トランプ政権が発足してまだ20日しか経たないが、矢継ぎ早に大統領令を発し、様々な政治的社会的混乱を招く中、イランがミサイル実験を1月29日に行った。
トランプ政権の安全保障担当大統領補佐官であるフリン氏がイランに対して「警告する(on notice)」といった攻撃的な姿勢を見せたことで、新政権はさらなる火種を抱えることとなった。
「核合意の破棄」を主張していたが
トランプ大統領は選挙期間中から、イラン核合意は「ひどい取引」であり、イランに1500億ドルをプレゼントしたものであり、大統領になったら最初の仕事として核合意を破棄する、と主張していた。
また、大きな混乱を招いたムスリムが多数を占める7カ国からの入国一時禁止の大統領令の中に、イランも含まれていた。
1979年のイラン・イスラム革命以来、アメリカに亡命してきたイラン人やその家族は数多く、7カ国の中でも最も多くビザが発給されているイランは、この措置に強い批判を行ったが、トランプ政権はお構いなしにこの措置を強行した。
このようにトランプ政権のイランへの対決姿勢が前面に出される中でのミサイル実験であったため、オバマ政権のレガシーである核合意は風前の灯火であるかのように思われた。
しかし、最終的にトランプ政権がとった結論は、ミサイル実験を非難し、イラン国内でミサイル開発に関連する13人の個人と12の団体を追加制裁するにとどまり、核合意の破棄には至らなかった。
多くのメディアが「対立激化は必至(日経新聞)」「米イラン両国の対立が先鋭化する懸念(毎日新聞)」と報じ、また専門家の中でも「ミサイル実験が核合意に影響を与える(英国際戦略研究所)」との議論が出ていたが、なぜトランプ政権は抑制的な対処をすることになったのであろうか。
ここでは、米イラン関係や核合意を巡る、いくつかの誤解や誤ったイメージについて、少し解説してみたい。
ミサイル実験は核合意違反ではない
まず「核合意」とは何であったかを確認しておきたい。
「核合意」と呼ばれるものは正式にはJoint Comprehensive Plan of Action(JCPOA)、つまり「包括的共同作業計画」と呼ばれる合意で、これは2015年7月14日にP5+1(安保理常任理事国である米英仏中ロとドイツ)とイランの間で結ばれたものである。
ここでは純粋にイランの核開発に関する制限を行い、イランは部分的に平和目的の原子力開発を行うことは認められたが、IAEA(国際原子力機関)の広範な査察を受け入れ、核兵器への転用は出来ないようにすることを目的とした。また、こうした原子力開発の制約を受け入れたことをIAEAが確認すれば、イランに科せられた制裁の大部分を解除する、という合意であった。
この「核合意」の中ではミサイル開発やミサイル実験については一切触れられていない。従って、ミサイル実験は核合意違反ではないし、核合意違反にはなり得ないのである。
核交渉のプロセスにおけるミサイル実験の位置づけ
ではなぜミサイル実験が核合意に違反するかどうかが議論になるのだろうか?
核合意があくまで核開発の制限と制裁解除との取引であれば、ミサイル実験は関係ないはずである。
ここで重要になるのが、これまでイラン核開発の疑惑に対して制裁をかけていた国連安保理決議である。
安保理決議1929号(イラン制裁決議)は、イランの「核兵器を搭載可能な弾道ミサイルの開発と発射」を禁じてきた。しかし、イランは核合意の条件として、過去の安保理決議を無効にし、安保理の制裁の解除を求めたため、ミサイル実験は何の制限もかからなくなる可能性が出てきた。
2013年から続いてきた核交渉では、アメリカのオバマ政権もイランも「核の問題だけを話し合う」という条件付けをしており、核合意はイランの核開発の制限をするためのものということでは一致していた。
しかし、アメリカ側は核合意以外の問題は合意締結以前の状態が続く、つまり安保理決議によるミサイル実験の禁止は続く、と考えていた。
アメリカは核合意成立後、安保理決議の核に関する部分だけを廃止し、ミサイルやその他の制裁は残すつもりでいたのである。他方、イランは核合意の見返りに国連安保理の制裁決議は全て解除されることを核合意の条件としていたため、核合意が成立すればミサイル開発に対する制裁はなくなると考えていた。
この問題は核合意が成立する直前にロシアからの指摘で明らかになった。
ロシアは「アメリカが国連安保理決議の核開発の部分だけ解除するのはおかしい。決議全てを廃止すべきだ」と主張し、それにイランが同意したことで、核合意全体がご破算になる恐れが出てきたのである。
そのため、2015年6月末日に設定していた核交渉の期限を2週間延長し、急ピッチでミサイル関連の制裁(に加えて武器禁輸の制裁)について議論し、かなり大胆な妥協を重ねて核合意の成立に至ったのである。
その妥協とは、ミサイル開発に関する問題は、核合意そのものではなく、核合意によって過去の安保理決議を廃止した後に、ミサイル開発を制限するための新たな国連安保理決議を採択する、という形で行うというものであった。故に、ミサイル開発の問題は安保理決議の違反かどうか、ということは問うことが出来るが、核合意違反かどうかを問うことは出来ないのである。
ミサイル実験は安保理決議違反か?
このように核交渉の過程で出てきた、過去の安保理決議を廃止し、新しい安保理決議を採択するという妥協が形になったのが、安保理決議2231号である。
この2231号ではイラン核合意を国連安保理が承認し、その履行を全ての国連加盟国に義務づけるだけでなく、過去の安保理決議に含まれていたミサイル開発や武器禁輸に対する制裁を時限付きで継続することを定めている。
安保理決議2231号におけるミサイル開発への制裁については過去の記事でも紹介したので詳細には触れないが、ポイントはイランが「核兵器を運搬できるように設計されたミサイルの発射をしないように要請された(Iran is called upon not to undertake any activity related to ballistic missiles designed to be capable of delivering nuclear weapons)」という点である。
これは「要請(called upon)」であるため、法的拘束力がなく、もしイランがミサイル実験を行っても、それを安保理決議違反と言い切ることが出来ない。また、「核兵器を運搬できるように設計された」ミサイルは発射してはいけないが、言い換えれば核兵器を運搬できるように設計していなければ(実際はいかなるミサイルであっても核兵器を小型化すれば運搬することは可能ではあるが)、安保理決議違反にはならない。
イランが「このミサイルは核兵器を運搬するように設計していない」と主張すれば、それで決議違反とはいえない状態が生まれるのである。
そのため、2017年1月29日に行ったイランのミサイル実験は安保理決議違反と断じることも出来ず、決議を根拠にイランを非難することもできないのである。
米・イランの「レトリック戦争」
仮に安保理決議違反ではなくとも、イランのミサイル開発は中東地域における秩序を不安定化させ、イランと敵対するサウジアラビアや湾岸諸国、そしてイスラエルを不安にさせるという問題はある。
特にイスラエルとの関係が強く、イランを敵対視するトランプ政権は、こうしたミサイル実験を許せないと考えていることは間違いない。
フリン安全保障担当大統領補佐官はその筆頭であり、イランのミサイル実験の後、わざわざ記者会見場に現れ、イランはイエメンのフーシ派を支援し、サウジ艦船に攻撃をしている、ミサイル実験は安保理決議違反であるとまくし立てた。
こうした強い対決姿勢があったため、本稿の冒頭で述べたような米イラン関係の対立への懸念が強まったことは間違いないだろう。
しかし、フィナンシャル・タイムズが記事にしたように、これは「レトリックの戦争」という側面がかなり強い。アメリカがイランに対して取り得る行動はかなり限られている。
まず、ミサイル開発を国連安保理で禁ずることは無理だと思われる。核交渉の最終盤でロシアはイランのミサイル開発は認めるべきだと主張し、中国もミサイル開発は主権国家に認められた権利とみている。
これまでミサイル開発が禁じられていたのはあくまでも核兵器の開発とセットであり、核兵器が開発され、それを運搬する能力を得ることが国際の平和と安全を脅かすものだから、という理屈であった。
しかし、核合意によってイランが核兵器を持つ可能性が著しく低くなったことを受け、核兵器を搭載しないのであれば、ミサイル開発は主権国家の自衛のための権利として認められるべきである、という論理である。
そのため、安保理でイランのミサイル開発を禁止する決議案が出れば、確実にロシアと中国は拒否権を行使するものと思われる。
イラン核合意を破棄してでもミサイル開発をやめさせるのか?
さらに、ミサイル開発を根拠にアメリカが核合意を破棄して、核合意で認められた制裁解除を巻き戻すことも難しい。
確かにトランプ大統領は選挙戦中から核合意を破棄すると主張していたが、彼特有の誤解と無理解から生まれた議論であり、そのレトリックをそのまま信じることは出来ない。
実際、大統領になったトランプ氏は初日からイラン核合意を破棄するという大統領令に署名もしていないし、オバマ政権時代に大統領令によって差し止めている、様々なイラン制裁条項を復活させることもしていない。
その背景には、他の優先度の高い政策で政権運営が混乱し、イラン制裁どころの騒ぎではなかった、ということもあるが、同時に核合意を破棄することや核合意で解除が認められた制裁を復活させることは、即座にイランの対抗措置、すなわちイランの核兵器開発を認めることになってしまうということを理解しているからである。
その意味では、トランプ政権は冷静にイランとの間合いを計りながら、核合意についての立場を定めているといえるだろう。
その兆候は大統領就任前から見られていた。
まずイラン核合意を破棄することに熱心だった、上院外交委員会のコーカー委員長(共和党)が2017年1月6日にイラン核合意の破棄は「危機をもたらす」と述べ、核合意を破棄するのではなく、厳格に履行していくという方針に転換した。
また国務長官となるための公聴会でティラーソン氏は、イラン核合意は破棄しないが再検討すると述べ、国防長官に指名されたマティス氏も公聴会でイラン核合意を遵守すると述べた。
こうした流れを決定づけたのは、イラン核合意反対の運動を率いてきたUnited Against cUANI)という組織の変節であろう。
UANIはイスラエルとの関係が深く、イラン核合意の成立に対して、大量のテレビCMを打ち、世論を核合意反対に仕向けて議会が核合意を阻止することを目指していた。
しかし、そのUANIでさえ、「核合意の今すぐの破棄は呼びかけない」とツイートするなど、核合意を遵守する姿勢を見せた。
こうした流れを受けて、トランプ大統領がサウジアラビアのサルマン国王と電話会談した際、「イラン核合意(JCPOA)の厳格な履行の重要性について合意」したと発表された。
また、トランプ政権は核合意を破棄するのではなく、時限付きの条項の期限を延ばすことや、IAEAの査察権限を強化するなどの核合意の強化を目指しているとロイターが報じている。
今回のミサイル実験を受けて、トランプ政権がこうした流れに反して制裁を強化すれば、イラン核合意に自ら違反することをすることになり、イラン側に核兵器開発を進めさせる口実をみすみす与えることになる。
そのリスクを冒してまで制裁を強化することは出来ないと判断せざるを得ない状況だったのである。
穏便で抑制的な制裁強化
しかし、これまでイランに厳しい姿勢を見せてきたトランプ政権としては、イランのミサイル実験に対して、何もしないというわけにはいかない。そのため、ミサイル実験に関わる組織や個人を制裁リストに追加するという措置をとる以外に選択肢はなかった。
ここでは13人の個人と12の団体が制裁リストに追加されているが、これらはほとんどがミサイル開発ないしはレバノンのヒズボラなどに対する支援を根拠にしている。
つまり、核合意で認められた制裁解除を覆す決定ではない。
これに対してイランは当然、核合意で定められた制裁の強化をしないという約束に反していると主張すると思われるが、しかし、すでに述べたように、核合意はあくまでも核兵器開発に関する合意であり、それ以外の問題、つまりミサイル開発に対する制裁や武器禁輸は核合意以前の状態が続くということで暗黙の了解が出来ているため、イラン側の反発も形式的なものに限られるであろう。
実際、オバマ政権も2016年1月にイランのミサイル実験に対して追加制裁を発動し、ミサイル関連企業やテロ支援関連の企業や個人を制裁リストに追加している。これは今回のトランプ政権が行った決定と同じ状況だが、これに対してイランは反発したが具体的な行動はとっていない。
つまり、米イラン関係には、ミサイル実験を行う→米国は追加制裁を行う→イランは反発するが何もしない、というパターンができあがっているのである。
故に、今回もトランプ政権は前例を踏襲し、穏便で抑制的に対応し、イランとの間で事を荒立てないという選択をしたのである。
これまでのパターンを踏襲することで、お互いの行動が予測可能となり、最も望ましくない結果、つまりイランによる核兵器開発の再開やイランへの武力攻撃による中東の秩序破壊といったことを避けることが出来る。
今後、同じようなことが起こった場合、こうしたパターンを踏襲するという保証はないが、少なくとも現時点で、トランプ政権はこのパターンを踏襲することを選んだことは間違いない。
米イラン関係はどこへ向かうのか
イランを敵対視し、イラン核合意を破棄すると豪語してきたトランプ大統領とその側近たちが政権についたとき、米イラン関係は危険な状況を迎えると身構えた人たちも多い。
今回のミサイル実験を契機にトランプ政権が強い反応を見せ、核合意も危うくなると懸念する向きも多かった。しかし、結果としてはオバマ政権の対応と同様の行動をとることで、ひとまずは前例踏襲のパターンができあがったといえよう。
オバマ前大統領にとって、イラン核合意は自身が掲げる「核なき世界」のシンボルであり、また長年にわたる米イラン関係の対立を超えて合意を成立させたことは大きなレガシーであった。しかし、それはオバマ前大統領にとってさえ、米イラン関係の再構築を意味したわけではない。
オバマ前大統領はイランとの関係について「信頼ではなく検証によって成り立つもの」と明言し、イランのミサイル実験に対しては追加制裁を行い、イラクでのISISとの戦いでも事実上の同盟関係にありながら、イランと直接協力することは避けた。
つまり、核合意はあくまで核不拡散のための合意であり、米イラン関係を改善し、1980年以来断絶した国交を回復するような方向に向くものでも、またイランの中東地域における軍事的野心を承認するものでもなかった。
オバマ前大統領はイランを毛嫌いしたわけではなかったが、かといって積極的に良好な関係を築こうとしたわけでもない。
その最大の証拠として、オバマ大統領はかたくなに一次制裁、すなわち米国企業と米国人を対象としたイランに対する制裁は継続したということがある。この米国の制裁が残されたことで、制裁解除後のイランに向けた投資や貿易が積極的に行われなかったという状況が生まれた。
つまり、アメリカはイランが核開発をやめるという点にのみ集中して交渉を行い、核合意を勝ち取れれば、後は今まで通りの国交を断絶した国同士の関係を継続する、という選択をしたのである。
つまり、核合意が成立したとはいえ、核開発に関わる部分以外では米イラン関係の敵対的な関係は変わることはなく、それはトランプ政権になってより過激なレトリックで彩られるようになったが、オバマ政権時代から続く米イラン関係を継続しているに過ぎない。
今回トランプ政権が穏便で抑制的な追加制裁という対処で応じたのも、その継続性を示している。
先日のマティス国防長官の訪日にも見られるように、選挙期間中の過激な発言でヒヤヒヤさせられっぱなしのトランプ政権だが、意外にもオバマ政権の外交政策を継承し、継続しているという姿が見られる。
今回のイランのミサイル実験に対する対応もその一環としてみることが出来るだろう。
トランプ大統領の時代は始まったばかりなので、まだ確定的なことは何も言えないが、現時点までの行動を見ている限り、発言内容の過激さを除けば、オバマ政権の外交政策との継続性の方が強く出ているとみることが出来よう。
鈴木一人
すずき・かずと 北海道大学大学院法学研究科教授。1970年生まれ。1995年立命館大学修士課程修了、2000年英国サセックス大学院博士課程修了。筑波大学助教授を経て、2008年より現職。2013年12月から2015年7月まで国連安保理イラン制裁専門家パネルメンバーとして勤務。著書にPolicy Logics and Institutions of European Space Collaboration (Ashgate)、『宇宙開発と国際政治』(岩波書店、2012年サントリー学芸賞)、『EUの規制力』(日本経済評論社、共編)、『技術・環境・エネルギーの連動リスク』(岩波書店、編者)などがある。
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(2017年2月9日フォーサイトより転載)