「放置子には関わるな」 元当事者が注意喚起。専門家が考える、誰もつぶれない方法とは

こどもの友達が家に上がりこんで困るというSNSの投稿に対し、「元放置子」と名乗る人たちが「放置子には関わるな」と投稿し、波紋を広げています。居場所がないこどもが身近にいたとき、どう対応すればいいのか。

こどもの友達が家に上がりこんで困るというSNSの投稿に対し、「元放置子」と名乗る人たちが「放置子には関わるな」と投稿し、波紋を広げています。

居場所がないこどもが身近にいたとき、どう対応すればいいのでしょうか。NPO法人チャイボラ代表理事の大山遥さんと考えました。

「自宅に上がりこんで夜遅くなっても帰らない」「おやつや食事を要求する」「自分の子がいじめられる」など、迷惑行為やトラブルの種として「放置子」がたびたび話題になっています。

「放置子」という言葉はネット上で数年前から使われているスラングで、児童虐待防止法の虐待の定義とは異なるものです。親が多忙や無関心なケースも含んだ広い意味で使われていますが、ネグレクト(養育放棄)や、身体的・心理的な虐待などで自宅にいづらい事情がある子も含まれているとみられます。

2024年1月、「息子の友達である放置子につきまとわれて困っている」という投稿がXで拡散されると、「元放置子」と名乗る複数の人から「私も同じことをしていたが、関わらないのが一番」「当時は迷惑をかけた自覚がなかった。毅然とした態度で接するべき」という告白が相次ぎました。

「放置子」に依存された家庭は、生活や家族関係に支障が出るほどになるからという理由で、「放置子には優しい態度を取ってはいけない」と、当事者として苦しんだであろう人たちが警鐘を鳴らしているのです。

わが子や自分が「放置子」と関わることになったら、本当にこのような毅然とした対応をするべきなのでしょうか。児童養護施設の職員の確保と定着をサポートするNPO法人チャイボラ代表理事の大山遥さんに聞きました。

大山遥(おおやま・はるか) / NPO法人チャイボラ 代表理事
大山遥(おおやま・はるか) / NPO法人チャイボラ 代表理事
画像提供:チャイボラ

2009年(株)ベネッセコーポレーションこどもちゃれんじマーケティング部に就職。教材を寄付しようと児童養護施設へ問い合わせをした際に職員不足の現状を知り、施設職員になるため退職を決意。施設で働く資格を取得すべく、保育士の専門学校へ入学。児童養護施設でアルバイトをしながら2018年クラスメイトと共に、施設職員の確保と定着をサポートするチャイボラを設立。2022年に厚生労働省「社会的養護魅力発信等事業」に採択され、現在は全国の児童養護施設の3分の1以上をサポートしている

罪悪感を持たないで

ーー「放置子」をめぐるトラブルはたびたび話題になりますが、今回は「元放置子」を名乗る人たちから「自分の家庭のためにも関わらないほうがいい」「完全無視で出禁にすべき」などの投稿がありました。

まず、当事者が声をあげたのは、とても勇気がいることだったと思います。

自分が幼い頃に他人に迷惑をかけたり依存してしまったりしたことを客観視して発信できるのは、その人は「生い立ちの整理」ができているということかもしれません。「生い立ちの整理」とは、家庭に問題を抱えた人が前向きに生きていくために、過去の出来事や家族との関係を整理するプロセスで、思春期のこどもに実施している児童養護施設などもあります。

実際には「放置子」としてトラブルを起こしている人たちが自分を客観視できているケースは、そう多くはないかもしれません。

幼いこどもなら当然ですし、成長してからも「自分はひどい目に遭ったんだから、周りから気にかけてもらってもいいじゃないか」という認識で、相手の時間や体力、精神力を奪うことを悪いと感じていなかったり、奪っていることに気づいていなかったりする人もいます。依存先を転々と変えることもあります。

背景にはさまざまな事情があり、その子が悪いわけではもちろんありません。ですが、もしそうしたこどもに関わることで嫌な思いをしたら、毅然とした態度を取ることも時には必要です。そして、その対応に罪悪感を感じる必要はないと思います。

そうしないと、自分も、自分の子も、その子もつぶれてしまうかもしれません。生半可に関わることは、誰にとっても良い解決策ではないのです。

できないことはできない

ーー自分の子には「友達と仲良くしよう」と教えている中で、引き際が難しいと感じる人もいそうです。

こどもの年齢にもよりますが、ルールを守れない、距離感を保てない、相手の事情や感情に配慮できないような場合には、そうされたことによって自分がどう思ったかや、要望に応えられないということをしっかりと伝えて良いと思います。

かわいそうだからと同情してその子に合わせてしまうと、強く言ったりしつこくしたりすると要望が通るのだという誤った認識をし、エスカレートしてしまうこともあるかもしれません。将来的にその子のコミュニケーション能力を下げることにもなります。

例えば自宅に遊びに来たときに、「今日は30分しか遊べないよ」「おやつはこれしかないよ」「暴力をふるうのはダメだよ」と言っているのに癇癪を起こすような場合には、「○○をされてとても怖かった。これでは一緒に楽しく遊べない」など、されたことに対して自分の気持ちとセットで相手の要望に答えられないことを伝えると良いと思います。

嫌なものは嫌、できないことはできない、と線引きすることが必要です。

その代わり、こちらの気持ちを汲んだ行動をしてくれたときには、「○○してくれてうれしかったよ。また遊びたい気持ちになったよ」と伝えてみてください。相手の気持ちを尊重することで楽しい時間を過ごせるのだということを、その子なりに学習していけるかもしれません。

ただ、こうした対応をすることにも、労力や精神力、知識やテクニックが必要です。ですので、自分や自分の子を守るために完全にシャッターを閉じることになったとしても、後ろめたく感じる必要はないと思います。無理はしなくていいんです。

こどものための最善は何か

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ーーこども一人ひとりが大切に育てられることを目指して活動している大山さんがそう言うほど、きれいごとでは済まない問題なんですね。

実は私も、依存された経験があるんです。児童養護施設を退所した女性でしたが、LINEに毎日大量に「死にたい」というメッセージが届き、電話がかかってくるとどんなにこちらの都合を伝えても何時間も切ることができない状況でした。

私自身は支えたい一心だったので、心身を蝕まれている自覚がなかったんですが、周りのメンバーが私の異変に気づいてサポートしてくれたおかげで大事に至らずに済みました。

もしあのとき私がつぶれていたら、私だけでなくその人のことも救えないので何の解決にもならなかったでしょう。適切な距離感を保つことの大切さを痛感しました。

ーー虐待やネグレクトで保護されたこどもが入所している児童養護施設では、職員はどのように関わっているのでしょう。

私はNPO法人チャイボラの活動で児童養護施設の職員の確保と定着をサポートしながら、非常勤で児童養護施設で働いてきました。ベテランの職員さんを間近で見ていると、感情のコントロールがとても重要な仕事なのだとつくづく感じます。

例えば、幼い頃から何年もずっと一緒にいた子が施設を退所するとき、私は涙が止まらなくて何日も引きずってしまうのですが、ベテラン職員さんは、施設を出て行った子が角を曲がった瞬間に、次に入所する子を迎える準備を始めるんですね。

決して冷たいわけではないんです。それがプロとしてこどものためにできる最善の方法だからです。

児童養護施設に入所している子はいつか退所することがわかっているので、自分が出ていくことで職員が悲しい思いをするのだと知ると自立の足かせになってしまったり、職員がわんわん泣いていたら対所するときも不安になってしまいます。

施設ではひとりでも多くの子を支えて自立させていかなければなりません。たとえ入所期間がわずかだったとしても、最善の利益を提供するために全力を尽くす。そこまで考えて感情を切り替えるのも施設職員として大切なスキルかもしれません。

適切な距離感が必要

また、どんなにひどい虐待をされても、放置されたとしても、こどもにとって親は絶対的な存在です。

施設の職員がどれほど関わっても「親」にはなり得ないことは、職員が一番よくわかっています。親以外の人は、あくまでも「代替養育者」なんです。その線の引き方を誤って共依存のような関係になると、適切な支援ができなくなります。

知識や経験のあるプロの職員でさえそうやって意識的に距離を置くわけですから、たとえわが子の友達であっても、その子のことを大切に思うのであればこそ、適切な距離感が必要になってきます。

自分の都合のいいときだけ関わったり、少し踏み込んでみたものの無理そうだからと引いたりするほうが、その子にとっては残酷な結果になるかもしれません。

ーーでは個人でできることは、児童相談所に通報するなどでしょうか。放置されている子の事情がわからず、虐待やネグレクトを確認できなくても、適切なつなぎ先はありますか。

もしも私が同じ立場になったら、その子に家庭の様子を聞いたうえで、まず学校の先生に共有します。

学校の先生からその子の家庭の状況を見てもらったり、おうちの方とコンタクトをとっていただいてそこで改善されるなら良いですが、難しい場合、地域の相談先や支援先などの資源を使いながら、その子と保護者をセットでどうやって支援につなげるかを考えていきたいです。

困っている現状を共有するだけでも、その家庭を支援するために必要な情報の一つになります。

学校では対応が難しそうな場合は、住んでいる地域の子ども家庭支援センターに相談するのもいいと思います。多くのケースを知っている機関ほど、適切な支援先の情報を持っています。ハードルが高いかもしれませんが、近くの児童養護施設や児童相談所も相談先の選択肢のひとつです。

ーーその子の保護者には直接連絡すべきでしょうか。こども同士が遊ぶときは保護者同士であらかじめ連絡を取り合うことが多いですが、それができないから「放置子」と言われているわけで...

親しい関係性であれば直接伝えるのもいいかもしれませんが、状況が深刻な場合、あまり個人間で解決しようと考えないほうがいいでしょう。その保護者と一度も連絡を取ったことがなければ、私だったらまず担任の先生に相談します。

その子のために何か役に立ちたいという思いは尊いものの、その原動力が自己満足であるケースも残念ながらあります。

私も能登半島地震の後はいてもたってもいられませんでしたが、出産したばかりですし、仮に現地に行ったとしても専門的にできることがないので、支援団体に寄付しました。

自分が動かなければダメだという思いに駆られるのであれば、それはどこからきたもので、果たして適切な解決につながるのか、ぜひ冷静に考えていただきたいと思います。

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父は居場所をつくっていた

ーー大山さんは幼い頃から、さまざまな事情を抱えたこどもと接してきたということです。その中にはいわゆる「放置子」もいたのでしょうか。

父親が塾を経営していて、さまざまな家庭の子を受け入れていました。他の塾で断られ、たらい回しにされてきた子でも父は断らなかったので、難しい子たちがたくさんいました。

授業中も鉛筆で遊んでいる子、消しゴムをずっとかじっている子、ちょうちょを追いかけて塾を出ていってしまう子もいました。喧嘩をして警察からうちの父に連絡が入り、迎えに行き、血だらけになった制服をうちで洗濯したこともありました。虐待、ネグレクト、発達障害など、それぞれ事情を抱えていたようでした。

父は塾に来る子たちを自宅に呼んで「鍋なら何人でも食べられるから」と夕食をともにしていましたし、家庭の事情で月謝を払えなくなった子を無料で受け入れ続けたこともありました。その子たちにとっては、塾やうちの家が居場所だったのだと思います。

ーー大山さんは実子として、その子たちを迷惑だと思ったり、居場所を奪われたと感じたりしたことはなかったのでしょうか。

それが、まったくなかったんですよね。両親から圧倒的に愛されていることがわかっていたからだと思います。

中には、父に過度に依存してくる子や攻撃的な子もいたのでしょうが、父がつらそうにしている姿は見たことがありません。むしろその子たちが社会人になってから、うちにお酒を飲みにきて「あのとき、お前がトラブルを起こして大変だったよな」「大山先生のおかげです」などとすっごく楽しそうに思い出話をしていて、幸せそうだったという記憶しかありません。

父は私が20歳のときに亡くなったので、なぜあんなに楽しそうだったのかを尋ねるすべはないのですが、そんな父の姿を見て育ったことも、私が社会的養護に携わるきっかけになりました。

一瞬で忘れられる存在でも

ーーそういう大人との出会いで救われた子もいることを知ると、「放置子」を受け入れることはできなくても、見て見ぬふりではない関わり方はできないものかと考えてしまいます。

こどもにとっては、自分のことを大事に思ってくれる存在に出会えるかどうかが、自己肯定感につながります。特定の養育者が一貫して愛情をかけ続けることがとても大切です。

同級生の親や、近所の大人という立場はあくまで他人であり、継続的に愛情をかけることは難しいです。ですが、その子の長い人生の中で一瞬でも関わる大人のひとりとして、責任を持って接することはできます。

先ほどの、毅然とした態度を取るという対応も、実はその一つなんです。

「嫌なことをされたら一緒に遊びたくなくなる」「できないことはできない」と伝えるのは、その子の将来のことを大切に思っているからこその対応でもあります。

その瞬間は、罵られ、暴れられ、恨まれることでしょう。さらに、その子は一生、この対応の真意に気づくこともなく、こんな出来事があったことすら忘れてしまうかもしれません。むしろその可能性のほうが高いでしょう。

それでも、人間の言葉や表情や行動は、人生のうち一瞬でも関わったすべての人から影響されてつくりあげられていくものです。たとえ一瞬で忘れられる存在であっても、その子にとって少しでもプラスの方向につながるように願いながら対応するのが、大人にできることではないでしょうか。

居場所がない子、しかも泣いたり怒ったりしている幼いこどもに毅然とした態度を取るのは、そこだけ切り取ると冷たいようにも感じられますが、こうした長期的な視点もあることを知っていただけたらと思います。また、すべてのケースにあてはまるわけではなく、緊急性がある場合などには個別の対応が必要なことも合わせてお伝えしておきたいです。

取材・文/小林明子

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