BTSのRMがファンを公言。カンヌで賞賛された話題作『別れる決心』の脚本家に聞く、あのセリフの真意

韓国を代表する映画監督のひとり、パク・チャヌク氏と「二人三脚」で脚本を執筆、韓国では書籍化されベストセラーに。BTSのRMがその世界観に魅了され、ファンを公言する脚本家チョン・ソギョン氏とは?
脚本家のチョン・ソギョン氏
脚本家のチョン・ソギョン氏
Photographer:chunny

『オールド・ボーイ』でカンヌ国際映画祭グランプリを受賞するなど、韓国を代表する監督のひとりであるパク・チャヌク氏。その6年ぶりの新作が『別れる決心』だ。脚本は『親切なクムジャさん』(2005年)からパク・チャヌク氏とタッグを組み続けているチョン・ソギョン氏が手掛けている。

パク・チャヌク監督
パク・チャヌク監督

今作のほかにも、2022年に連続ドラマ『シスターズ』や、坂元裕二脚本のドラマ『Mother』の韓国版リメイク『マザー 無償の愛』の脚本も執筆しているほか、『別れる決心』の脚本も書籍化され、韓国ではベストセラーにもなった。BTSのRMはチョン・ソギョン氏のファンを公言しており、番組で共演したときにも、その興奮を隠さず大いに話題となった。

RMが何度も見た映画としてニュースに

『別れる決心』
『別れる決心』
©2022 CJ ENM Co., Ltd., MOHO FILM. ALL RIGHTS RESERVED

『別れる決心』は、それまで過激な描写の多かったパク・チャヌク監督が抑えた中にある感情を描いた作品で、刑事のチャン・ヘジュン(パク・ヘイル)が、夫殺しの被疑者である中国から来たソン・ソレ(タン・ウェイ)の取り調べをしているうちに、惹かれ始めていく……という大人のストーリーになっている。

今回のインタビューでも、チョン・ソギョン氏はRMについて「RMさんがInstagramに感想や写真を載せてくれたことがあったんですが、その中で、ソン・ソレの夫のキ・ドスが飲んでいるウイスキーにどのような意味があるのかを考察してくれていたんですね。

『キ・ドスの飲んでいたウイスキーは、さほど有名なものではないけれど、味がわかる人なのではないかと。彼自身、本心を表に出す人ではないけれど、この銘柄のウイスキーを飲んでいたのならば、ウイスキーを味わうようなところのある人なのでは』というような内容が書かれていて、それを見たときに、ここまでキャラクターの分析をしてくださるなんて、RMさんは本当に作品のファンなのだなと思いました」と語っていた。

RMのように、『別れる決心』を何度も見たくなる中毒者も多く、第75回カンヌ国際映画祭コンペティション部門でも監督賞に輝いたこの作品だが、実はチョン・ソギョン氏は、本作の脚本を書くことを一度断っていたのだという。

「監督がイギリスで『リトル・ドラマー・ガール 愛を演じるスパイ』という作品を撮っていた頃、私がロンドンに遊びに行って、久しぶりにお会いする機会があったんです。監督はその頃、精神的にとても辛そうな状態だったんですね。

その後、監督から『一人の女性が二人の男性を殺す』という作品を撮りたいと提案されました。そのとき、内容が『渇き』(※)にも似ているなと思って、お断りしたんです。ただ、監督はシナリオを書くことで精神状態が良くなるんですね。監督の辛そうな様子を見ていたので、それが少しでもよくなるのであればと思って、一緒に書くことにしました。一種のシナリオセラピーのようなものですね」

もう一つ、チョン・ソギョン氏が脚本を断った理由があった。

「この作品がメロドラマやラブストーリーというジャンルのものだったからです。でも、タン・ウェイさんが出るのであれば、ラブストーリーも書けると思いました。彼女を念頭に置きながらストーリーを書き始めたら、難しいということはなかったですね」

※『渇き』…パク・チャヌク監督、ソン・ガンホ主演の2009年の映画。

まさに「二人三脚」の共同執筆

『別れる決心』
『別れる決心』
©2022 CJ ENM Co., Ltd., MOHO FILM. ALL RIGHTS RESERVED

パク・チャヌク監督とチョン・ソギョン氏は、パソコンでドキュメントを共有し、シナリオを書いているというのはファンの間では有名な話だ。

「シナリオを書くときは、まず私が書いて送って、その後、監督が追加し、それに対して私がまた送り返して……と、そんな風にやり取りをしながら、あらすじを書き進めていきます。監督とは、いつもスムーズに仕事ができます」

今回のシナリオを書いていて難しかったのは、パク・ヘイル演じる刑事のヘジュンの描き方だったという。

「ヘジュンの場合は、妻がいて新たにソレのことも愛するようになって、でもどちらのこともあきらめたくないというキャラクターなので、そんな男性キャラクターを見たとき、観客の女性たちはどのように受け入れるのだろうかということでも悩みました。でも、その役をパク・ヘイルさんが演じることになったことで、悩みが解消されました」

そのヘジュンという刑事は、韓国映画でよく見るような粗暴な刑事ではないのも特徴的だ。

「刑事が犯罪者と同じくらい暴力的な映画もよくありますよね。私は、実際の刑事さんと接した経験が多いわけではありませんが、それでもたまに刑事さんと接すると、安心感があるんです。正義感に溢れた方もたくさんいますし、『この人たちが、私たちを守ってくれているんだ』と思うと感謝の気持ちも芽生えます。だから、そういう部分を表現したいと思いました。善良で守ってくれている部分のある人でも、事件と対峙したときに、善意の暴力性のようなものも表れることもあると思って、ヘジュンのキャラクターに生かしました」

まるで何も知らない観客のような感覚

『別れる決心』
『別れる決心』
©2022 CJ ENM Co., Ltd., MOHO FILM. ALL RIGHTS RESERVED

(※この先、物語の内容や結末に関わる重要な部分に触れています。注意してお読みください)

いつものパク・チャヌク監督の作品のような暴力性のあるシーンがないのと同様に、ソレとヘジュンも表向きには激しく求めあうような描写はない。「愛している」という言葉を直接的に使うこともないが、徐々に惹かれ合っていく様子にひき込まれる。しかし、その「愛」が変化していく後半は見ていてせつない。

「私が初めて『別れる決心』の完成版を見たのは、カンヌ映画祭のスクリーニングのときだったんですが、終盤、ソレが海辺で車を止めたシーンからエンディングまでずっとドキドキしたし、悲しい気持ちにもなり、心が動きました。私は監督とはもう20年くらい一緒に作品をつくっていますが、このような気持ちになったのは初めてでした。まるで私がこの映画について何も知らない観客であるかのような感覚でした」

チョン・ソギョン氏は、シナリオを書いている間も、観客がどのような気持ちでラストシーンを受け止めるのか、想像がつかなかったのだという。

「『別れる決心』は、私が書いてきた作品の中で、最もシナリオと映像化されたときの距離がある作品でした。セットの中で撮ったシーンよりも、自然の中で撮ったシーンが多いことも関係があると思います。自然の中で撮ったシーンが多く入ることで、コントロールできない部分があったんでしょうね。

特に予想していなかったのがエンディングです。ソレはもともと“死”というものを心の中に抱えていたところがあった人だと思うんです。彼女は母と祖父を山に返して、その後に自分は海に帰ろうと思ったのではないかと考えて私はシナリオを書きました。山で苦しんだけれど、その後に海に降りていくというのが、論理的な彼女の旅だと思っていたんですけど、出来上がった映画を見たら、論理的というよりも神秘的な感覚がありました。

そして、ヘジュンは海で彼女を見失い、これからも苦しみ続けるような気がするんですが、スクリーンでそのシーンを見て『これってどこかで見たような気がするな』と思って思い出したのが、ギリシャ神話の『オルフェウス』でした。オルフェウスは愛する人を失って地獄に落ちます。意図してはいなかったんですが、自然というものの影響もあって、このような作品になったのだと思います」

ふたりの「愛」に対するさまざまな解釈

『別れる決心』
『別れる決心』
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ソレとヘジュン、ふたりの「愛」の解釈やタイミングがずれていくことで謎が深まり、観客が見終わった後に、いつまでも考えたくなるのもこの映画のポイントだ。

「二人のタイミングは合いませんでしたね。ソレは最初のうちは罪を隠すことが重要なので、そのことに気持ちを集中していました。

一方、ヘジュンは最初は捜査のためにソレを利用しようとしていたところもあったんですが、だんだんと波が押し寄せるように惹かれていき、ソレもそんな気持ちを悟りました。私からすると、二人は同じ『素材』や『要素』で作られた人だという気がするんですよね。だから、二人はお互いを理解し合えたし、愛の解釈も同じだったのではないかと思います」

気になるのが、ヘジュンがソレのどこが「好きか」を語るシーンだ。ヘジュンはソレの「体がまっすぐ」なところが好きだという。この言葉には、いろいろな意味が込められていると感じた。

「あのシーンは脚本を書いていたときにずっと空欄だったんです。その空欄に何をあてはめようか考えていたら、ある日、監督がそこに書いたのが『体がまっすぐです』という台詞だったんです。私もいいんじゃないかと思いました。

あのセリフは、体だけでなく、普段のソレが心のまっすぐな人だということも意味しているんです。ソレの人生というのは、いろんな人に腰を曲げて何かを頼んだりしないといけないこともたくさんあります。韓国に来る前、中国にいたときも、そうやって腰を曲げることが多かっただろうし、つらかっただろうと思うんですね。

そんな風につらい人生を生きてきた人なのに、こんなにまっすぐでいられるのは凄いことなのではないかと思ったんです。ヘジュンにも、そんなソレのことがわかっていたんだと思います。非常に重要なセリフですね」

(取材・文:西森路代 編集:毛谷村真木

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