習近平「真の戦場」は軍の「大手術」 ー宮本雄二

トランプ大統領の登場で、2017年の世界はさらに不確実なものとなった。

世界は、すでに十分すぎるほどの問題を抱え込んでいる。歴史的な大きな転換期にあると言って良い。習近平率いる中国共産党は、その中で2017年、5年に1度の党大会を迎える。党大会は、中国共産党にとり、これから5年間の方針と体制を決める最重要行事であり、いつでも緊張した波乱含みのものとなる。しかもトランプ大統領の登場で、2017年の世界はさらに不確実なものとなった。そういう国際環境の中での第19回党大会となるのだ。

中国を取り巻く国際環境の変化

中国は、世界情勢を「世界の平和は続き(大国間の戦争はない)、経済のグローバル化と経済の相互依存はさらに深まる」と見ている。同時に「世界は、米国一極から多極化への歩みを速めており、そのプロセスは不安定で、リスクはあるが同時にチャンスでもある」と認識している。「世界大国となった中国は、新しい時代の秩序の形成やルール作りに、積極的に関与することにより、自国の利益を確保しなければならない」とも考えている。

中国は、現時点において既存の国際秩序を変えるつもりはない。既存の国際秩序から最大の利益を得ている国が、中国だからだ。たとえ秩序を変える野望を抱いたとしても、予見される将来、中国にそれを構想し、実現する力はない。これが客観的な事実だ。

それができるのではないかと舞い上がった者も中国の一部にいたが、結局は既存の国際秩序の存続を前提として、その修正や補完をするのが得策という結論に落ち着いている。「一帯一路」構想やアジアインフラ投資銀行(AIIB)は、一部で言われたような既存の国際経済秩序への挑戦ではなく、実体は、あくまでも既存の秩序の補完であり、改善を目指すものだ。

しかし欧米を席巻する反グローバリズムは、保護主義と自国第一という考え方を強めている。既存の国際秩序の弱体化への動きでもある。中国が既存の国際秩序を支えようと思ったときに、欧米でその逆のことが起こるのは歴史の皮肉だが、この反グローバリズムは、中国にとっても困ったことなのだ。

譲歩の余地がない「台湾問題」

このように中国を取り巻く大きな国際環境が歴史的な転換期を迎えている。その中で、私は習近平政権には、2つのアキレス腱があると言って来た。1つが経済であり、もう1つが対米関係だ。中国経済については、次回以降に詳しく述べるとして、トランプ政権の登場により、対米関係はさらに難しいものとなってしまった。

2008年のリーマンショックを契機に起こった世界不況を、中国は見事に乗り切り、世界の救世主ともてはやされた。米国は自信喪失気味となり、「世界大国」の夢の実現も間近だと感じた中国は "舞い上がった"。自国の利益と自分の意見を堂々と主張し、場合によっては力を使ってでも実現すべきだと考えたのだ。中国の国際協調派や経済発展重視派の敗北であった。

2009年以来の対外強硬外交は、2012年の尖閣をめぐる日中対立でさらにエスカレートし、南シナ海においても実力行動を拡大した。米国の対中観は厳しさを増し対中姿勢も硬化した。米中は、明白に地政学的な対立関係に入った。中国がさらに攻勢に出れば、もう米国は引けない。最後は中国が負けるか、中国が降りるしかなくなり、私は、そうなれば習近平は国内で持たないな、と思った。

そう心配していると今年の夏以降、中国の対外姿勢が少し落ち着いてきた。党中央の総意として軌道修正したなと判断し、対米関係を習近平の「アキレス腱」リストから外しにかかった時に、トランプ大統領の登場である。しかもトランプは「禁じ手」である台湾問題に不用意にも手をつけてしまったのだ。

12月2日の蔡英文台湾総統との電話会談は、これまでの前例を破るものであった。事前に十分練られた対応ではないようだが、トランプのこの一手は、習近平を相当の窮地に陥れかねない。そもそも台湾問題こそが、チベット問題などと並んで中国の不変の「核心的利益」なのだ。歴代の中国指導者と同様、ここで習近平に譲歩の余地は全くない。トランプもよりによって難しい外交問題を選んでしまったものだ。

「水中探査機奪取」の真相は

12月15日、中国海軍の軍艦が南シナ海の公海上で米海軍所属の海洋調査船が運用していた無人の水中探査機1機を奪う事件が起きた。この事件の解釈は単純なものではあり得ない。

もともと中国は、国連海洋法条約の「航行の自由」原則に留保をつけている。つまり中国の経済水域や領土近くでの軍事的な偵察行動は「平和的」ではなく、受け入れないというものだ。米中の軍事衝突の多くは、この米中の間の解釈の違いから起こっている。

今回の事件の背景にも、このことがある。地理的にはフィリピンに近いのだが、中国はここまでも自分の海だと主張している。だが、この水中探査機を奪う行為が、中央軍事委員会主席である習近平の事前の了解を得ていたかどうかについては、私は、おそらく得てはいないだろうと判断している。百歩譲っても、正式の了解は取っていないだろう。

間接的にしろトップが関与した場合は、トランプの最近の動きに対する警告の意味合いが大きいことになるが、習近平の了解を取らずにやったとすると、事態はかなり深刻だ。対外関係を緊張させることで、ときの指導者を揺さぶるという、人民解放軍の「なじみの手」を使ったことになるからだ。

このことは習近平の人民解放軍に対する掌握が不十分だということを示し、今後、軍に押される形で対外強硬論が再び表面化することを意味する。少し前に米国のシンクタンクが、中国は南シナ海の南沙(英語名スプラトリー)諸島の人工島全てに大型防空設備を配備したと伝えたことも、良くない前兆だ。

かくして来年の党大会に向けて、習近平が、とりわけ人事を通じて、どれほど自分の体制を強化できるのか、人民解放軍に対する掌握をどの程度強めることができるのかが、大きな意味を持ってくることが分かる。習近平体制が安定しないと、中国外交も安定しないのだ。

中国外交は臨機応変の対応を苦手とする。対応策は時間をかけて検討する。しかし1度決めるとそう簡単に変えることはしないし、できない。そもそも米中は、放っておいても厳しくならざるを得ない地政学的な対立関係にある。トランプが、さらに中国を刺激すると、中国も覚悟を決め、厳しい米中関係の幕開けとなろう。

「軍」をどこまで掌握できるか

中国のこれからにとり、第19回党大会は極めて重要な意味を持つ。経済についてもそうだ。中国経済が順調でない理由の1つに、習近平と李克強との協力関係が不十分な点があるからだ。この問題がどういう形で処理されるかで、その後の経済運営にも影響が出る。

すべての鍵は人事であり、その前哨戦はずっと前から始まっている。党中央委員会、政治局、政治局常務委員会がどういう顔ぶれになるかで、習近平政権の安定度が分かる。最も重要なことは、習近平が改革を推進できる指導体制を築けるかどうかである。誰が国務院総理になるのか、退職年齢に達する王岐山は残るのか、習近平の次の指導者候補に誰が入るのか、といったことは、この意味で重要なのだ。

習近平体制がしっかりしたものにならなければ、改革は中途半端に終わり、経済の持続的成長も難しくなり、中国の安定にまで影響が及ぶ。中国の不安定化は世界にとっても困る。習近平の指導力が弱ければ、国内のナショナリズムが求める対外強硬姿勢を押さえることも難しくなる。ましてやトランプ政権との間でボタンの掛け違いが起こりそうなだけに、しっかりした習近平体制の確立は国際政治にとっても必要不可欠なのだ。

表の華やかな人事の動きとともに、表には出てこない習近平による人民解放軍掌握の度合いをしっかりと測る必要がある。習近平政権の安定度は、習近平が人民解放軍を掌握することで飛躍的に高まる。前政権の大物軍人を腐敗で叩き、空前の人民解放軍改革を着実に実施に移しているのも、そのためである。

それにしても軍の腐敗はひどかった。だから心ある軍人たちが習近平の改革を支持してきたのだ。だが、さらなる反腐敗と改革の推進は、軍の既得権益をさらに突き崩す。軍全体の忠誠心を維持しながら、外科手術、それも大手術を進めていくことは決して容易ではない。習近平の真の戦場は、ここにある気がしてならない。(文中敬称略)

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宮本雄二

みやもと・ゆうじ 宮本アジア研究所代表、元駐中国特命全権大使。1946年福岡県生まれ。69年京都大学法学部卒業後、外務省入省。78年国際連合日本政府代表部一等書記官、81年在中華人民共和国日本国大使館一等書記官、83年欧亜局ソヴィエト連邦課首席事務官、85年国際連合局軍縮課長、87年大臣官房外務大臣秘書官。89 年情報調査局企画課長、90年アジア局中国課長、91年英国国際戦略問題研究所(IISS)研究員、92年外務省研修所副所長、94年在アトランタ日本国総領事館総領事。97年在中華人民共和国日本国大使館特命全権公使、2001年軍備管理・科学審議官(大使)、02年在ミャンマー連邦日本国大使館特命全権大使、04年特命全権大使(沖縄担当)、2006年在中華人民共和国日本国大使館特命全権大使。2010年退官。現在、宮本アジア研究所代表、日中友好会館副会長、日本日中関係学会会長。著書に『これから、中国とどう付き合うか』(日本経済新聞出版社)、『激変ミャンマーを読み解く』(東京書籍)、『習近平の中国』(新潮新書)。

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(2017年1月2日フォーサイトより転載)

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