ネットのもたらしたもの -- 京都での国際対話

青木昌彦先生はじめスタンフォード大学のみなさんと、中国、インド、シンガポール、マレーシアらからの参加を得て、デジタルメディア、特にインターネットが国際社会に与える影響について議論しました。ぼくもスタンフォード日本センターからのご縁でテーブルに着きました。

蹴上から北を望むと、右側に浮かぶ南禅寺の山門を緑の東山が覆い、その向こうには比叡山。そこから左へ濃い青の北山がたなびきます。その全体が天に向かってもやっている。落ち着きます、故郷は。

先日、ここで開催されたStanford Trans Asian Dialogue。青木昌彦先生はじめスタンフォード大学のみなさんと、中国、インド、シンガポール、マレーシアらからの参加を得て、デジタルメディア、特にインターネットが国際社会に与える影響について議論しました。ぼくもスタンフォード日本センターからのご縁でテーブルに着きました。

円卓会議や公開シンポで、ぼくも質問を浴びました。会議は英語だったのでヘロヘロです。お題は「ネットのもたらしたもの」。IT政策の変化、思考力への悪影響、新聞とネットのジャーナリズム、日中韓政治関係への影響、個人番号制度への不安、メディアがあふれる汚染問題、ネット右翼への懸念、復興への功罪などなど。東京の会議だとITをテーマにすると産業経済関係が多くなりますが、京都だとこうなります。

ぼくの回答はいつものとおりですが、メモまで。

○IT政策の変化は?

30年前に担当した通信自由化以降、IT政策は市場競争や電波配分など「提供」政策が中心だった。通信・放送会社やメーカなど提供側が主要な行政客体だった。国内政策が中心だった。だが、デジタル通信・放送網の整備が完成し、「利用」政策にシフトしている。セキュリティ、プライバシー、電子商取引、著作権、教育・医療・行政。しかもそれらはボーダレスな国際問題。根本的に変化している。

○個人番号制度への不安は?

日本はようやくマイナンバー制度をようやく2016年に開始する。アメリカは社会保障番号を民間活用しており、さらに北欧は個人年収までオープンだが、ドイツは行政の利用さえ厳しく管理するなど、さまざまなモデルがある。日本はドイツに近いモデルから始めると考えるが、長期的にどの線に落ちつくかは不明。世界標準はないのだが、どこに線を引くかは利用者主導で考えたい。

○ネットは誰の味方か?

為政者の味方であり、テロリストの味方でもある。ナイフのようなもので、メスにもなればドスにもなる。グーテンベルクの活版印刷が産業革命・市民革命をもたらすまでに3世紀かかったが、グーテンベルクは自分の発明がもたらす未来を空想はしていなかっただろう。われわれは空想すべきだ。ITの空想は3世紀は必要あるまい。ただ、落ちつくまでに1世代、30年はかかるだろう。ネット出現から20年なので、どこに落ちつくかを見通すまで、あと10年いただきたい。

○日中韓への影響は?

尖閣、竹島問題はネットで加熱し、互いに愛国心の増殖炉になった面はある。一方、中国でも韓国でも、日本のアニメ、マンガ、ゲームなどのファンが増加し、それもネットで育っている。尖閣問題に揺れるころ北京大学を訪れ、博士課程の学生たちに、知っている日本人は誰かと聞いたところ、三位宮崎駿、二位ドラえもん、一位蒼井そら、であった。二位が日本人かどうか釈然としないが、ここに政治家や経済人や学者の名前が登場しないことが問題。ネットの問題ではない。

○メディアがあふれる汚染問題は?

デジタルサイネージが空間を覆っていく。サイネージの公共空間への設置制限には、日本は中国や韓国より厳しい面があるが、タクシーやデパートなど私設空間は自由。将来、メディアがあふれることへの規制論はあり得るが、あふれると広告効果も下がる。規制よりも経済が解決するだろう。それよりも、消費者の情報リテラシーが問題となろう。

○復興への影響は?

95年、阪神淡路大震災の際は固定電話が使えなかったがケータイは使えた。3/11ではケータイが使えずネットは生きていた。核戦争を想定して作られたネットの有効性が不幸にも証明された。だが、文字ベースが映像ベースに、P2PがM2Mになると、次の大震災ではネットはもたないのではないか。震災や原発を想定した次世代のネットワークを構想する時期だ。

○新たな国際問題は?

著作権にしろ青少年保護にしろプライバシーにしろ、問題は国家間の対立ではなく、国家vsグローバル企業の対立。日本など国家がグーグルやアップルを規制できず、それを国家間で調整できなければ、新たな調整スキーム作りに汗をかくか、回線をブチ切るか、ということになるのでは。

○新聞とネットの関係は?

学生が新聞を読まずテレビも持たないというビックリ話はもう飽きた。スマホ・タブレットだけで新聞も番組もサイトもというリアリティーをメディア業界人はとうに持っていると思いたい。LINEなどソーシャルメディアを軸にそれらコンテンツがどう消費されるかを展望されたし。

ぼく自身、メディア接触態度が変わった。10年前は朝起きたら、1.新聞を開き、2.テレビをつけ、3.PCでニュースをチェックした。今は、1.フェイスブックで友だちを確認し、2.ツイッターで追いかけ、3.ウェブサイト、4.テレビのニュースを見て、5.新聞を読む。全く逆になっている。

以前は、信頼性の順に見ていたということだろう。今は身近な順、速報性のある順、そして信頼性の逆順で、最後にゆっくり確認する感じ。そう考えれば、どのメディアもぼくには存在価値があるけど、それは紙とかメディアとかの媒体の問題じゃないということだ。

会議後のレセプションに見えた門川京都市長のお召し物は、それはそれは上等で、さすがやなぁ。「いやぁ、雨降ってるからゆうてポリエステルの袴とか着けて集まり行くと、"ええもん着たはりまんな" 言われんねん、かなんで。」と市長。あははは、さすが京都、旦那はんらの目が肥えてて、口がいやらしい。東京ですと、なんちゃって和服でも大丈夫ですわ。

また今度、京都らしい集まりを見つけて、寄せてもらいます。

(この記事は12月2日の「中村伊知哉Blog」から転載しました)

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