物質的な世界での幸せとは違う幸せが浸潤し始める。

「ブータン 山の教室」の主人公のウゲン(右)。オーストラリアへの移住を夢見ながら、赴任先のルナナに徒歩で数日かけて来る。左は、ルナナで生まれ育ったミチェン。
「ブータン 山の教室」の主人公のウゲン(右)。オーストラリアへの移住を夢見ながら、赴任先のルナナに徒歩で数日かけて来る。左は、ルナナで生まれ育ったミチェン。
sonam loday

ヤクは生活の中心。ミルクや毛だけではなく、フンでさえ人間に益をもたらしてくれる。作品の英語名は“Lunana A Yak in the Classroom”だ。ついには教室に年寄りのヤクを入れて、一緒に過ごすまでになる。

ウゲンは見渡す限りの山脈を眺めることができる丘で、吹き渡る風に歌声を乗せるヤク飼いの女性セデュと会う。彼女の「ヤクに捧げる歌」を聞き、景色を一緒に眺め、体の大きなヤクを撫でる。ウゲンの中で、違う時間が流れ始めたのがわかる。

「ブータン 山の教室」に出てくる教室内のヤク
「ブータン 山の教室」に出てくる教室内のヤク
「ブータン 山の教室」

仏教が浸透しているブータンでは、玄関先にチベット仏教の仏陀の絵が飾られてきた。しかし今は「仏陀の絵や国王の写真の代わりにベッカムが飾られている」。そういうのは、パオ・チョニン・ドルジ監督だ。

ブータンでは今や、神秘と言わてきた崖に張り付くように作られた寺の中でさえ、携帯の電波が通じる。都市部では、クラブやバーに伝統服を脱いだ若者が洋酒を飲みに集まり、ポップスをかけて踊る。

デビュー作となる本作でドルジ監督は、「失われつつあるブータンの固有の価値」を通じて、幸せとは何かを問う。「経済的・物資的な幸せと文明がない中での精神的な幸せという二項対立ではなく、幸せの意味を問うものです」とハフポストの取材に対し話す。

「ブータン 山の教室」に出てくる教室内のヤクと子供たち
「ブータン 山の教室」に出てくる教室内のヤクと子供たち
「ブータン 山の教室」

ドルジ監督は、インドやスイス、中東など国外で主に育ったからこそ、ブータン固有の価値が貴重だとわかるという。今、妻の出身国の台湾とブータンを行き来する。ブータンの独自の価値を映画に残し、世に問いたいという思いが溢れる。

ルナナへ行くことは、ウゲンが幸せを知るための旅路でもある。「光のありがたさを知るためには、影を理解しないといけない」というドルジ監督。谷崎潤一郎の「陰翳礼讃(In Praise of Shadows)」に影響を受けたと話す。

「違うところに身を置いて気づく『幸せ』の本当の意味。どこにいても幸せは見つけられます。足るを知ることも我々の幸せなのです」。

多くのブータン人は、それぞれの幸せを求め、華やかで近代的な都市に移住している。ドルジ監督は、主人公のウゲンに「自分自身が必死に探しているものが何かを理解し、幸福とは終点ではなく、旅の途中にあるということを悟らせる」旅に出させたという。 (ハフポスト日本版・井上未雪)

「ブータン 山の教室」の子供たち
「ブータン 山の教室」の子供たち
「ブータン 山の教室」

『ブータン 山の教室』
4月3日(土)より、岩波ホールほかにて全国順次公開
監督・脚本:パオ・チョニン・ドルジ
出演:シェラップ・ドルジ、ウゲン・ノルブ・へンドゥップ、ケルドン・ハモ・グルン、ペム・ザムほか
後援:在東京ブータン王国名誉総領事館
協力:日本ブータン友好協会
配給:ドマ
2019年/ブータン/ゾンカ語、英語/110分/シネスコ/英題:Lunana A Yak in the Classroom/日本語字幕:横井和子/字幕監修:西田文信

ヤク飼いのセデュ(右)は伝統歌「ヤクに捧げる歌」を山に向かって歌う
ヤク飼いのセデュ(右)は伝統歌「ヤクに捧げる歌」を山に向かって歌う
Jigme Thinley Shutterbug Bhutan
「ブータン 山の教室」
「ブータン 山の教室」
Jigme Thinley Shutterbug Bhutan

注目記事