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2021年04月27日 07時46分 JST | 更新 2021年04月28日 08時05分 JST

日本政府を批判する人間は『反日』なのか。「非愛国者」を排除した香港から考える「愛国心のあり方」

真の愛国とは何を指すのか。香港事情に詳しいフリーライターの伯川星矢さんと、ネット右翼やアメリカのQアノンに対する考察を重ねてきた批評家の藤田直哉さんが語り合った。

「愛国心」を盾に、権力に不都合な人間を政治の場から排除する仕組みが出来上がる。

香港で実施される選挙制度改革のことだ。選挙に立候補する人を事前に「愛国者」かどうか調べ、条件を満たさない人間はふるい落すことができる。

自分たちと違う人間は「愛国者」じゃないから批判すべきだー。香港のように制度化まではされていなくても、「愛国」という言葉は世界中で都合よく使われている。

例えば、政権を熱烈に擁護するネット右翼は批判する人たちを「反日」と呼ぶし、「アメリカ・ファースト」を掲げたトランプ前大統領の支持者はこぞって「愛国者」を標榜した。

一体、真の愛国とは何を指すのか。日本と香港にルーツを持ち、香港事情に詳しいフリーライターの伯川星矢(はくがわ・せいや)さんと、ネット右翼やアメリカのQアノン(※)に対する考察を重ねてきた批評家の藤田直哉さんが語り合った。

※Qアノン...アメリカのインターネット掲示板発祥の陰謀論。アメリカの民主党や財政界などは『闇の政府』に支配されており、それと闘う英雄がトランプ前大統領だとする。2021年1月の連邦議会襲撃事件にも信奉者が参加していたことが分かっている。日本国内のQアノン信奉者を『Jアノン』と呼ぶこともある。

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伯川星矢さん(左)と藤田直哉さん(右)。中央は都内で実施された香港民主派のデモ(2020年)。

香港の選挙制度改革は中国の国会にあたる全人代で提起され、3月30日に可決された。立法会(議会)選挙に立候補する際、新設された「資格審査委員会」が、立候補者が香港政府に忠誠を尽くすか判断する。

伯川星矢さん(以下、伯川):

一見、定員数が増えたように見えますが、直接選挙の割合が減ったのが大きなポイントです。親中派の多い業界に割り当てられる職能別選挙があり、そこが厚くなっている。実質後退といっていい内容です。

藤田直哉さん(以下、藤田):

「愛国」と「反中勢力」という言葉を聞くと、第二次世界大戦の日本を思い出します。アジア全体に大きな被害を与えるような戦争を起こしてしまいましたが、当時の民主主義はそれを食い止められなかった。

暴走した理由の1つは批判ができなくなったことです。批判した人を弾圧し、出版を差し止め、言論の自由を奪ったことで『自分たちは素晴らしいことをして、周りの国に感謝されていて、聖なる戦いをして勝っている』と嘘を思いこまされたわけです。その反省のもとに戦後日本は進んできた。

それを踏まえると中国のやっていることは怖い。愛国じゃない人を排除することは、国自体を危険な方向に導く可能性があります。民主主義を求める香港でやることがいいとは思えないですね。

中国政府は愛国者の基準についてしばしば言及している。例えば、香港マカオ弁公室の夏宝竜主任は「国の主権や安全に危害を加えず、中国政府の権力に挑まないこと」と規定してみせた。

藤田:

中国(の権力)に挑戦するとは何を意味しているのか、どこまでなのか全く分からず、恣意的ですよね。この恣意性が人々の中に怯えと恐怖を生み『何かしたら大変な目に遭うかもしれない』という萎縮的な効果を生みます。それこそが権威主義かもしれませんが、生産性に対してプラスにはならないと思います。

伯川:

「愛国」とは何かを調べました。英語では「patriotism(ペイトリオティズム)」と「nationalism(ナショナリズム)」がありますが、日本語ではどちらも「愛国心」ですね。

前者は価値観やシステム、共通善に忠誠心を誓うこと。後者は言語や文化への帰属心になります。

香港の愛国は、中国(大陸)と香港に向けられたものの2パターンあると思います。イギリス植民地時代は自分の国=中国への愛国心というナショナリズム的発想でした。ただ現在では、香港の特に若い人たちは中国ではなく、自分はこの場所だから住んでいるという発想に基づいています。

僕も香港永住民ですが日本国籍。ペイトリオティズム的な意味で、市民権を持つところへの忠誠心と考えると香港は理解しやすいかもしれません。

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伯川星矢さん。1992年生まれ。香港人の父親と日本人の母親の元に生まれ、香港で生まれ育つ。18歳で来日し獨協大学外国語学部・交流文化学科を卒業。フリーライターとして香港をテーマに執筆するほか、メディアやイベントにも出演する。

では、中国政府が打ち出した「定義」を日本に置き換えてみるとどうなるか。「日本の主権や安全に危害を加えず日本政府の権力に挑まないこと」となる。

藤田:

『何が反日か』が大変曖昧ですよね。日本政府を批判したら反日なのか、自民党を批判したり腐敗を指摘したりしたら反日なのか。そう言われる可能性もありますし、実際日本のネット右翼たちはそうしていますよね。

「日」とは一体何なのか。単純なシステムとしての日本国に対する利害なのか、もっと心情的な、想像的な共同体の日本なのかでまた違ってきます。

例えば想像的な共同体としての日本に挑戦するといえば、例えば『日本人は大人しくて黙っているものだ』という風潮があるなか、堂々と喋ることが日本文化を破壊する反日行為とも見做されかねません。どこまでか定義しないとどこまででも行くのです。

伯川:

『忠君愛国』という言葉があるように、日本では天皇に尽くす者が愛国となったのではないでしょうか。現代になり天皇から政治実権がなくなったことでそれが政権に置き換わり、政権に尽くす・従う者が愛国になったのではないかと思います。

愛国を宣伝する中で「日本民族は」という言葉が出てきます。しかし日本だって単一民族ではないですよね。ただ島国だからか、『自分』と『外』を作って内側だけが愛国者になりえて、外の人は全然違うとしている。外の考えで日本を測ろうとすると、それは反日だと言われる。そういう構造はあると思います。

藤田:

それはありますね。例えばフェミニズムは海外から来た思想だから日本には合わないとか、上位者に異論を唱えることが封建的な価値観に逆らうから反日だと言われることは十分にあると思います。

伯川:

大阪で香港に関するトークをしたら、(中国人)留学生の方がいて口論になったことがあります。彼ら曰く「欧米の価値観で中国で測るな。その価値観は中国を批判するために生まれたもので、中国は絶対悪になるからやめろ」ということでした。

そういうわけではないし『普遍的な価値観で中国を見るとこういう問題ありますよね』と話しても、中国の愛国者にとっては受け入れられないことなんですよね。

藤田:

中国を批判するために生まれたわけではないですよね。『あいちトリエンナーレ』という展示会で(昭和)天皇が燃える写真や従軍慰安婦を思わせる作品があり、愛国者を名乗るネット右翼が炎上させました。

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国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で展示された「平和の少女像」

香港の現代美術館『M+』でも、締め付けが始まりそうな気配があるというニュースを見ました(※)。ヨーロッパの基準では政府批判のアートはいっぱいあります。

一方で日本では法的には合法で全く問題ないにも関わらず、問題があると感じた人が大勢いました。ナショナリズムやシステム(への忠誠心)とは違う情緒的な問題は日本にもあるということです。

おそらく中国でも同じだと思いますが、普遍的価値=グローバリズム=西洋のローカルな価値なのか、それとも本当に人類の普遍的な価値であるべきなのかは議論になっていますよね。

中国の立場から考えると、西洋からローカルなルールを勝手に押し付けられ、植民地支配をされ、傲慢な暴力を受けているという主観になるのはわからないでもないのです。

日本でもフェミニズムや男女平等などに対し、西洋のロジックを押し付け、自分たちのローカルな文化を無視して暴力的に無くす存在だと主張する声があります。アメリカのQアノンにも似た状況がある。難しい問題ですね。

※M+...香港に新設される現代美術館。著名なアーティスト・艾未未(アイ・ウェイウェイ)氏の展示予定作品のうち、北京の天安門に向けて中指を突き立てた写真などが『国家安全維持法に抵触する』などと批判された。

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藤田直哉さん。1983年生まれ。批評家。日本映画大学准教授。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻修了。博士(学術)。

伯川:

おっしゃる通りです。

日本にいる中国人留学生のなかには、海外に来てまで『中国のやり方こそが正しい』と証明したくてたまらない人も見受けられます。

これは日本人においても同じように見えます。ネット右翼関係でなぜ話がこじれるかというと、彼らは『自分たち』と『あなたたち』を分けるんです。そして『あなたたち』に分類されると絶対正しくないと言われる。反日だ、韓国人だと。

もちろん自分なりの価値観はあります。ただ相手の言い分も尊重するとか、『自分はこう思うけど、絶対的な答えもないよね』というのが今のグローバル社会の学習の一環かと思います。

藤田:

『我々』と『敵』に2分法して、『我々が正しく、信じない人は敵だ』と分けて動員する手法はどこの国にもあると思います。

アメリカの陰謀論者もネット右翼もそう。右派だけでなく左派にもそういう人たちはいます。自分たちが絶対善になり、不遇さや問題は全部相手のせいにしてしまうと、心理的に倫理的にも楽なんですよ。でもそれは全く事実ではない。

中国の場合、批判を検閲などで抑え込むことによって、自分たちが絶対が正しい国と全体で思い込んでいるのだとすると、社会心理学的にはちょっと病的なことになりかねません。

自分が思っている姿と周りの反応が違うと、ストレスを受けますよね。例えば『自分は天才だ』と思ってモノを書いて発表しても周りから全然相手にされなかったら、傷つくかショックを受けますよね。「俺は本当は天才なのに、認めない社会が間違っている」「社会が悪に洗脳されているから評価されないのだ」「正してやらなければいけない」などとなっていくと、危険です。

『自分が絶対正しい、理解されないのは不正があるか何か悪がいるからだ』というパターンは全世界で繰り返されています。

それに対する反省も広がってきていますが、まだ十分には生かされてないようです。相手の価値観を尊重しないこと自体が危なさであると思います。

※後編へ続きます 

プロフィール:

藤田直哉さん
1983年生まれ。批評家。日本映画大学准教授。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻修了。博士(学術)。著書に『娯楽としての炎上』(南雲堂)、『虚構内存在:筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉』、『シン・ゴジラ論』(いずれも作品社)、『新世紀ゾンビ論』(筑摩書房)などがある。河出新書から『シン・エヴァンゲリオン論』を刊行予定。
 
伯川星矢さん
1992年生まれ。香港人の父親と日本人の母親の元に生まれ、香港で生まれ育つ。18歳で来日し獨協大学外国語学部・交流文化学科を卒業。フリーライターとして香港をテーマに執筆するほか、メディアやイベントにも出演する。
共著に「香港バリケードー若者はなぜ立ち上がったのか」(明石書店)「香港危機の深層 「逃亡犯条例」改正問題と「一国二制度」のゆくえ」(東京外国語大学出版会)など。