犠牲になった4万人、浦和への処分は妥当か?「JAPANESE ONLY」より悪質なこと(ショーン・キャロル)

先週、差別的な横断幕により無観客試合の処分を受けた浦和レッズ。果たしてこの処分は妥当なのか? 以前にはそれよりも悪質なことをしていたのではないだろうか。

先週、差別的な横断幕により無観客試合の処分を受けた浦和レッズ。果たしてこの処分は妥当なのか? 以前にはそれよりも悪質なことをしていたのではないだろうか。

■埼玉スタジアムの奇妙な光景

そこには、とても不気味な光景が広がっていた。アフシン・ゴトビ監督は、試合後「魂を持っていなかった」と語った。

私は、空席が多く目立つ味の素スタジアムでの東京ヴェルディの試合を何度も観てきた。しかし、浦和レッズの試合にも関わらず、無人の埼玉スタジアムというのは非常に奇妙なものだった。

一部のファンが浦和美園駅周辺に集まるのではないかと若干危惧していた。しかし、男性も、女性も子供もクラブから出された要請を留意して、十分に離れた場所に滞在していたようだ。

メディアに対してはレッズによるガイドラインが出された。そして、我々が入場するキックオフの2時間前には確実に準備され、"Sports For Peace"と書かれたフォルダー、ステッカーと英語のメディアガイドが手渡された。そして、阿部勇樹による全ての差別を否定するスピーチを聞いた。

試合は選手とコーチの声だけを背景に行われた。そして、試合に関わった人々は通常よりも集中力は低下していたと主張した。「私は、プレーをするときにはファンの声を聞くことが出来るけど、それが遮断された」と、清水エスパルスのカルフィン・ヨン・ア・ピンは試合後に語った。

さらに、「注目を集める試合だろうけど、私にとっては、まるで違う試合のように感じられた」と語った。スタジアムで観た人も、テレビで観た人も、まるで練習試合のように感じたはずだ。

■「JAPANESE ONLY」より悪質なこと

罰はふさわしかったか? ノー。

罰を与えることは、人として当然の事だったか? イエス

20人ほどのファンによる走り書き「JAPANESE ONLY」は、スタジアムへの入場を禁止された4万人のファンにとって正当な理由にはならない。――今回の罰は、この行為にはふさわしくない。

しかし、レッズ・サポーターは、以前にもまるでピッチ上のように様々な攻撃を生み出し、注意を受けてきた。特に清水に対して。

昨年、彼らは埼玉スタジアムでエスパルスに1-0で敗れた後、エスパルスのファンを監禁した(2013年、彼らは外へ出られなかった。今年は中へ入れなかった。2015年には何が待ち受けているというのか?)。

さらに、数人のまぬけな人間はアウェーゲームの後、エスパルスのバスへ爆竹を投げつけた。それら両方の事件は、実際は今回の横断幕の問題よりもはるかに悪質だ。

実は、今回の悪名高い「JAPANESE ONLY」の横断幕を見た私の最初のリアクションは、笑った程度だった。

それは、チームに所属する日本人選手のプライドを苦手な英語を使って表現したかったのか?「ハードコア」であることを示したかったのか? 本当の人種差別だったのか?

私自身、このいずれかに正解があったとしても、笑顔で流せる程度のことだと感じた。

■Jリーグのためにならない選択

人種差別は、もちろん面白い事ではないが、そのような見解を持つ人々に対処する最善の方法は、出来るだけ真剣にそれらを処理することであると思う。

「この国で無知な人がいるならば、彼らを愛し、彼らに教えていこう」

私は、このようにアフシン・ゴトビ監督のような愛と平和の言葉で表現することが出来ない。しかし、感情は共有している。明らかに、国籍、人種、皮膚の色、または他のどの違いにおいても差別をする人々には教育が必要だ。

今回の無観客試合というアプローチは明らかにJリーグのためのオプションではなかった。しかし、海外メディアにも取り上げられる可能性もあり、先細りする国内サポーターの数を押し上げるために海外のファンも獲得したいと考えているならば、大きい何かをビジネスとして示さなければならなかった。

「多くのメディアが報じていたから、多くの人々がこの試合を知っているはず」と、李忠成は試合後に語った。「"Sports For Peace"。我々はTシャツを着ていたし、我々はそのように今日の試合をプレーする事を望んだ。私たちは、これからも続ける必要がある」

「1つの横断幕から、この大きな問題へと発展し、多くの人々の感情を傷つけている。我々は、これが大きな問題であると理解する必要がある。ファンも同じです。この種の事件は二度と起こってほしくない」

■「差別は社会の病気。親から子へ伝染していく」

似たような事件が再び起こるのを防ぐためには、この制裁は下さなければならなかった。そして、この事件が受けた罰の重さは、その目的に向かって助けとなるはずだ。

「私は、起こったことについて話をする重要な機会であると思う」と、ゴトビ監督は試合後の記者会見で語った。「私は、世界のいろいろな地域で差別を受けてきた。差別・人種差別というものはパスポートを持っていなく、それには国籍がない。それは社会の病気だ。そして、親から子へ伝染していくものだ」

ゴトビ監督が指摘したように、それはJ1の1試合を犠牲にしたとしても、そのサイクルを止めるための姿勢を示さなければならなかった。

「正直なところ、私は試合を楽しめなかった」と、50歳になる指揮官は言った。

「ファンがいなかったから、私は楽しめなかった。そして声が無かった。オレンジと赤の美しい色が戦う事が出来なかった。内容は良い時間と、悪い時間があった。それは、ファンの力とエネルギーが欠如していたからだ。空のスタジアムでプレーすることが最後である事を望んでいる」

これには、誰もが同意するだろう。

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(2014年3月29日「フットボールチャンネル」より転載)

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