死を描くことは生を描くこと。映画『ガンジスに還る』監督インタビュー

死の迎え方について考えたことはあるだろうか。死に方ではなく死の迎え方について。
主演のアディル・ フセイン(左)とラリット・ベヘル(右)
主演のアディル・ フセイン(左)とラリット・ベヘル(右)
© Red Carpet Moving Pictures

死の迎え方について考えたことはあるだろうか。死に方ではなく死の迎え方について。

非ボリウッドのインド映画『ガンジスに還る』が10月27日から公開される。

ある日、不思議な夢を見て死期を悟った老人、ダヤはガンジス河の畔にある聖地バラナシに行くと家族に告げる。1人で行かせるわけにもいかず、仕事が忙しい息子のラジーヴはしぶしぶ付き添うことにする。

バラナシには良き死を求める人々が集う「解脱の家」という場所があり、親子はその家にたどり着き父の死が訪れるまで滞在することになる。日々の仕事に追われ心が埋没していたラジーヴだったが、父との交流と雄大なガンジスと街の人々に心をほぐされていく。

ヒンドゥー教独特の死生観を、普遍的な親子の絆の再生の物語とつなぎ合わせた本作を監督したのは、弱冠27歳のシュバシシュ・ブティヤニ。生と死への深い洞察をユーモアも交えて気品高く描き出している。

ブティヤニ監督に本作の製作経緯や自身の死生観について聞いた。

バラナシには死の一大産業がある

シュバシシュ・ブティアニ監督
シュバシシュ・ブティアニ監督
© Red Carpet Moving Pictures

――この映画の舞台の街、バラナシに興味を抱いたきっかけは何だったのですか。

シュバシシュ・ブティアニ監督(以下ブティアニ):自分が知らない土地に行ってみようと旅をしていた時期があって、道中バラナシには死を迎える人のためのホテルがあると聞いて行ってみたんです。そこで魅力的な話をたくさん聞くことができて映画にしようと思ったんです。

――映画に出てくるようなホテルが、あの街にはたくさんあるのですか。

ブティアニ:はい。バラナシで死を迎えると救済されるという考えがまずあって、ああいったホテルが作られるようになりました。インド中からたくさんの人があの地を訪れ最期を迎えるんです。ホテルごとにルールも違っていて、例えば映画にもあるように15日間しか滞在できないところもあれば、部屋を好きなようにアレンジできるホテルもあります。それから木の下に集まって集会を開くホテルとか、それぞれいろんな特色があるんです。映画では、私が見てきたいろいろなホテルの特色をくっつけて自分なりのホテルを作ってみました。

映画の中のガンジス河
映画の中のガンジス河
© Red Carpet Moving Pictures

――なるほど。ではあの街で死を迎えるホテルは割と大きな産業になっているのでしょうか。

ブティアニ:バラナシでは、死は一大産業と言っていいでしょう。バラナシで死を迎えるのは一種のステータスになっています。ホテルに泊まらないにしても、バラナシで葬儀をする人たちも大勢います。葬儀にもいろんな準備が必要ですから、そうした一切が全て揃った街なんです。あの街のそういう面を取り上げても一本の映画ができるでしょうね。

ホテル業よりも葬儀の方が大きなビジネスになっているようで、ホテルに関してはあまり利益追求の姿勢は見られなかったですね。中には光熱費しか請求しないホテルもあるくらいですし、企業がサポートしているホテルもありますね。

――映画はホテルのことだけでなく、観光的な側面も描いていますね。

ブティアニ:死のプロセスと関わりの薄いシーンなのでカットすることも考えましたが、主人公たちはあの街に初めて来たのだし、だったらツーリズム的な行動もするだろうと思ってそういうシーンも入れることにしました。宗教ツーリズムとして有名な街ですし、美しい景色もたくさん見せられるし、それらもあの街の大事な側面ですしね。祭りのシーンは、撮影のために祭りを再現する予算はありませんでしたから、本物の祭りを撮影しています。

この映画を作るまで死について何も知らなかった

親と子の世代間の意識の違いも映画の重要なポイント
親と子の世代間の意識の違いも映画の重要なポイント
© Red Carpet Moving Pictures

――監督はまだ20代とお若いですが、なぜ死を迎えるプロセスに惹かれたのでしょうか。

ブティアニ:まず、私は自分を若いと思っていませんが(笑)、私自身はこの映画を作る前は死について何も知らないんだということに気が付きました。

この映画は、死への準備を描いたものですが、これはヒンドゥー教の死生観に基づいています。親しい人の死に直面する時、人はどうするのか、死を描くことは反対に生を描くことにもつながると思っています。そうした死への準備を通じた生の姿を、役者たちに言葉で語らせるのではなく、実際に生きてもらうことで描こうと思いました。

死期の近い父ダヤを演じるラリット・ベヘル
死期の近い父ダヤを演じるラリット・ベヘル
© Red Carpet Moving Pictures

――この映画は死の問題の他、世代問題も描いていると思います。主人公の父親はバラナシで死を迎えることにこだわりがありますが、主人公はその重要性に最初のうちは今ひとつピンときていません。監督ぐらいの世代ではああいった死生観はどの程度共有されているものなのでしょうか。

ブティアニ:私の世代はまだそこまで死について考えていませんね。おそらく60代くらいになればバラナシに行くのかどうか考え始めるのではと思います。意見は多様なので、世代を代表する考えを挙げるのは難しいですが、あるレポートによればバラナシで最期を迎えたいと考える人は減少傾向にはあるようです。

――この映画を作り終えて、監督自身はどうお考えですか、バラナシで最期を迎えようという気持ちになりましたか。

ブティアニ:とても美しい街ですが、1人で行きたいかと言われるとわからないですね。私にはまだ子どもがいませんが、子どもを持てたら、その子に連れて行ってほしいと思います。

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