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2021年11月07日 12時27分 JST | 更新 2021年11月12日 17時59分 JST

元アナウンサーの国連職員・青山愛さん、実は東京パラリンピックの開会式に参加していた。「難民選手団」に帯同して感じたこと

UNHCRで「渉外担当官」を務めている青山愛さんは今、どんな仕事をしているのか。現在のアフガニスタンの状況を物語る、ある1人の選手とのエピソードも明かした。【インタビュー前編】

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国連職員となった元テレビ朝日アナウンサーの青山愛さん。UNHCRのオフィスにて

元テレビ朝日アナウンサーで現在は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の職員として働く青山愛さん。2017年6月にテレビ朝日を退社し、大学院への進学などを経て2020年に国連職員になった。今はUNHCRの本部があるスイスで新たなキャリアを歩んでいる。

彼女はこの夏、久しぶりに日本に帰国した。東京パラリンピックで難民選手団のサポートする任務のためだった。放送局のアナウンサーを辞めてから4年、国連の組織でどのような仕事に日々取り組んでいるのか。東京パラリンピックの開会式に参加した際の話も聞いた。

【インタビュー後編はこちら】「ロールモデルはいない、誰かみたいにならなくていい」。テレ朝アナから国連職員になった青山愛さん、影響を受けた上司の言葉

UNHCRの「渉外担当官」という仕事

UNHCRの職員となって2年目。青山さんが務めるのは「渉外担当官」というポジションだ。そもそもどのような業務なのか。まずは、現在の仕事内容について聞いた。

難民支援に興味を持ってくれる様々な団体とのパートナーシップを築くことが主な仕事です。私は「スポーツ関連」の分野を担当しています。パートナーシップを築くことを通じて、難民の保護に取り組んでいます。

具体的には、紛争や迫害によって故郷を追われた、あるいは国籍を持たない子どもや若者たちの安心・安全な環境づくりや心身の健康の維持、ライフスキルを学ぶ機会の提供をスポーツを通して行います。私は国連本部のあるスイスを拠点に、団体の方々と直接やりとりをしたり、交渉したりするという役回りです。

今の部署で一緒にパートナーを組んでいるのは、国際オリンピック委員会(IOC)や国際パラリンピック委員会(IPC)、サッカーではUEFAやFCバルセロナ財団など多岐に渡ります。従来から難民支援・人道支援を行ってきた団体とは違う形で新たな支援ができないかという視点に立って、パートナーと一緒に方法を模索しています。

 2018年に開かれた国連総会で「グローバルコンパクト」という枠組みが採択されて以降、難民の支援や保護は、人道支援団体や各国政府にとどまらず、民間企業やスポーツ団体など社会全体で支援する動きが広がっている。様々なパートナーとの関係構築は重要な仕事だ。

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UNHCRで渉外担当官として働く青山愛さん

今の仕事に活きている「スポーツキャスター」の経験

言葉で情報を伝える“プロ”から渉外担当官へのキャリアチェンジ。テレビ朝日のアナウンサーとして働いた経験は、今の仕事にどのように活かされているのだろうか。 

今の仕事でいえば、誰かとパートナーシップを組むということは、興味を持ってくれている団体がどんなミッションを持っていて、どんな支援を実現していきたいかを聞き、そこに私達が行っている活動でフィットするものを探していくということです。その過程ではやはり、いかに相手と「信頼関係」を構築できるかが重要になります。

アナウンサー時代にスポーツを担当していた時期があったんですが、良い取材をするには何よりもまず、選手の方々から信頼を得ないといけない。同じインタビューでも、取材者である自分への信頼度によって、話してくれる内容やシェアしてくれる情報量が違うということを日々感じていました。その意味では、毎日のように現場に通い、「信頼関係は足で稼ぐんだ」と当時教わったことが今の業務に活きていると思います。

青山さんは現在も続く『報道ステーション』で2014年から16年まで3年間スポーツキャスターを務めていた。その経験が今、スポーツ団体とやりとりをする中での礎となっているという。

東京パラリンピックでの一生忘れぬ光景。アフガン選手に見た「覚悟」

青山さんにとって、UNHCRで実現したい目標の一つが東京パラリンピックで難民選手団のサポートをすることだった。無観客開催ではあったが、1年延期となった今大会で希望が叶った。

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パラリンピックシンボルの前で(本人提供)

自身も選手村に入って難民選手団をサポートをする中、アフガニスタン出身のアバス・カリミ選手(競泳)とのやりとりは一生忘れられないものになったという。

パラリンピックの開幕前、アバス選手の祖国であるアフガニスタンの状況が急変しました。祖国が大変な状況になり、彼は本当に辛そうでした。

選手村には参加する国や地域の旗が並んでいる道があったんですが、彼は毎朝起きるとまず、まだアフガニスタンの旗があるかどうかを確認するんです。祖国がなくなっているようなことがないかを確かめるために。私はその姿を見て、大会期間中、きちんと彼を守らないといけないなと改めて思っていました。

アフガニスタン選手団の出場選手はイスラム主義組織「タリバン」が首都カブールを占拠した影響で開会式に間に合わず、日本に辿り着くことも困難な事態に見舞われた。

一方、アバス選手は開会式で難民選手団の旗手を務めた。青山さんはチームから開会式で一緒に歩こうと誘われ参加することになった。

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開会式での入場時の様子(Refugees Media)。写真右下に旗手を務めたアバス選手。左上には選手とともに参加する青山さんの姿があった

彼には両腕がなく、私は彼の背中に旗をつける役目でした。競技場内に入場する前、わずかに私たち2人だけの時間がありました。背中に難民選手団の旗をはためかせて立ち、入場を待っている彼の姿に、私は彼の大きな「覚悟」のようなものを感じました。アスリートとして自分の夢を叶えようという覚悟、さらには自分が苦しんでいる難民たちに希望を与えるんだという覚悟を。心が砕けるほど辛い状況の中でも、彼は力強く立っていました。

その姿を見た私は泣きそうになって、彼に「どうしよう泣くかもしれない」と伝えたら、「泣いたら駄目なんだよ。人生はすべての瞬間を楽しもうとしないと。それが生きるということだから」と彼は言ったんです。

難民が自分の夢を追いかけることをサポートして、そして夢を叶えた瞬間を間近で見ることができる。彼の言葉を聞いて、「私はこういう瞬間のために今の仕事をしているんだな」と改めて感じることができました。開会式での彼との時間はこの先一生忘れないと思います。

東京パラリンピックを機に、もっと多くの難民たちがこういう瞬間を経験できるよう力を尽くしていきたいという気持ちが強くなったと青山さんは言う。

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開会式前にパラリンピック難民選手団と撮影した一枚(本人提供)

2度目の難民選手団の派遣で見えた「成果」

難民選手団が五輪・パラリンピックで派遣されたのは東京で2度目だった。今大会、パラリンピックへの出場選手は前回リオ大会(2016年)の2人から6人に増えた。青山さんはまずこれを大きな成果と振り返る。

前回のリオパラリンピックでは、“選手団”というより「個人の難民選手が個人の種目で参加した」というような形でした。今回は初めてしっかりと「チーム」として構成され、東京パラリンピックに参加することができた。まだ数が少ないと思う方もいるかもしれないですが、障害を持つ難民でスポーツにアクセスをすることすら難しいという人もいる中で、しっかりとトレーニングを受け、世界最高峰の舞台に参加できる選手が増えたのは本当に大きな成果だと感じています。

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東京パラリンピックに参加したパラリンピック難民選手団集合写真(©IPC)

難民選手の数が増えたことだけが成果ではないと感じているという。

もう一つは、難民の「可能性」に光を当てられたことです。例えば、皆さんが抱く難民へのイメージって、「苦しい状況にいて、支援が必要で...」というような印象を持っている方がいるかもしれません。ですが、機会さえあれば、難民はパラリンピックにだって参加できる。

この東京大会では、前回以上に「自分もパラリンピアンになれるんだ」っていう可能性を見てもらうことができた。難民も夢を持ち、夢を叶えることができる。難民として生きる人々にポジティブな光を届けられたことは東京大会に選手団が参加した一つの大きな意義だったと思います。

選手村に滞在していると、日本のボランティアスタッフや他の国の選手たちに頻繁に声を掛けられたという。難民選手団に興味を持ってくれる人が確かにいることを、改めて実感する機会になったと語る。

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ケニア・カクマ難民キャンプでのスポーツを通じた難民支援

難民支援は「遠い国の問題じゃない」

難民支援をめぐっては、青山さんが表現したように「光」もあれば、やはり「影」もある。日本だけでなく、世界で共通して様々な課題があるが、難民に対する関心の薄さはその一つだ。このことを青山さんはどう捉えているのか。

関心の薄さや、難民に対してネガティブな印象を持たれてしまうのは大きな課題です。要因の一つは、例えば日本で言えば、日々生活をしている中では難民との接点がなかなか持てないことです。私自身も、日本でアナウンサーとして働いていた頃は、仕事の中で難民問題をトピックスとして扱ったことは、実はほとんどありませんでした。

難民との接点を持ったのは放送局の退職後にアメリカの大学院で勉強していた時。まさにクラスメートに難民がいて、話すことで問題を身近に感じられる瞬間があったんです。ですので、今後は日本でも難民とみなさんが直接触れ合う機会をもっと増やせていけたらと思います。

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難民保護を目的としたスポーツプログラムの現場から

さらにもう一つ青山さんが指摘するのは、「問題を考える」という表現になった途端に敷居が高くなり、気軽に会話ができるような良い意味での“カジュアルさ”が足りないという点だ。

いざ「難民について考える」と構えてしまうと、今の自分の生活とはすごくかけ離れたことについて考えることのようになってしまうがゆえに、躊躇してしまう部分があるように感じます。

ただ、難民について少しでも考えをめぐらすことは、日本が今後、よりダイバーシティに溢れインクルーシブな社会になるための「ヒント」になると思っています。

異なる他者に対して恐怖や不安を抱くのではなく、自分とは違う他者をどうやって受け入れて、その人の強みをどのように社会全体の強みに変えていくのか。自分が生きる社会についても考えるきっかけの一つになるのではないかと思うので、難民は決して“遠い国だけの問題”ではないということを伝えていきたいです。

「難民」という“ラベル”ではなく、見て欲しいのは“その先”の姿

UNHCRの渉外担当官として、強く伝えたい思いがある。

難民は、祖国や生活圏から逃れることを余儀なくされてしまったけれど、そうなる以前はアスリートであったり、医者であったり、教師だった人もいます。実際には、私たちとさほど変わらない部分もあるのです。

ですので、「難民」という“ラベル”が貼られた人ではなく、もっと“その先”の姿を皆さんには知ってほしいと思っています。

現在はUNHCRの本部がスイスを拠点にしているが、次は「現場」に出て、難民の支援に携わりたいと強く願っている青山さん。近い将来、難民支援の現地からの話を聞いてみたい。

(取材・文/小笠原 遥)

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インタビュー後編では、自身のキャリアチェンジの経緯や1人の女性としての働き方についての考えを聞いた。