家族やある時期ともに大切な時間を過ごした友人や知人の訃報にせっしたとき、
あなたはどんな方法でその人の死を悼むのだろう。
自分にとってのそれは、亡くなった家族なり友人との記憶をたどり、
共有できた感情や時々の出来事について自分なりに書き残すこと。
強く印象に残っていることや真っ先に頭に浮かぶ光景はもちろんなのだが、
どちらかといえば日常的な、
些細でささやかな事柄の記憶を飾ることなく綴っていく。
ひとを思いやるということ。
それは何か一つのことでも、毎日その人のことを書きとめて置くということだ。
いつだったか誰かの本で読んだ。
どんな小さなことでもいい。短くてもいいからともかく言葉を書きとめ続ける。
ところがこれは簡単なようで現実には非常に難しい。
だから自分は、せめて大切な人がこの世を去ったときだけでも言葉にして書きとめることにしたのだ。
その際の心境はといえば、遺影に向かって手を合わせているときに似ていて、
結果としてより長い時間、亡くなった家族や友人と静かで親密な対話をすることになる。
一週間ほど前、高校時代の同級生の訃報にせっした。
まだ50代半ば、がんだったという。
機会あるごとに新しいがん治療法や先端とされる研究機関を取材して、
「がん治療の新しい地平が拓けた」
というような記事を書いたり番組を制作している自分にはいちばん堪え、
どうしようもない無力感を感じざるをえない知らせである。
同じ青春の空気を吸い、ともに学び、笑い、
そして社会人になった後は、
ともに人の世の理不尽さに悔し涙を流した友人だった(...少なくとも僕はそう思っている)。
人の世、なんていうと少し大袈裟に聞こえるかもしれないが、
あるとき(...確か27歳ぐらいのときだった)、
簡単には消化しきれない出来事がわれわれに個別に降りかかったのだ。
それは同世代の仕事仲間の不慮の死であり、
大切な知人の病死だった。
年齢は20代半ばから30代はじめ、どう考えても早すぎる死だった。
「なんでかね」
「悔しいね」
そんな会話を六本木あたりのバーで交わしたのを覚えている。
ポツリポツリと湧きでる言葉は、
静かに現われてはポッと消えていく、
お湯が沸騰する前のあの小さな泡のようにだった。
そんな時間を共有した友人だったからなおのこと、
本人の死を受け止めるのは難しく、いまだにできていない。
さらには長い間顔をあわせていなかったということも大きい。
「亡くなった」と知らされてもそこに現実的な手ざわりのようなものがないので、
悲しみというよりは永続的な「不在」、喪失感の方がより大きい。
最後に会ったのはニューヨークに引っ越す直前のことだから、
かれこれ25年以上前になる。
「死ぬなよ」
そういって御守りとその頃人気のあったムートンの手袋をくれた。
手袋の方は「ニューヨークの冬は耳が千切れるほど寒いから」という理由からだった。
(だったら本来なら耳あてなんじゃないか、とも思ったのだが...)
それはそれはさらりとしたもので、
その「さらり」具合が、
高校時代から変わることのなかった友人関係そのままでとても心地よかった。
「日本に帰ったときは連絡を!」
「ああ、電話するよ」
確か渋谷かどこかでそんな会話をかわして別れたのだ。
しかしその後われわれが再会することはなかった。
なぜだろうと考えてみてもこれといった理由はない。
気がついてみたら25年もの歳月が流れていたということで、
もし不幸がなければ、それはもしかしたら30年にも40年にも及んでいたかもしれない。
けれどもだからといって、
われわれが友人でなくなった訳じゃ全然ないだろうし、
もしふとした機会に再会を果たしたとしてもきっとこんな調子だったに違いない。
「どうしてた?」
「元気だよ」
「それはよかった。ビールでも飲む?」
ほんの二言三言で再会の挨拶は終了。
まるで2、3週間ぶりに顔をあわせたような気分で、
それぞれの25年なり30年なりに起きたエピソードを酒の肴にグラスを傾けたことだろう。
きっとこの文章を読んでいる多くの人たちにも、
「そういえば彼が(彼女が)そうだなあ」
と思いあたる素敵な友人がいるはずだ。
思うのだけれど、
僕たちはそんな十年一日の友人がいるからこそ、
例え辛い毎日が続いたとしてもなんとか頑張ってやっていけるんじゃないか?
普段は心の奥の方にいて意識されることはないけれど、
間違いなく自分の支えになっている存在。
だからこそ逆にそんな友人の「不在」は、にわかに信じがたく現実的感に乏しいのだ。
けれども当然のことながら、
身近にいたご家族や友人、知人の方々の悲しみは深く、
その心の痛みや喪失感ははかりしれない。
遠い夏の日の青い海。
仲間たちと泣き笑いした午後もあったでしょう。
雨降りの日は穏やかに、
風がたてば耳を澄ました。
目に痛いほどキラキラ輝いていたあの頃の記憶。
時間は進みません。
いつだってそこに在るだけ。
忘れずにいよう。
いまはもう、青空だけだから。
「生」と「死」は対峙しているものじゃない。
多くの人たちがそういうのはその通りなのだと思う。
「死」はいつだって人の「生」の中、日々の生活の中にあって、
あるときその姿をあらわす。
悔しいけれど、大抵の場合それに抗うことはできない。
だからそれぞれがそれぞれの方法で、
家族なり友人、そして自分自身の「死」と折り合いをつけるしかないのだろう。
もう数ヶ月前になるけれど、
アメリカCBSニュースが小さな私設ミュージアムの話題を放送していた。
館長は黒人男性で、自宅をそのままあるミュージアムにしていた。
室内に展示してあるのは、
4年前に亡くなったという妻との思い出の品々であり、写真だった。
音楽好きだったらしく、素敵なギターが並び、珍しいレコードもたくさんあったように思う。
そこで彼は最愛の妻と過ごした日々を回想しながら、
想い出の曲をかけて、ひとり笑顔でチークダンスを踊る。
強い人だなあと感じた。
そして何よりとっても明るくてチャーミングなのが印象的だった。
到底自分は真似できない、そう思ったのを覚えている。
(2016年10月16日「TVディレクター 飯村和彦 kazuhiko iimura BLOG」より転載)