pecoさんは喪失をどう受け止めたのか「息子の優しい部分はryuchellがいてくれたからつくられたもの」

「ああもう、何してんねん…」。訃報が飛び込んできたとき、pecoさんの頭に真っ先に浮かんだのはそんな言葉だった。大切な家族の喪失に、pecoさんと幼い子どもはどう向き合ってきたのか。
pecoさん
peco『My Life』(祥伝社)
pecoさん

大切な家族の喪失に、pecoさんと幼い子どもはどう向き合ってきたのか。初エッセイ『My Life』(祥伝社)で胸の内を語ったpecoさんに聞いた。

「アホやなあ」という思いは今も

ryuchellさんの訃報を聞いたpecoさん。

「最初に浮かんだのは、『ああもう、何してんねん……もうほんまにアホやなあ』という思いでした。もう、アホやなあって思いは今も変わらずにあります。

でも、私が何をどう思っても、何かのせいだったとか考えても、時間はもう戻らないし何も変えられない。

今の私にできることは、目の前にいる大事な家族と今日を過ごすこと。ryuchellが残してくれた最愛の息子と、保護犬のアリソン。この大事な家族と今日を過ごして、明日も過ごしていく。今はそれしか考えていません。だから、ryuchellも見ていてね、応援していてね。そんな気持ちです」

pecoさんのエッセイ『My Life』では、ryuchellさんの死を知った当日のことも明かされている。

現地で仲良くなったホテルの日本人スタッフの女性が、子どもが眠った後に部屋に来て抱きしめてくれたこと。そのとき初めて涙がこぼれたこと。「pecoちゃん、今がいちばん頑張るときだからね」と背中を叩いてくれるような言葉をくれたこと。

「自分で自分のお尻を叩きながら人生を前に進めてきた私にとっては、そのとき彼女が言ってくれた『今がいちばん頑張るときだからね』という言葉がすごくぴったりきたんです。悲しみに沈んでいても、現実はもうどうにもならない」

ダダ(=パパ)が大好きな5歳の子どもにも、その死を伝えなければならない。「たぶん今まで生きてきた中でいちばんつらい、地獄みたいな瞬間」だったとpecoさんは振り返る。それでも、一緒に泣き、抱き合うことで現実を受け入れた。

「ryuchellとの最後のお別れのときには、本気で腹をくくっていく覚悟が固まっていました。ryuchellが安心して空から見ていられるように、ここからは私がやっていくしかないんだ、って」

5歳の子どもはどう受け止めたのか

ryuchellさんの死にまつわる誤解が広まらないようにと、pecoさんは翌日には状況と自身の心境をインスタグラムで投稿。「今、私がやるべきことはこれだから」という強い確信がpecoさんを動かした。

「息子はそこから1カ月間くらいは夜になると悲しくなってしまうようで、寝る前の時間はしくしく泣いていました。そのたびに、『悲しいよね。ママも同じだよ。でもママがいるから大丈夫だよ』『ダダはお空からあなたをずっと見てくれているからね』と話して、息子の気持ちを全力で受け止めることを大事にしてきました。

そんなやり取りを1カ月ほど続けて、夏休みが明けて慌ただしくなった頃には、息子の気持ちも少し切り替わったようでした。

もちろん今でも悲しくて泣いちゃうことはしょっちゅうありますよ。でも今は悲しいことだけじゃなくて、ダダとの楽しい思い出もいっぱい話せるようになりました。

『なんかこのへん臭くない?』『ダダがおならしたんじゃな~い?(笑)』

なんて会話ができるくらいに、私と息子の生活の中には今もryuchellがいます。

『ほら、こんなに思われて幸せやろ? 感謝しいや!』ってryuchellには言いたいです(笑)」

そんな風に親としての強さを発揮できたのは、pecoさん自身が家族に愛され、守られてきたからでもある。

「私は大阪で生まれ育って上京するまでの18年間、両親の仲に心配や不安を抱いたことが一度もなかったんです。私たち子どもを何よりも大事にしてくれて、何の心配もなく自由気ままに育ててくれた。

それがどれだけ幸せなことなのか、お母さんがどれほどまでに自分の身を削ってくれたのか。そういうことが大人になって理解できたし、私も同じように息子が幸せだと思えて安心できる環境を与えてあげたい。それが親になることを選んだ自分の役割だと思っています」

「この家族でよかった」と思える

「夫という役割がもう苦しい」という告白から、ryuchellさんのメイクやファッションは徐々に「女性的」な方向へと変化していった。外見が変わっていくryuchellさんを、子どもはどんな風に見ていたのだろう。

「息子が生まれる前から、ryuchellはメイクをしていたしかわいいものが好きでした。でも告白の後、どんどん変化していくダダを目の当たりにして、もしかすると複雑な心境もあったかもしれません。

でも、今の息子の優しい部分は、間違いなくryuchellがそばにいてくれたからつくられたものだと思っています。

例えば、お友達同士で『大人になったら誰と結婚する?』『ぼく、◯◯ちゃんと結婚する』なんてかわいらしい会話をしているとき、『男の人と男の人が結婚してもいいんだよ』とさらりと言えるところ。

誰かが誰かを好きになるのに性別は関係ないし、『すごくハッピーなこと』と息子は自然に受け止めています。

自分が好きなものをお友達に『ダサいよ!』なんて言われても、怒りも悲しみもせず『そうかな』とフラットに受け止めるところもそう。

自分は自分、人は人、だから好きなものが違ってもいい。ごく自然にそう振る舞っている息子はすごいなあと思うし、この家族でよかったなとあらためて思います」

続く第3回インタビューでは、嵐のような出来事の最中にあっても自分の軸が揺るがない、そんなpecoさんの軸がどのようにしてつくられてきたのか、聞いた。

(取材・文:阿部花恵 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)