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■「プロになって海外に行ったりした時に何の役にも立たない指導はしたくない」
――そこで自主性と夢がつながってくるんですね。
「自分で道を切り開いていく、それはある意味本田のメンタリティだったりする。自主性というのは本人が打ち出したコンセプトなので、子供たちによってどんどん変わっていくものだと思います。
ただ、結果ってものすごく大事ですよね。だから僕が言ったことはかなり綺麗ごとなんです。でも理想って通さないといけないと思うんです。いま勝つために子供たちにやらせる、それって一時的な欲だと思うんです。
その子供が大人になったり、プロになって海外に行ったりした時に何の役にも立たない指導はしたくないんです」
――本田選手も自主性についてかなり強く言ってるんですか?
「それはものすごいですね。これは、外からは見えづらい部分だと思うのですが、スクールはいわゆる本田の名前貸しじゃないんです。
(海外にいる)本田とはほぼ毎日電話していますけど、8、9割はスクールのことを話しています。本田監修とは謳っているものの、全ての練習メニューのコンセプトやメソッドも本田が現場の責任者と直に連絡をとって議論して決めてるんです」
――そこまで本人がやられているんですか。
「いまユニフォームを制作中なんですけど、デザインから質感までこだわりがすごいんです。それだと子供たちが動きにくいからダメだ、とか」
――人に任せることもできるのに丸投げにしない。
「本田が半年に1回は教えに来てくれることを確約するとか、ビデオレターを1ヵ月に1回くれます、とか。そういうやり方のほうがわかりやすいんですよ」
■本田を超える本田監修のサッカースクールを目指して
――さきほどから聞いていると、まるでアップルのスティーブ・ジョブズ(故人)のようだと感じました。理想が高くて、ディテールにとことんこだわって、スタッフへの要求もめちゃめちゃ厳しい。
「禿げちゃうんじゃないかって思うことありますけど(笑)。いまのは冗談ですけど、本人が妥協しないから、僕たちも甘えられない。
背中で示すというのはそういうことだと思います。その生き様、結果を出す姿勢、壁を乗り越えていく姿は、言葉じゃないところで周りの人を納得させる。あの背中には憧れますよね」
――背中で語る男、かっこ良すぎですね。
「例えは悪いですけど、バンジーってロープなくても飛べるんだぜって言ってるようなもんですよ。いやいや死ぬでしょ、みたいな。いやいや死なないんだって、みたいな」
――何だかよくわからないですけど、すごくブッ飛んだ感じはします。
「でも、彼が辿ってきた道はバンジーをロープなしで飛ぶより難しいことだと思うんです」
――確かにガンバでユースに上がれなくて、オランダでも二部落ちして。そこから覚醒して日本代表の中心選手になった。CLでゴールも決めた。
「本人にしたら想像してなかったと思うんです。レアルの10番って本当に明確なことを想像してる人間がオランダの二部リーグに落ちる。
でもそこから這い上がってきた。一般的な常識ではそれは無理だろうと思うことでも、俺はここに行くんだっていう信念は絶対にブレずに、一歩一歩確実に進んでいく」
■スクールのHPにある「本田は直接指導しません」の意図
――ちょっと気になったのですが、スクールのHPには「本田は直接指導しません」と書いてありましたがなぜですか?
「毎回必ず本田が来てくれるというような誤解をされたくないんです。一番大事なことは、本田が直接教えることじゃなくて、本田がやっていることだと思っているんです。
本田サッカースクールと言ってしまえば、いつまでたっても、そのスクールは本田を超えられないんですね。だから本田はあくまで監修なんです」
――本田を超える?
「本田を超えていかなきゃいけない。いずれ、何十年後かに『実はSOLTILOって本田っていう選手が始めたらしいよ』と言われるぐらいの存在になりたいと思っているんです」
――それはまた壮大な話ですね。
「本田に決して依存してはいけないと思います。もちろん、いまはまだ本人の名前も顔も出さないという段階ではないんですが、本田は主役であって主役じゃない存在ということです。
だからさっき言ったような本田がやっている縁の下の力持ち的なことはものすごく大切なんです。だからこそ、このスクールは続いていくと思うんです。これがもし本田が広告塔にだけなっている企画であれば、いずれ本田がいなくなると終わってしまう」
■「何とか子供たちに会いたい」
――表で陣頭指揮はとらないけど、本田選手のフィロソフィーはしっかり息づいている。
「でもこの間、帰国してる時にちょうどスケジュールが空いてタイミングが合ったのでスクールに顔を出してくれました」
――確かニュースになってましたよね。
「前日は本田と東京にいたんですよ。大阪に帰って、スクールに出れるとわかったのが夜の23時か24時ぐらいだったので、新幹線はもうない。でもいろんな予定を組むんだったら、その日の夜に帰んなきゃダメだ、ゴーだって本田が言って。
それで車を手配して大阪に向かうことになり、車の中で現場担当者に電話です。明日親御さんに電話しても遅いから、非常に迷惑かもしれないと思いながら『こんな夜分に大変申し訳ありません、明日本田がスクールに来ます』と全員に伝えてくれと」
――すごい展開ですね。
「もともとその日のスクールは井高野で予定していたのですが、上新庄の子どもにも全員伝えました。これから何十校になっていけばそういうことは難しいんですけど、今だけは何とか不平等感をなくして、もう全員に声をかけてくれと。
本田は何とか子供たちに会いたいと。もう情熱だけで。結局本田とサッカーをできる子供たちは時間によって違ったのですが、みんなと写真撮ってサインして、頑張れよって。子供たちにとってはすごくいい思い出になったはずです」
(その3に続く)
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(2014年2月6日フットボールチャンネルより転載)