「他人のアドバイスを訊くな」というアドバイスはパラドックス。でもトム・クルーズは・・・

先日尊敬する大先輩にお会いしたとき、若いビジネスマンに何かアドバイスがありますかと訊ねたら、『ひとのアドバイスなんて訊くな』という答えが返ってきた。おおいに納得したのだけど、あとでふと当たり前のことに気がついた。

photo by Jasn

 先日尊敬する大先輩にお会いしたとき、若いビジネスマンに何かアドバイスがありますかと訊ねたら、『ひとのアドバイスなんて訊くな』という答えが返ってきた。

 おおいに納得したのだけど、あとでふと当たり前のことに気がついた。

 この『ひとのアドバイスなんて訊くな』という言葉は、いわゆる『自己言及のパラドックス』だ。

『人のアドバイスを訊かない』というアドバイスに従うならば、「このアドバイスをも訊くべきではない」ということになってしまう。つまり、このアドバイスに100%従うことは不可能だ。

 僕は結構真剣にそのアドバイスを受け取ったつもりになっていたので、このままではこのアドバイスは何も意味しないということに気がついて、ちょっとアタマが混乱した。

 論理的な矛盾を避けるためには、このアドバイスの頭に「親しい知人や家族の」と言う言葉をつければ、いつだったか僕が書いた記事とほぼ意味は同じになる。

 それなら大いに同意したいアドバイスである。

 親しい知人や家族は、しょせん自分が現在いる場所と同じようなところにいる。そこから出ていくような大きな決断に対して、彼らはアドバイスする材料をもたない。

 それでももしこちらからアドバイスを求めたら、そのアドバイスは「あなたのことを思って言うのだけど」という風な前置きとともに、実は「彼らにとってあなたはこうであって欲しい」というような希望を述べるものとなるだろう。

 もうひとつ、この論理の矛盾を避けるためには、「価値のあるアドバイスは除いて」という条件をつける方法がある。

 この場合は、いわば問題の先送りで、「では、どうやって無価値なアドバイスの雨あられから、価値のあるアドバイスをみつけるのか」ということがポイントになる。

 そのためには、自分が望んでいる生き方や仕事の仕方をしている当人から、アドバイスをもらうということが近いのかもしれない。

 ただし、そういう人と親密に話をさせていただくチャンスを得ることは簡単ではないだろうし、相手に自分のことや現在の自分の位置を理解してもらって、いまの自分に相応しいアドバイスをもらうことは、なお難しいだろう。

 そう考えると、やはりひとにアドバイスを求めるのは、かなり難しいことだとわかる。

 だから、結局、「人に良いアドバイスを期待してもそれが得られる可能性よりも、可能性を摘んでしまうアドバイスしか得られない場合が多いので、アドバイスに期待するな」となり、それを端的に表現すると『ひとのアドバイスなんて訊くな』という言葉になってしまう。

 それが論理的に意味のないセリフだとしても。

 ところで、昨日古くからの友人たちと飲みに行って、親友のI君に相当偉そうなことを言ってしまった。

 ちょうど彼は僕と同じような事業のステージ、年齢にあるのだけど、僕のビジネスよりスケールしやすいビジネスモデルであり、彼ならそれができそうだと思ったので、上に書いたような「友人のネガティブなアドバイス」ではなく、「ポジティブなアドバイス」を、マッチを擦って火をつけたような言葉を、彼の心にたくさん投げ込んできた。

 まあ、しかし、それもこの『ひとのアドバイス』なので、あまり気にしないでくださいね。(たぶん、これを読んでくれる)

 最後に、トムクルーズの言葉を紹介しよう。

私は他人と相談したりはしない。もしそれが正しいと思えば、それを誰かに確認するタイプの人間ではない。「これについてどう思いますか?」などと訊ねずに、すべての決断を自分自身でおこなってきたー仕事でも私生活でも。   -Tom Cruise

(2014年6月29日「ICHIROYAのブログ」より転載)