貧困層の病院と 富裕層の病院。自分の税金、どっちに使われたい?

20年以上、アジアの途上国で医療を行ってきて、確実に人々を取り巻く疾病状況にも変化を実感する。

この時期に、カンボジアに病院を設立する。

20年以上、アジアの途上国で医療を行ってきて、確実に人々を取り巻く疾病状況にも変化を実感する。

現在は、ラオスと中国の国境の山岳地域、ミャンマーの僻地、カンボジアの田舎、どこで医療をしていても、その町で暮らす人々の多くは、市販のミネラルウオーターを飲んでいる。また多くの人々は、インスタントラーメンを当たり前に食べている。

20年以上前、アジア最貧国といわれた時代のミャンマーでは、川の水や池の水を簡単な陶器でろ過して飲んでいる人々が多かった。最近ではあまり見かけなくなってしまったが。

日本人の多くは、いまだに勘違いをしているかもしれないが、下痢で命を落とす子どもたちはアジアの途上国では、今やそう多くないのだ。

どこの町にも抗生物質は多くの種類が揃えられており、いつでもそう高くない値段で購入できる。もちろん大抵は点滴も受けることができるのだ。

これらの変化は、アジア全体の経済状況の底上げが大きく影響している。その中でも中国の経済成長は、思わぬところで(あくまで意図せず)結果的にではあるが、多くの人々の命を救っている原因の最たるものだと思う。

もし国際機関やNGOをはじめ、多くの人々が相変わらず30年前のコンセプトでものを考え、同じ行動を繰り返しているとしたら、その奥の努力は結果に反映されておらず、無駄になっているかもしれない。

そのような社会的変化の中で、私たちも対応すべき疾患を広げる時期が来たのだ。

下痢や急性の呼吸器疾患だけでなく、多くの子どもたちが命を落としている疾患とは何なのだろう?

 ひとつは、「先天性の心疾患」。

生まれつきの心臓奇形がある。これは100人に1人の割合で生まれてきており、形態の異常を手術等で修正しなければ多くの子どもたちが命を落とすことになる。

おそらく、ミャンマーだけで1年に1万に以上の心疾患の子どもが産まれ、多くは治療できずに死んでいく現状である。出生率からするとカンボジアは3000人以上、ラオスは1000人以上生まれていると思う。

ミャンマーでは、なんと子どもの心臓外科医はたった一人も存在しない。

それが何を意味するかは誰でも理解できると思う。

長年見過ごしてきたこの事態にとうとう昨年から手を付け始めたのだ。

いろいろ動いて、結果的には、東京女子医大の小児循環器科と国立循環器病センターの小児循環器科の日本を代表する人々が協力をしてくれることになり、産経新聞社の基金を使い、多くの医療者を現地に派遣、現地の医療者を日本に招聘して勉強してもらいつつ、時間をたっぷりかけて子どもの心臓病の医療者たちを育成することになったのだ。ジャパンハートの役目はそれら全ての現地での動きをコーディネートすることになり、この四者で時間をかけて子どもたちのいのちを救っていく活動が昨年から始まった。

 実は、もうひとつ私が長年見過ごしてきた病態がある。それは「小児がん」だ。

その多くは白血病であろうと思われる。日本では年間2000~3000人の小児がんが発生するといわれている。そして白血病の場合、今では多くの子どもがサバイブできる状態になっている。

ところが、私たちが活動するミャンマー・ラオス・カンボジアでは昔の日本のようにほぼ全滅している可能性が高い。カンボジア、ラオスではおそらく十分な抗がん剤すら揃っていないかもしれない。

しかし、日本のように多くの子どもたちが救えなくても、日本のたとえ半分の割合でも、そういう国の子どもたちを救わなければならない時代になったと感じている。

日本のような高額な医療をできなくても、昔から使っている今では薬価が下がった薬を使った治療であっても、半分くらいの子どもたちを救えるのではないかと私は希望を持っているのだ。

日本政府は、現地の富裕層相手の病院建設のために、私たちの税金から多くのお金を拠出し、日系企業に与えている。それはもちろん無策で行っているわけではない。日本の製品を世界に販売していくためのサポートをしているということだろう。しかし、その税金はおそらく現地の貧困層の人々には届かないだろう。

 昔、ミャンマーの医療機器メーカーの人が私にこう言ったことがある。

 「金持ちは、私立病院に行き、治療を受ける。

 その次にお金を持っている人々は、政府の病院に入院し、治療を受ける。

 その人たちよりお金がない人は、政府の病院に入院はするが、何もしてもらえずそのまま亡くなる。

 本当の貧乏人は、どこへも行けずに、静かに村で死んでいる。」

日本の良識ある国民は、自分の税金がどちらに使われるのが正しいと思うだろうか?

 もう一度、自問してもらいたい。

 貧困層のための病院なのか?

 富裕層のための病院なのか?

私はせめてその10分の1でもいいから、もう少し貧困層にも届く税金の使い方を自国の政府にはしてほしいと、一国民として純粋に思うのだ。

しかし、嘆いていても始まらない。

誰かがこのような貧困層の人々でも医療が受けれる病院をつくらなければならない。

だから自分がはじめようと思ったのだ。誰かに期待していても何も始まらないから。

スタートが1日遅れれば何人もの子どもたちの命が失われるかもしれない。

だから、そこに1日でも早くたどり着けるようにお金も十分ではないのに建設をスタートさせてしまった。

その病院がいよいよこの6月あたりからスタートする。

アセアンは昨年末経済統合され、ユーロのようになっていくだろう。既に医療者の免許の統合に向けて進んでいる。この病院に各国の若手の医療者たちを集め、日本の医療者が指導・教育できる仕組みをつくる。各国からバスや格安の航空機を使いやってきた病気の子どもたちを各国の医師や看護師たちと一緒に治療する。

まず、第一期の段階は周産期の治療から始める。安全なお産と新生児の対応になると思う。

そして、第三期を迎えた段階で、小児がんの子どもたちを受け入れ始める。

それが早くなるか、遅れるか?

私たちのファンドレイジングの能力、そして医療者をはじめとする日本人たちの力を私たちがどれくらい集めれるかにかかっている。

今はボードにのって静かに時代の大きな波を待っている。 

 PS:

    先日、ラオスで5歳の男の子が白血病で静かに死んだ。

    お金がないから、当たり前にタイに治療にも行けなかった。

    父親は虫の息になったわが子を見て「タイに連れて行きたい」と言った。

    私たちは無力だった。

    ただ病院のベッドに寝かせておくことしかできなかった。昔の日本の医者のように。

    この光景が私たちが活動する国々で毎日、毎日、何十回も繰り返されている。

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