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2015年09月19日 15時31分 JST | 更新 2016年09月17日 18時12分 JST

福島原発事故「4年半」の現実(下)「除染ゴールド・ラッシュ」の果てに

人影もまばらな夜の街に、派手な極彩色の看板がきらめく。

福島・南相馬市の中心部、原町の繁華街。看板の店名には「韓国パブ〇〇」とある。

地元商店に聞くと、この1年間で次々と6軒が開店したそうだ。

「実態は"風俗"だろうと我々は見ているんですがね」

風紀が心配ではないのか、と聞くと、「まあ、気になるから、家族や女性従業員にはあまり出歩かないように注意しているけど、普通の飲食店は助かっている面もあるんですよ」と言う。「あの種の店がないときには、荒っぽい連中が小料理屋や焼き鳥屋に押しかけてきて、深夜まで大声で騒いでいたんです。入れ墨のもいたし、そのせいで地元のなじみ客がこわがって来なくなり大変でしたから」

騒ぎの主はほとんどが、県外から来ている除染作業員だ。東京電力福島第1原子力発電所事故で飛散した放射性物質の除染事業のためだけに福島に来た出稼ぎ労働者。家族がいるわけではないので、夜は飲むしかない人が大半だ。

なるほど、店には「一見さんお断り」の紙を貼りだしているところもある。今では客層の棲み分けが定着し、店先でのトラブルはなくなったというが、こういう「よそ者」の新住民は南相馬だけで1万人を超えるともいわれる。こうして、福島の海岸沿い、いわゆる浜通りの農村地帯に最盛期7万人がおっとり暮らしていた南相馬は、異文化と共存する町になった。

未来を語る場面がない舞台


当たり前だが、除染作業は放射能に汚染された地域で行われる。危険が伴い、人がいやがる仕事だ。自治体や地場の建設業者が行っているような普通の作業員募集では人手は集まらない。

従って、労務者を集める手法と経験に実績のある大手ゼネコンに頼らざるをえない。大手企業が作業地域を区分けして事業を請け負い、東電に代わって国が復興予算から費用を企業に立て替え払いする。カネに糸目をつけないとはいえ、人のいやがる仕事だから、どうしても荒っぽい人集めになる。「個々の作業員の身元確認などはとてもやっていられない」とゼネコンの現地事務所は打ち明ける。

賃金はその時々の労務者市場の相場で決められ、今だと一説には表向きの一般公共事業の2倍、4万円の日当が支払われているという。このうち1万円は「危険手当」だ。この異常な賃金水準が全国から「限界労働力」を原発事故の現場に吸い寄せる。

いわば福島版「ゴールド・ラッシュ」が繰り広げられているのである。

西部劇では、荒くれ男たちが砂金を掘り当てようと押し寄せた。ただ、西部劇の舞台にはそれなりの夢があった。だからこそ、クレメンタインの物語も生まれた。だが、ここ福島の舞台には未来を語る場面がない。福島に似合うのは、汚染物質を相手にいつ終わるか分からない、その日暮らしの暗い人生なのだ。

大阪・寝屋川で中学生2人を殺害したとして逮捕された山田浩二容疑者は、昨秋、刑務所を出た直後に、南相馬に作業員として身を寄せていたという多数の証言がある。有名な相馬野馬追の祭りにも姿を見せていたらしい。もちろん、除染作業員の大部分は真面目に働いている人たちなのだから、山田容疑者と同列に見られるのは迷惑千万だろうが、それでも自治体も業者も余計なことを口にしたがらない。 

今も残る無残な姿


福島の「ゴールド・ラッシュ」には、それなりの事情がある。

もともと福島は他の被災2県に比べて、通常の復興で大きく遅れをとっていた。原因はもちろん原発事故である。

震災直後、被災地ではまず「仮復旧」と称した応急工事が行われた。陥没した道路を埋めて通れるようにしたり,壊れた堤防に土嚢を積んだりするなど、日常生活をとりあえず回復して本格復興に備えた。「仮復旧」工事の多くは地元建設業者が行政との随意契約を結び急場をまかなった。だが、本格復興工事となると、一般競争入札を通じて技術や資金力のある大手ゼネコンと契約しなければならない。公共工事を日常の姿に戻すことが必要になるのだ。

宮城、岩手の両県は既に2年ほど前から、そうやって大規模工事に取りかかり、町の高台移転や堤防の本格建設などを始めた。ところが、福島ではいつまでたっても本格的な復旧工事は始まらなかった。国が指定した避難指示区域に立ち入れずに工事どころではないところが多く、立ち入りができる場所でも企業や作業員が被ばくを嫌って作業をいやがったからだ。

他県に2年遅れて福島でも避難指示が解除された場所などで本格復旧工事を始めようとしたころには、人件費も資材も高騰していた。入札不調が続出し、福島の平均落札率は8割を切る事態となった。

福島経済は仮復旧がおわった段階で壁に突き当たり、なかなか前に進めなくなった。

浪江町の請戸地区や南相馬市の小高区などでは、今も時間が止まったように被災当時とほとんど変わらない「仮復旧」のままの無残な建物や港の姿が見られる。

最初から念頭にない「本気の復興」


このままでは福島経済は立ち枯れとなる。そこで生命維持装置として福島に与えられたのが除染事業だったのである。建前は一応「復興」に向かってふるさとを取り戻すため、あるいはこの先、本当に安心して住めるようにするため、などと説明されたが、その言葉通り本当に町や村を元の姿に戻して、安心して住めるようにするつもりは国には端からなかった。そういう本格除染には、田や畑の土を取り替え、森林を伐採し、住宅の屋根にしみこんだ汚染物質を取り除いて家屋を建て直す作業が必要だ(南相馬市の顧問を務める児玉龍彦東大教授)。それには気が遠くなるような作業量と天文学的な費用がかかる。

真面目に住民を帰還させようと考えるなら、それを覚悟で取り組まなければならなかった。それこそが、歴史に残る原発事故を起こした東電と国が支払わねばならない代償というものだ。

それでは東電はもとより、国の懐ももたない――。いくらかかるか、いつまでかかるか、おそらくそのような試算をするまでもなく、政府には本気の「福島復興」は最初から念頭になかったに違いない。前回の本欄(2015年9月11日「福島原発事故『4年半』の現実(上)国が進める『棄民政策』」)に書いたように、そのとき問われるのは空前の責任問題だ。

しかし、そこまで考えなければ、つまりまじめに考えずに、そこそこの程度の除染事業に収めておこうと思えば、生存が危ぶまれた福島の生命維持のためのカンフル剤としては役に立つ。

崩壊した福島の自治


地元企業や住民よりも、大手ゼネコンにとってその恩恵は大きかった。完全な除染後に行われる競争入札を通じた本格復興事業などよりも、リスクはなく手っ取り早く日銭が入るからだ。面倒くさい手続きはいらないし、公共事業と違って代金は請求すれば2カ月後にはおりる。作業員の斡旋手数料も入る。地元社会にも、「韓国パブ」は別として、旅館、仕出し弁当屋、ガソリンスタンドなど、多少のカネは落ちた。

しかし、しょせんはその程度のことである。

「こんなことをやっているだけでは本当の復興はありえないということは、福島では誰でもハラの中では分かっている」と県建設業協会の幹部は言う。

分かってはいても、住民は沈黙した。カンフル剤と連動して設計された生活支援や東電からの賠償金制度には、住民を黙らせる十分な効果があった。細かく線引きされた地域区分によって目先、手に入るカネに差がつき、住民の団結は阻まれた。地域の将来像を語ろうという声は、住民同士の対立の中にかき消えた。

故郷が直面した危機的事態を前に、福島の自治は崩壊したのである。

今、住民の意思と関係なく進んでいるのは、オリンピックを控え「復興」の体裁を整える施策だけ。体裁を繕うことで、あの歴史的な大事故をなかったことにする、あるいは、もう傷は癒えたと強弁する意図である。

「除染ゴールド・ラッシュ」にはいつか必ず終わりが来る。本格除染をやらなくても財政負担には限度があるからだ。現に政府は、集中復興期間の終了を予定し、復興予算を打ち切る方向を明らかにしている。「その時」は目前に迫っている。

ゴールド・ラッシュが終わったら、その後はどうなるのか。今、楢葉町で進んでいる事態がそれを予言する。

9月5日に避難区域の解除を受けた楢葉町から除染作業員が続々、町を出ている。避難区域だからこそ受けられた危険手当が、ここでは支給されなくなったからだ。除染手当がなくなった時、地域に残るものは何か。空洞化した住民自治は、地域の未来図を描くことができるのだろうか。

失われる「貴重なデータ」


地域社会を愚弄したのは、中途半端な除染事業だけではない。

「人類が経験したことのないほどの福島の事故なのに、被害の実態がはっきりつかめない。それを把握しようという努力さえせず、他の原発の再稼働を急ぐのは問題だと思います」と、南相馬市立総合病院の坪倉正治医師は言う。

ふだんは慎重に言葉を選ぶ同氏だが、「この大事故は一体何だったのか」、このままではあいまいなまま歴史の闇に埋もれてしまうと言うとき、口調は鋭くなった。

同氏は、東京大学医科学研究所から自ら希望して南相馬に赴任した。地域医療への関心に加え、専門の白血病研究にとっても貴重な経験になると考えたからだ。

しかし、この期待は裏切られた。

放射線被ばくとがん発症との間にどういう関係があるのかは、被ばくを論じる際、常に最も重要なテーマだ。しかし、この問題については今も、第2次世界大戦時の広島、長崎の原爆の被ばくデータが研究や政策決定の基本的なよりどころとなっている。問題の性質上、被ばくの影響は実験ができないからだ。特に低線量・低線量率被ばくの晩発障害(年間100ミリシーベルト以下の被ばくをした人が、何年もの期間をおいて発症するケース)に関しては、データは極めて不十分であり、研究者の間の議論も実証性に乏しくなることが指摘されてきた。だから、今回の事故は、研究者にとって、またとないデータ蓄積の機会と言われている。

そのためには、被ばく者について長い期間、継続的に追跡調査を行うことが重要、不可欠になる。データは被ばく者の年齢、性別などによる感受性の相違、さらには生活環境、食生活なども重ね合わせてきめ細かく積み重ねなければならない。ところが、坪倉医師によると、その必要性についての認識が、特に行政には極めて希薄で、このままでは貴重なデータが失われかねないという。医師や研究者にとって、行政の積極的な関与がなければ追跡調査は不可能に近い。

「なかったこと」に


たとえば福島で被ばくした人が大阪に引っ越したとする。公衆衛生の所管は自治体だから、これらのデータ収集については被ばく者が現在住む自治体の協力を求めなければならないが、自治体にとってはこれら住民の個人情報は保護の対象である。政府が「特殊なケース」として強く自治体を指導し、情報の全国的な集約と秘匿の方策を徹底させなければ、こうした重要な追跡調査は実現しない。

今日の医療法では、医療機関のカルテ保存義務は5年間だ。来年3月には、福島事故から5年が経過する。もし、被ばく者や被ばく後にがんを発症した患者のカルテが廃棄されてしまえば、「あの事故は医療研究にとって『なかったこと』になってしまう」。

政治的、社会的には事故がなかったことになる方が都合がいい人もいるかもしれないが、問題はそういうことではないと坪倉医師は言う。

南相馬市立総合病院では、坪倉医師の要請で内部被ばく測定機器「ホールボディーカウンター」を導入、最近は子供用の機器も追加して態勢を整えているが、受診に訪れる市民は年々減っている。市民の間に長期的な追跡測定の必要についての認識が、事故から時間が経過するにつれてどんどん薄れている、と坪倉医師は危機感を募らせている。チェルノブイリ事故では、被ばく5年後に発症した事例も少なくない。行政や教育機関がそれを教えないと、本当の放射線対策はできない。

福島原発事故後、南相馬市立総合病院をはじめとする医療機関の医師や看護師は、被ばくの影響を心配する地元住民への対応に奮闘した。除染事業が始まると、除染作業員の面倒も見なければならなくなった。保険証を持たない人であっても、飲食店と違って、「一見さんお断り」の札を出すわけにはいかない。こうした努力の積み重ねが研究成果の面にも反映されてほしい、と願う坪倉医師の声は、しかし政府には全く届いていないようだという。

辺境の「無法地帯」に


行政関係者、医療従事者、地域住民、ゼネコン、飲食店や除染作業員。南相馬の地域社会の舞台には、これら様々な関係者の他に、顔の見えない役者も見え隠れする。

「私らが怖いのは、ゼネコンの裏でこの人たちを集めて連れてきているのが県外の広域組織暴力団だと言われていることなんです」(地元商店)

南相馬の繁華街をもともと仕切ってきたのは在京の組織暴力団といわれている。それが、除染の労務者集めに関西系の組織と手を握ったとの情報が流れた。除染作業が終わった時に、この裏の地域支配の構図に何が起きるのか。

その昔、これとよく似た光景を見たことがある。筆者が北海道に勤務していた25年前、根室市とすぐ目の前の北方4島をはさむ海峡で行われていた利権争いである。カニや鱈の漁場に出没するソ連船と日本の漁船はあるときは争い、あるときは取引する。驚いたことに、取引の道具に生身の女性を使うのだと得意そうに話していた関係者がいた。

こうした「闇市場」に乗り出してきていたのは、やはり関西系の広域暴力団だと言われていた。ロシアと日本のマフィア同士の取引だ。ご多分に漏れず、根室の町にも「韓国パブ」が進出し、通りにはロシア人が闊歩していた。日露の裏組織は、どこかで手を握っていたのかもしれない。もちろんそこは国境などないに等しく、パスポートもビザも存在しない世界だった。

日活映画の『渡り鳥シリーズ』は、こうした無法の辺境だった。福島は今、原発汚染にまみれた辺境の渡り鳥の「無法地帯」になりつつあるのだろうか。

「もはや外国人しかいない」


安倍晋三首相は、福島の未来を支える柱の1つが「廃炉産業」だと言った。福島の経済人はこの話にのけぞった。廃炉は除染よりはるかに危険な作業である。除染をしているだけで福島は嫌われてきたのに、一体だれが廃炉作業に従事するというのか。

「もはや外国人しかいませんよ。だから首相みずから音頭をとって、外国人研修制度なんていう構想を打ち出したんです」(同)

辺境の地、福島が、故郷を失った外国人であふれる日が来るのだろうか。

吉野源太郎

ジャーナリスト、日本経済研究センター客員研究員。1943年生れ。東京大学文学部卒。67年日本経済新聞社入社。日経ビジネス副編集長、日経流通新聞編集長、編集局次長などを経て95年より論説委員。2006年3月より現職。デフレ経済の到来や道路公団改革の不充分さなどを的確に予言・指摘してきた。『西武事件』(日本経済新聞社)など著書多数。

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(2015年9月18日フォーサイトより転載)