その人の持っている特別な能力が、皮肉にも逆に可能性を奪うということがある。
私はミャンマーで医療をはじめて23年経ち、多くの患者たちを治療し、ここまでやってきた。
1995年当時、ミャンマー政府から医師免許を出され、医療行為を継続的に長期間に許されていた外国人医師は私だけだった。
最近まで外国人がミャンマーで医療をやるためには、大きく分けて4つの方法が存在した。
1つ目は団体を作り、団体と政府が正式な契約を結び、政府の管理下の病院で働くことだった。
しかしこれには問題があって、全額ほぼ自己負担の医療を行っていたミャンマーでは、本当に貧しい患者は政府の病院にはかかることはできなかった。
2つ目は、軍と関係を結び軍関係の病院で軍属とその家族、関係者に医療を行う選択肢。
3つ目は、民間病院に営利目的で入り、短期間の医療を定期的に繰り返し行うという形だった。
ただし短期型の医師免許には50万円ほどかかり、しかも富裕層しか治療を受けにこれないので、貧困層へ医療を届けるという選択はなかった。
そして私が選択した4つ目の方法があった。
ミャンマーでは僧侶が特別な地位にあり、独自の世界観を築いている。そこは通常、政府もあまり意見を言えないようになっている。
当時のミャンマーは、大きく分けてはっきり3つの権威・権威が存在していた。
政府・軍・僧侶。
今では、それは当時と比べて相当弱くなっている。
そしてこの4つ目の選択肢を私は選ぶことになった。それは、僧侶が運営する病院で働くというスタイルだった。ここで働くメリットは大きく3つあった。
- 国民の多くが敬虔な仏教徒であり、国民から信頼されている。
- 比較的安価な値段で治療が行える。よって、貧困層にも医療を届けることができるかもしれない。
- 政府や軍の関与を受けにくく、政府のように制限を加えたりされずに、自分たちの正しいと思える医療の形を追求できる。
やはり政府の病院だと、ミャンマー人の医師と一緒に手術に入り、多くはミャンマー人医師たちに執刀させなければならない。ミャンマー人外科医が上手かろうとそうでなかろうと、ミャンマーという国の中でやる限り、ミャンマー人医師によって医療が行われているという形が政府的には必要だからだ。
しかも、相手のペースに合わせてやらなければならず、今では1日に20から30件の手術を行うが、政府系の病院では朝から夕方の4時まで、1日に数件の手術件数に設定され、大人は大人、子どもは子どもと病院も施設も担当も違うので成果も手間も目減りし、対応にも大きく手間を取られてしまう。
さらに、政府のミャンマー人医師たちは非常に薄給だったので、通常、当直医を残して昼からはほとんどアルバイトに出かけてしまう。この状態で日本人だけが病院に残り、医療を継続するのは到底不可能だった。
そして私たちがどうしても成し遂げたいことがあった。
それは医療を受けられずにいる貧困層の人々に医療を届けることだった。
富裕層や中間層は民間病院あるいは政府の病院で医療を享受することができる。しかし、この国中のどこの病院でも医療を受けられずにいる貧しい人々が医療を受けられる可能性があるのは僧侶の運営する病院のみだった。
ただ僧侶が運営する病院の本来の目的は、僧侶を治療するためであるので、僧侶は無料あるいは安価な値段で医療を受けることができたが、一般の国民はそうではなかった。そこでどうしても交渉が必要になった。
どこよりも安く医療費を設定するために根気強く交渉を続けた。
そして政府系の病院の約10分の1の治療費で手術ができるようになった。これで貧困層にも医療を届けれるという形が整った。もちろん、もっと貧しい人々には無料で医療をできる仕組みも作った。村長の作った患者の生活環境を証明する書類を持ってきて、病院管理している僧侶の承認をもらえば、治療は全てタダにできた。
軍関係の病院はおそらく最も医療をしやすかったと思う。しかし、権力闘争の激しい軍内では組む相手を間違うとあっという間に天国から地獄に共倒れで落ちていかねばならない。
民間病院は、営利を求められ、富裕層の人々しか治療を受けられない。私たちの目的とする貧困層に対する医療提供の道は閉ざされる。
政府系の病院は上記のように様々な制約があり、主に中間層の人々の治療を担当することになる。
これらの問題を上手く調整できそうなのは僧侶の病院しかなかった。
権力や営利とは距離を置き、権威と共にあることを決めた。
しかし、医療を始めても様々な問題に突き当たる。
いくら安くしても、患者たちの中には病院への交通費すら払えない人々も結構いることを知った。
患者たちは、病院まで平均で4時間、遠くからの人々は48時間、果ては医療費の高い海外からも帰国し我々の病院で治療を受けに来た。
交通費の払えない人には代わりに交通費を払った。
また問題が起こった。
ミャンマーの病院では食事が出ない。全部、自炊あるいは外食になる。外食は村の人々にとっては相当の負担になる。もちろん、患者本人のみならず付き添いの家族の分も必要になる。
入院期間が長引くとその食事代に圧迫されあっという間にお金が尽きる人たちがいた。
そこで、勝手にお金は配れないので、毎日1ドル分の食事クーポンを配り、病院近辺の食堂で食事を毎日1ドル分購入できるようにした。
これをすることによって、患者たちからかなりの金銭的ストレスを軽減できるようになった。
ところがまた新たな問題が発生する。
子どもの難病や火傷の手術はどうしても入院期間も長くなり、多くの患者たちは支払いができず、治療半ばで離脱をしなければならないようだった。
大人の手術患者同様、入院費や治療費はもちろん、病院は子どもの治療も有料にしてきた。
僧侶といえども病院を善意だけでは運営できないので、お金を患者からはある程度取らなければならないのだ。
これを何とか解決するために、子どもの治療費・交通費・入院費・食費は一律に全部無料にした。
結果私たちが、子どもの親に代わって病院に治療費と入院費を払っている。
自分で治療して自分で治療費を払うという笑えない状態だが、そうしなければ貧困層の子どもたちに治療を安定的に実現できない。
私はいつも自分が何を達成したいのか、何をなすべきかを見失わずにやってきたつもりである。そのためには多少の無駄や非効率は許容している。
何人もの人から、「無料はまずいのでは?」とか、「金持ちの子どもも治療を受けに来ますよね? その人たちからお金を取らないのですか?」と言われたこともある。
しかし、考えてみてもらいたい。貧困層の人々は情報から最も遠くにいて、最も力の弱い立場にある人々だ。
もし、富裕層の子どもからお金を取ったらどうなるだろう?
きっと、日本人の医療を受けるにはお金が必要だと噂が広がり、交通費すら負担の大きい貧困層の人々がまずはじめに来なくなってしまう。
だから、たとえ富裕層の子どもでも無料で医療を行う。それは、無駄ではなく貧困層の人々のための投資なんだと理解している。
ひとつひとつ問題を解決して、今では年間2000人近い人々の手術をできるようになったのだ。
しかし、問題はまだまだ起こる。