大手メディアは「権力」であることを自覚してください

「薬剤師・薬局制度が軽視され続けた日本では、これほど薬剤師のプライド・主体性は失われてしまったのか」

毎月、都内のある薬局を40代の男性が訪れる。「蓋を開けるな。箱が汚れているのはやめてくれ」と言い、到底使い切れない大量の医薬品(一月8万円以上)を持ち帰る。店員はいつも違和感を覚えている。生活保護受給者のため支払いは免除。未開封、外観にこだわるのは転売目的と店主はにらむが、処方箋を発行した病院は「断りたいが暴れる恐れが...」と弁解する。これを聞いて記者はため息をつく。この薬局にはこうした患者が5人ほどいる。

記事はこのような内容でした。

皆さんは、どのような感想を持たれたでしょうか。

私はこの記事を読んで「日経新聞は、自分たちの影響力を自覚していないのだろうか?」と疑問に感じました。それは、以下のような理由からです。

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私の薬局では、このような問題が発生することはありません。

処方箋調剤の際、医薬品を開封せず、箱ごと患者に交付することはありません。転売防止のため、同梱されている医薬品添付文書(医療者向けの説明書)を抜き取るためでもあります。「蓋を開けるな」と患者側が強く主張した時点で、転売目的の可能性を考慮に入れます。

また薬剤師が実施する服薬管理指導業務には、当然ながら服薬状況の把握が含まれます。使い切れない大量の処方内容であれば面談の際に尋ねますし、処方した医師にも照会します。転売の疑いが強ければ、速やかに関係機関や地域の薬剤師会・医師会と連携し、域内の各医療施設にも注意喚起します(一か所の施設が断っても、別の施設に行くケースが多い)。

薬剤師は、医薬品の転売あるいは不適正利用(乱用・犯罪目的)といった問題が存在することを知っています。私自身、この10年で4~5回こういった事例を経験していますが、いずれのケースでも同様に対応しています。薬局・薬剤師が担うべき責務の一つです。

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私はこの記事を読んで、「薬剤師・薬局制度が軽視され続けた日本では、これほど薬剤師のプライド・主体性は失われてしまったのか」と、とても驚いたのです。

薬剤師・薬局はその立場に相応しい職責を果たすべきという意見は、「市販薬は便利で安全な商品であり(たとえ多少危険であったとしても、薬剤師の助言により危険性が変わることはない)、消費者が自由に購入するものだ。薬剤師は処方箋の記載どおり薬を取り揃え、販売するだけだ」という主張によって退けられ、現在の「日本特有の薬局の姿」が導かれています。

その主張には、この分野に関する知識の欠如ゆえの無理解がありましたし、規制緩和や市場化、自己責任といった、(新)自由主義経済を志向するイデオロギーも含まれていました。

そこでは、そもそも規制は何のために存在していたのか、利便性・市場化の代償として失われるものは何か、異なる形での規制緩和はないか、制度の受益者である患者(購入者)にどの程度自己責任を負わせるべきか、といった議論が同時に語られることはありませんでした。

世論は、こうしたスタンスで主張・報道を行う新聞やテレビ、雑誌といった大手メディアに影響を受け、それを再びメディアが取り上げるといった事が繰り返されてきました。

残念ながら現在に至っても、薬剤師や薬局制度についての基本的な理解の上で作成された記事・特集を見かける機会はそう多くありません。

結果的に、大手メディアはこぞって、医師への権限の集中を求める声や、医薬品販売の拡大を願う製薬・販売企業の味方をしてきたことになります(適切な医薬品利用に貢献すべきという薬剤師の職責は、必ずしも販売企業の経済的利益と一致しません)。

メディア自身が、そのことについてどれだけ自覚していたかは分かりませんが。

記事にある「店員」「店主」といった言葉を、通常私たち薬局業界の人間は嫌います。薬局で患者に医療用医薬品を交付するのは「薬剤師」であり、業務全体の責任を負うのは「管理薬剤師」です。

店員や店主であれば、処方箋を発行した医師の行為に異論を唱えることはないでしょうし、業務停止などの行政処分を受ける恐れがない限り、処方箋どおりに医薬品を取り揃え、販売することを(たとえ違和感を覚えたとしても)止めるのは難しいでしょう。薬剤師の多くは医療用医薬品について「販売」ではなく、「調剤」「交付」といった表現を用います。こうした私たちの意識は、社会の要請によって消えゆく職責やプライドを守ろうとする、無駄な抵抗というべきでしょうか。

記事が指摘するように、薬局が担うべき「安心網」は大きく失われました。あるいは、先進諸国で当然のように定着している薬局・薬剤師の存在意義や職責は、日本では国民に理解されるより前に、消滅しつつあると表現すべきかもしれません。

しかし、記事の表現が示唆するように、こうした薬局の姿が導かれることを大手メディアの中で最も強く後押ししてきたのは、他ならぬ日経新聞ではなかったかと思います。

「砂上の安心網」について語るとき、あたかもそれが真空に存在するかのように言及するのではなく、そこに至った経緯、日経新聞がどのような影響を及ぼしてきたかについても、併せて考えて頂きたいと思います。

大手メディアは立派な「権力」として、医療や薬局・薬剤師のあり方に大きな影響を及ぼしてきたのですから。

【 日本の薬局問題まとめ 】

2015年、日本の医療費(対GDP)は世界第3位になりました。

日本の医薬分業率(処方箋受取率)は現在約70%ですが、先進諸国の多くは完全分業を基本としています。処方箋を発行するか、それとも病院内で薬を交付するかを医師が決定するという日本独自の制度のために、薬剤師は医師の治療に異を唱えたり、処方内容の問題を患者側に伝えることに大きな困難を抱えています。

これは日本特有の問題であり、患者利益に反しています。

分業率が低いからといって、その分日本の医師が諸外国に比べ、目立って高収入という訳でもありません。その上、多くの医師は激務に晒されていると度々指摘されています。

医療制度・報酬について議論する国の会議(中医協会議など)では、盛んに医薬分業(薬局の存在)が医療費増加の要因であると喧伝され、多くの場合メディアもこれに異論を挟むことはありません。しかし、横井正之氏らのグループは、医薬分業による薬剤費の削減効果は薬局薬剤師の技術料を上回ることを既に報告しています(カナダの学術誌「グローバルジャーナルオブヘルスサイエンス」)。

日本の医療費問題は、患者ニーズと医療資源の振り分け、役割分担のアンバランスにあります。議論の本筋から目を逸らし続けるのではなく、次の段階に進む必要があります。

リフィル処方箋薬局医薬品(医療用医薬品含む)の活用、調剤中心の薬局への市販薬配置といった議論は一向に進んでおらず、迷走する中医協会議に対してジャーナリズムによる批判は十分とはいえません。書籍「会議の政治学Ⅲ(中医協の実像)」においても、著者で中医協の前会長である森田朗氏は「中医協のあり方を見直していくべき」と語っています。

「日本人の高い平均寿命は現行医療制度の成果である」という主張があります。

新生児医療や急性期医療をはじめ、日本の医療レベルの高さは世界に誇るべきものですが、各国の肥満度と平均寿命のデータを見比べれば、決して諸外国の医療制度や医薬品販売制度が取るに足りない存在とはいえません。「日本の医療制度は世界最高である」との思い込みは危険です。

一人でも多くの方が、今後の医療について関心を持って下さるよう願っています。

(ツイッターでも薬局・医療問題について呟いています。よろしくお願い致します)

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