『かぐや姫の物語』は、高畑勲との「別れの物語」だ。

金曜ロードSHOW!で5月18日に「かぐや姫の物語」が放送される。
かぐや姫の物語© 2013 畑事務所・Studio Ghibli・NDHDMTK

日本テレビ系「金曜ロードSHOW!」で5月18日夜9時から『かぐや姫の物語』が放送される。

82年の生涯をかけて、アニメーションの可能性を追い求めた高畑さん。遺作となったのが『かぐや姫の物語』だ。

3日前に営まれた高畑さんの「お別れの会」でも、『かぐや姫の物語』が随所に散りばめられていた。この映画は、いかにして作られたのか。それを少し紐解いてみたい。

■「かぐや姫の物語」は、"声"から始まった

2011年8月、東京・三鷹市のスタジオジブリに、メインキャストたちが集められた。翁役の地井武男さん、媼役の宮本信子さん、そして、オーディションで選ばれたかぐや姫役の朝倉あきさん。そして、そこには高畑監督もいた。

俳優陣を前に、高畑監督はこう語った。

「竹取物語の原作をうろ覚えで知っている人には、原作通りに進んでいる。それがミソ。そのくせに印象が違うなという感じにしたい」

かぐや姫の物語は先にセリフ音声を収録し、それに合わせて作画をする「プレスコ」という手法で制作された。この日の読み合わせの時点で完成している画は一枚もなかった。

絵のないプレスコでは、俳優たちに想像力が求められる。俳優たちの演技が、高畑監督のアニメーションづくりのヒントになっていく。高畑監督も俳優たちと一緒に試行錯誤を繰り返し、完成予想図を組み立てていった。

そう。『かぐや姫の物語』は、声から始まったのだった。

■なぜ「竹取物語」がテーマなのか。

幼子を見つける竹取の翁(土佐広通、土佐広澄・画)
幼子を見つける竹取の翁(土佐広通、土佐広澄・画)
Wikimedia

『かぐや姫の物語』。原作は、日本最古の物語文学と言われる『竹取物語』だ。竹から生まれたかぐや姫が、5人の公達と帝からの求婚に応じず、やがては月へ帰っていく。

日本人なら誰でも知っている物語。だが、ストーリーそのものが面白かったとか、感動したとかの記憶はない――。そんな印象を持つ人もいるかもしれない。

ではなぜ、高畑監督は『竹取物語』を描こうと思ったのか。

きっかけは、若き頃の高畑監督が『竹取物語』をテーマにした企画を考えるよう会社から言われた時、ふと抱いた疑問がきっかけだった。

「かぐや姫はいったい何故、何のために地上にやって来たのだろうか」

その疑問に向き合った高畑監督が、自ら導き出した答えが『かぐや姫の物語』だった。

たくさんの可能性を持っていたのに、(かぐや姫は)可能性を活かすことができずに(月に)帰るということは、死ぬこと。(月は)あの世です。

(『高畑勲、『かぐや姫の物語』をつくる。~ジブリ第7スタジオ、933日の伝説~』)

かぐや姫は「生」を享受するために地球へやってきた。そして、月に帰ることは「死」だ。高畑監督は、そう捉えていた。

構想50年、企画・制作に8年。「アニメーション監督・高畑勲」の集大成と言える映画は、こうして形づくられていった。

■試行錯誤の人・高畑勲は、セルアニメの「破壊」にも挑んだ

AFP/Getty Images

『かぐや姫の物語』は『となりの山田くん』(1999年)以来、14年ぶりの作品だった。その間、なにがあったのか。

高畑監督は、常に試行錯誤の人だった。

1968年、高畑監督が32歳のとき『太陽の王子ホルスの大冒険』で演出を担当。複雑な心理描写や人間の内面を描くスタイルは、子供向けアニメの枠組みを超越していた。5月15日の「お別れの会」で宮﨑駿監督は、高畑監督とともに映画を作った日々を回想し、こう語っていた。

初号(試写)で僕は初めて、迷いの森のヒロイン、ヒルダのシーンを見た。作画は大先輩の森康二さんだった。なんという圧倒的な表現だったろう。なんという強い絵。なんという...優しさだったろう...。これをパクさん(高畑監督の愛称)は表現したかったのだと初めてわかった。

高畑勲さん「お別れ会」 宮崎駿監督は声を詰まらせながら、亡き盟友を偲んだ〈全文〉)

高畑監督は実験を忘れなかった。「火垂るの墓」では徹底的な描写でリアリズムを追求。「平成狸合戦ぽんぽこ」では、コミカルな狸たちを描きながら、自然と人間の対立や現代社会の矛盾を痛烈に風刺した。

やがて高畑監督は、セル画を用いたアニメーションの作り方そのものを変えようとした。それが『となりの山田くん』だった。

ホーホケキョ となりの山田くん© 1999 いしいひさいち・畑事務所・Studio Ghibli・NHD

自分はセルアニメはもう嫌で。いわゆるセルアニメはやりたいと思ってなかった。その第一歩として山田くんだし、山田くんの後やる機会がなくなって。ないままになってもしょうがないなと思って。

(『高畑勲、『かぐや姫の物語』をつくる。~ジブリ第7スタジオ、933日の伝説~』)

『山田くん』は、壮大な世界観を描いてきたスタジオジブリらしからぬアニメーションだった。観客に強烈な印象を与え、「ジブリっぽくない」と大きな話題になった。

だが、この作品はジブリの制作現場に大きな混乱をもたらしたという。

高畑監督は、手書き風かつ水彩テイストのアニメーションを作ることを望んだ。だが、当時のジブリにはその体制がなかった。多くのスタッフが、これまでと全く違う仕事を要求された。

作画枚数で『もののけ姫』をしのぐといわれる『山田くん』は、ジブリの制作体制を崩壊させたとも言われる。

そこまでして、なぜ高畑監督は『山田くん』をつくったのか。公開前のインタビューで、こう述べている。

――それがなぜ現実に?

高畑:動機のひとつは、最近のアニメーションへの違和感。子供時代にはアニメの世界にリアリティーを感じても、やがてそこから卒業して現実の世界に立ちかえるというのが健全な姿だと思うんです。

けれども、いまのアニメは現実以上に立派で緻密(ちみつ)な世界を構築し、そこに浸ったまま出てこない人が増えている。そういう快楽主義がいやでね。『山田君』なら、閉じたファンタジーとはまったく違う世界が描けると思った。

――原作にかなり忠実な絵柄ですね。

高畑:ファンタジーに説得力を持たせるため、緻密な描写を追求していくことに常に疑問があり、初心に立ちかえりたかったんです。実写ではできないものを描けるのがアニメなのに、現実以上のリアルさにこだわりすぎている。四コマ漫画でちゃぶ台しか出てこなくても、ほかに家具がないと思う人はいませんよね。

描いていない部分は、みんな自分の生活から連想している。キャラクターだって、あるタイプの人間を代表しているだけで、固有の存在ではない。『これは仮のもんでっせ。本物は奥にありまっせ』というのが四コマのリアリティー。漫画の奥に現実が透けて見えるものにしたかった。

(朝日新聞 1999年5月10日夕刊)

生粋の高畑作品ファンに「一番好きな高畑作品は?」と聞くと「山田くん!」と即答する人がいる。毀誉褒貶があろうと、それだけ高畑監督のアニメーションは、人々の心を引きつける。

製作を支えた故・氏家齊一郎氏も、鈴木敏夫プロデューサーも、「かぐや姫を作るべきだとは言ったが、私が作るとは言っていない」と言い張っていた高畑監督を1年半もの歳月をかけて説得した西村義明プロデューサーも、そして宮﨑駿監督も。皆、思うことは同じ。「高畑さんの映画がみたい」。その一心だった。

ジブリでは作れない映画をつくるため、西村プロデューサーは高畑監督のために新たなスタジオをつくった。「スタジオジブリ第7スタジオ」。アニメーション界で活躍するフリーの精鋭スタッフ80人が結集し、高畑監督とともにアニメーションの限界に挑んだ。

■スケッチ風の絵と、水彩絵の具の背景が合わさると...

高畑監督は、東映動画時代から抱えている思いがあった。それは、原画の初期段階で描かれる勢いのあるスケッチ風の線を、アニメーションに活かしたいという思いだった。

通常のアニメーションでは、初期段階で描かれる線は最後には清書される。高畑監督は長年、この線の勢いを活かしたいと思っていた。

スケッチ風の絵というのは完成画じゃないんだ。たとえば、「こういう気持ちになっているから、それをささっといま書き留めたらこうなったんだ。こういう感じだったんだよ」というような絵になっている。鉛筆でザザッとしたり、途切れたり、そういう手法が大事なんです。

(『高畑勲、『かぐや姫の物語』をつくる。~ジブリ第7スタジオ、933日の伝説~』)

従来のアニメーションとは異なる表現。その根幹を担ったのが、全てのキャラクターと作画を設計した田辺修さん。高畑監督に「田辺さんとでなければ、映画を作らない」と言わしめた人物だ。

作画スタッフたちは、田辺さんの絵コンテをもとに実際のアニメとなる絵を描いていく。求められたのは、迷い線があったり、ラフスケッチのような勢いある作画。精鋭アニメーターにとっても、初めてのことだった。

高畑監督は背景にもこだわった。担当したのは『となりのトトロ』などの背景美術を手掛けた男鹿和雄さん。緻密に描き込まれた背景は、ジブリ作品の代名詞となった。

ただ『かぐや姫の物語』の背景は、これまでのジブリ作品とは異なるものだった。求められたのは、淡く、繊細な、淡彩の背景。通常のアニメで使われるポスターカラーではなく、透明水彩の絵の具で描かれた。塗り直しが出来ないので、美術スタッフには高い技術が要求された。

しかも水彩絵の具は、描いた後に乾かしてみると、思っていたものとは違う色彩がでることもある。にじみ、ムラなども考慮しなければならない。まさに「水もの」の世界。やってみないとわからない。

かぐや姫の物語© 2013 畑事務所・Studio Ghibli・NDHDMTK

色にも妥協はしなかった。通常のアニメーション制作現場では、どこにどんな色を用いるかを指定した「色見本」があるが、『かぐや姫の物語』では作られなかった。全てのカットで、最もふさわしい色合いを模索し、調整した。

総カット数は1423。1つのカットの色を決めるため、6時間も議論したこともあったという。

出来上がった作画に背景が合わさると、まるで一枚の絵のような画面が出来上がった。それが連続したアニメーションになれば、まるで絵巻物のようだ。

人物と背景が一体化したスケッチ風の画面づくり。これこそが高畑監督が『かぐや姫の物語』で目指した表現だった。

■『かぐや姫の物語』は、高畑監督との「別れの物語」かもしれない

高畑勲さんの「お別れの会」(2018年5月15日)
高畑勲さんの「お別れの会」(2018年5月15日)
kei yoshikawa/HuffPost Japan

5月15日、高畑監督の「お別れの会」には久石譲さんの姿があった

高畑監督と久石さんの出会いは、宮﨑駿監督の映画『風の谷のナウシカ』がきっかけだった。プロデューサーだった高畑さんが当時、新進気鋭の作曲家だった久石譲さんを抜擢した。

高畑勲さんの「お別れの会」で挨拶する久石譲さん(2018年5月18日)
高畑勲さんの「お別れの会」で挨拶する久石譲さん(2018年5月18日)
studioGhibli/HuffPost Japan

久石さんは「当時、本当に無名だった僕を起用していただいた。今日あるのは高畑さんのおかげです」と、お別れの会で語っている。

高畑監督は『かぐや姫の物語』で久石さんを起用した。高畑作品の音楽を久石さんが手がけるのは、これが初めて。そして、最後となった。

物語のラストシーン。かぐや姫は、色とりどりの自然に恵まれた地球での記憶を失い、迎えの使者たちと月へ帰っていく。久石さんが作曲した「天人の音楽」にのせて...。この曲は「お別れの会」でもプログラムが終わった後、会場に流れていた。

かぐや姫が月へと帰る悲しい結末を、どう昇華させるべきか。高畑監督は、一人のシンガーソングライターに物語の締めくくりを託した。

その人は、二階堂和美さん。高畑監督が新聞記事で偶然見つけて、その音楽性に惚れ込んだ。かぐや姫が記憶を失い、月へと帰る悲しい結末。主題歌の「いのちの記憶」は、そんな悲劇の目撃者となった観客の心を慰める歌となった。

いまのすべては 過去のすべて

必ず また会える 懐かしい場所で

いまのすべては 未来の希望 

必ず 憶えてる いのちの記憶で

「いのちの記憶」(作詞・作曲・唄 二階堂和美)

二階堂さんは、高畑監督のお別れの会で、涙ながらにこの歌を歌い上げた。高畑監督の「いのちの記憶」を、心に刻むために。

もうこの世に、高畑監督はいない。だが、高畑監督が残した作品と、アニメーションの可能性に挑み続けたその精神は、これからも記憶に残り続ける。

参考資料:

・スタジオジブリ『高畑勲、『かぐや姫の物語』をつくる。〜ジブリ第7スタジオ、933日の伝説〜』

・『かぐや姫の物語』劇場パンフレット

・スタジオジブリ『ジ・アート・オブ かぐや姫の物語』

・キネマ旬報セレクション『高畑勲 「太陽の王子 ホルスの大冒険」から「かぐや姫の物語」まで』

・ユリイカ 『2013年12月号 特集=高畑勲「かぐや姫の物語」の世界』

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