『Sisu』 最高のメンタルタフネスを引き出すもの

それがいかに絶望的に不利な戦いであったとしても、結果がどうなろうと、それに対して、立ち上がらざるをえないのだ。『Sisu』がそれを強いるのである。『Sisu』は、誰の心にも、その根っこの部分に眠っている。

 1939年11月30日、ソ連軍は45万の兵士と戦車2500台でフィンランド国境に殺到した。

 迎えるフィンランドの兵力は、全国に散らばって展開していた16万の兵とわずか32台の戦車。

 絶望的ともいえる圧倒的な敵に、フィンランド軍は雪中のゲリラ戦で臨んだ。

 気温は零下40度の極寒、高緯度のため、夜が18時間もある闇の中での戦いだった。

 フィンランドの兵士は真っ白な軍服で雪の中に身を隠し、スキーを自在に手繰ってソ連軍の何倍もの早さで移動し、雪中で目立つ軍服を着て、雪と闇に立ち往生している敵兵士を叩いた。

 力と数にまかせて森林を行軍するソ連軍は、白い服で待ち伏せするフィンランド兵の餌食となり、補給も思うにまかせず、凍死者も多数でるなど、目をおおうばかりの惨状となった。

 翌年、フィンランドは過酷な条件の講和を結ぶことになったが、独立を守りぬいた。

 フィンランド側の戦死者は2万7千、ソ連側の戦死者は20万人以上、100万人とするものもある。

 この戦いは、「雪中の奇跡」と呼ばれている。*1

 この「雪中の奇跡」を可能にしたのは、フィンランドの人たちの心に『Sisu』があったのだという。

 『Sisu』というフィンランド語はいったい何をさすのだろうか?

 この戦いのことと、フィンランド語の『Sisu』について、知ったのはおなじみのJames Clear氏*2の最新のブログ記事でである。

(逆境に直面したときに、いかにメンタルタフネスをのばすか)

 Clear氏は、フィンランドのある研究者による定義をこのように紹介している。

『Sisu』とは、顕著な逆境や難しいチャレンジに対しても、諦めずに行動をおこすという考え方です。できるかできないかということよりも、勇気と決意をもってチャレンジすることについて述べた言葉です。『Sisu』は行動するかどうか躊躇しているときに、最後の決断に力を与えてくれるものです。 

 『Sisu』は日本語で言うと、粘り強さと決して妥協しない頑強さ、不屈の精神を意味しているように思える。

 英語には『Grit』という言葉もあって、それも『Sisu』とよく似た意味のように思えるが、Clear氏によると『Sisu』にはさらに深い意味があるのだという。

それは、どんなことが起きようと、決して折れない強い意志と忍耐で、あなたの責任を耐えぬくことができるような、精神の屈強さのことだ。それは著しい劣勢にあっても行動と戦いを続けることができる能力のことだ。『Sisu』は「忍耐」より先にあるものだ。それは、あなたがもう何も残されていないと思った時に、最後に頼ることのできるものだ。

 Clearさんのこの説明はとてもわかりやすかった。

 そして、英語に『Sisu』という言葉の正確な翻訳語がないように、日本語にも『Sisu』に正確に対応する言葉はなく、この言葉には、なにがしかのエネルギーを与えてくれるなと思った。

 圧倒的な逆境に対して、諦めずに行動する意志。

 そして、その時に発現する、力強さ、粘り強さ、創意工夫、何度もの失敗をももろともしない反発力。

 さて、僕は、この『Sisu』は、フィンランドの人たちだけでなく、誰の心の底にも眠っているものだと思う。普段それは眠っているが、「これを失ったら自分には何も残らない」と追いつめられた時、自分が一番大事にしているものや、愛しているものを失いそうになった時、『Sisu』が心の殻を破って出てくるのだと。

 それがいかに絶望的に不利な戦いであったとしても、結果がどうなろうと、それに対して、立ち上がらざるをえないのだ。『Sisu』がそれを強いるのである。

 『Sisu』は、誰の心にも、その根っこの部分に眠っている。

 たとえば、僕は42才であてなく会社を飛び出して、徒手空拳で商売を始めたのだが、なぜそうしたのかという説明をするには、いつも、すこし長い説明が必要になる。

 だけど、この新しく知った言葉を使えば、簡単にこう言えてしまうのだ。

 つまり、僕は『Sisu』に突き動かされていたのです、と。

photo from The Library of Congress

*1:Clearさんと同じく、Wikiの冬戦争の日・英のページを参照しました。数についてはばらつきはあるようです

*2:僕の大好きなアメリカの起業家、ウエイトリフター、トラベル写真家、ブロガー、著者→プロフィール