44歳でデビュー、51歳で夫婦タッグの引退試合。LiLiCoのプロレス人生は「憧れへの挑戦」だった

好評連載 第32回 LiLiCoの「もっとホンネで話そう。私たちのこと」
タレントのLiLiCoさん
タレントのLiLiCoさん
Yuko Kawashima

2022年3月、タレントのLiLiCoさんがプロレスから引退。引退試合では、夫である歌謡グループ「純烈」の小田井涼平さんと夫婦タッグを組んだことも話題になりました。

世間を騒がすイシューからプライベートの話題まで、LiLiCoさんがホンネで語り尽くす本連載。今回のテーマは、「プロレス」です。デビューまでの経緯から引退試合当日の様子まで、7年間のプロレス人生を振り返ります。

44歳でプロレスデビューした理由

私が生まれたスウェーデンでは、プロレスを観る機会がありませんでした。18歳で来日後、テレビでジャイアント馬場さんなどが闘っている試合を観て衝撃を受けたのが、私とプロレスの出合いです。

「これだ!」と思ったのは、24歳ぐらいのとき。MXテレビの開局当時に番組の企画でレスリング選手の浜口京子さんと闘って、バーンと技をかけられたときに何かがスパークしたんです。アニマル浜口さんが “ビューティーLiLiCo”というリングネームもつけてくれて。

その番組のスタッフにプロレス好きが多かったのもあって、当時は新日本プロレスの試合によく足を運びました。その後、付き合っていた男性の影響でアメリカのプロレス団体「WWE(World Wrestling Entertainment)」にハマりました。

なんと言ってもディーヴァ(編集部注:WWEで当時使われていた女性プロレスラーの総称)がかっこよかった! メイクも、コスチュームも、スタイルも、もちろんロングヘアを振り回し、雄叫びを上げて闘う姿も、すべてが美しかったんです。

私もプロレスをやりたい!――そう思って、ある団体に売り込んだものの、当時の私は無名だったので門前払い。知名度をつけて出直そうとしたら、後にその団体は潰れてしまいました。

Yuko Kawashima

そして2014年、ようやくプロレスデビューのチャンスをつかみます。仕事でDDTプロレスのリングアナウンサーの仕事が舞い込み、レニー・ハートさんのような巻き舌を駆使して熱演したら大盛り上がり! その流れで、DDT社長の高木三四郎さんに「実はプロレスをやりたいんです!」とかけあったんです。

当時、私は44歳。体を作るため、何カ月も基礎トレーニングを積みました。番組の企画でボディビルをやっていたこともあり、週5で体のトレーニング、週2でプロレスの基礎練習。やるからには本気でやりたかったんです。

リングデビューは翌2015年の夏。プロレスラーの宮武俊さんとタッグを組み、大石真翔(まこと)さん、アジャコングさんと両国国技館で対戦しました。

試合中は、初めてのドロップキックでスイッチが入り、無我夢中の一戦でした。ものすごいアドレナリンが出ていて、自分でも「向いてるな」と思ったことを覚えています。振り返っても、デビュー戦を超える試合はなかったかもしれません。

あれから7年間、芸能の仕事をしながら、月1でリングに立っていた時期もありました。DDTの皆さんから「LiLiCoほど長い期間、本気でプロレスに取り組んできたタレントはいない」と言われたときは、とても嬉しかったです。

Yuko Kawashima

膝の骨折。でももう一度だけ闘いたい!

引退を考えたのは、2020年の夏に左膝蓋骨を骨折してしまったから。

骨折直後、搬送先の病院で「プロレスはできる?」と聞くと、「もし足技なら、必殺技は変えた方がいいかもしれないね」と告げられました。でも私には、一生元通りにはならないという直感がありました。実際リハビリの先生からもそう言われています。

手術後、リハビリをはじめたときから、DDTの高木社長には「プロレスを引退したい」と話していました。

リングで突然かかる「ファイナル・カウントダウン」(編集部注:スウェーデンのハードロックバンド・Europeの曲。武藤敬司選手のテーマ曲でも知られる)。「ええ~っ!?」とざわめく会場に、衣装で登場する私。そこへ、両脇からサッと松葉杖が差し出され、「こんにちは~!」とリングに向かって歩く――これは、そのとき妄想していた引退の光景(笑)。

でも想像以上にコロナが長引き、プロレスの興行自体ができなかった。やがて膝の骨はくっつき、少しずつ歩けるようになって、「もう一度でいいから闘いたい」と思うようになりました。

Yuko Kawashima

デビュー戦をした両国で男色ディーノと闘いたいというのは、私のたっての希望でした。試合ではもちろん、必殺技のドロップキックをしたい!

ただ、骨がくっついたばかりの左膝はまだ曲がりませんし、そもそも怖くて走ることもできません。骨折をしてから2年間、左膝をかばい続けて、全身のバランスもかなり歪んでいたそうです。

試合の3カ月前からリハビリに加え、膝の治療のためにスポーツ整体に通って全身を調整。1カ月前からは、筋トレなど本格的なトレーニングを始めました。1万800円もする膝サポーターも買って(笑)!

そのおかげで、3月の引退試合では、試合中だけは膝のことを忘れてリングで走れたし、念願のドロップキックもできた! この日、私は正真正銘のプロレスラーだったと思っています。

Yuko Kawashima

小田井涼平から見たLiLiCoのプロレス人生

夫の小田井涼平との夫婦タッグも、私のアイデアでした。純烈のリーダーの酒井一圭さんが以前、男色ディーノと闘ったことがあると知っていたし、小田井が一緒に闘ってくれたら心強い、って。

当日は、純烈のメンバーにはセコンドについてもらうことになりました。初めてリングに上がった小田井も、純烈のメンバーと同じ楽屋で、緊張感がありつつリラックスして待機できたようです。

小田井は、すべてに全力投球なのがいいところ。今回の試合でも命がけで闘ってくれて、間違ったら怪我をしていたかも、という瞬間がたくさんありました。

彼自身、「試合中は最後の10カウントゴングで我に返ったけど、それまではLiLiCoばかりを目で追っていたので周りがあまり見えてなかった」と話していました。

感動屋なので、試合後は私よりも大泣きして……。結婚式のときよりも泣いていたんじゃないかな?(笑) あまりに泣いているのでハグをしたら、その写真が翌日記事になって、友人から「カメラロールに保存したぐらいすてきな写真だった」と言ってもらえました。

引退試合でのLiLiCoさんと小田井涼平さん
引退試合でのLiLiCoさんと小田井涼平さん
提供写真

「初めてLiLiCoの家に行ったとき、玄関にチャンピオンベルトが転がっていた」なんて冗談めかして話す小田井は、私のプロレスへの熱意を理解している人。彼は、私のプロレス人生は「憧れへの挑戦」だとして、こんな風に語ってくれました。

「レスラーになりたいという夢に向かって、一度断られた門を、タレントとしての知名度を上げて自分を高めてから、もう一度叩いたLiLiCo。その夢が実現してからは、年齢に関係なく体を張って、自分の全身全霊を込めて闘っていました」

「タレントがリングに上がることを軽く見られたくない、見せたくないという思いが本気を生んで、その本気がLiLiCoを本物のレスラーにしたと思っています。怪我をするリスクを恐れず、限界ギリギリの状態で攻め続けたのがLiLiCoスタイルだったと感じます」

いつかまたDDTのリングに

Yuko Kawashima

たくさんの人に応援してもらった、私のプロレス人生。

引退試合は、友人やラジオのスタッフ、一緒にパーソナリティをやっている稲葉友くんが、チケットを買って観に来てくれました。以前から応援してくれていた有田さん(くりぃむしちゅーの有田哲平さん)は、YouTube番組でも私の引退試合について話してくれて、感動しました。

膝のケガで、私は大きなものを失ってしまった。引退試合から4カ月の時が経ち、あらためてそう思います。プロレスを引退しただけじゃなく、ミュージカルへの出演や、やりたかった番組のレギュラーも断念することになってしまいました。昔のテレビ番組を目にしたときは、走り回っている過去の自分がうらやましくなります。

でも、起きてしまったことを悔やんでもしょうがない! 少しずつスポーツを再開できるようにリハビリを続けて、いつかまたDDTのリングに復帰したい。

私の魂は、まだリングの上にあるんです。

Yuko Kawashima

(取材・文=有馬ゆえ、写真=川しまゆうこ、編集=若田悠希

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