ネットはジャーナリズムをダメにしたか、黄金時代をもたらすかの、割とどうでもいい話

ネットはジャーナリズムをダメにしたか。ジャーナリズムの黄金時代をもたらすのか。スマートフォンがそのカギを握るのか。ほとんどの人たちにとっては、割とどうでもいい話を、界隈の関係者は結構、気にする。話は「スマートフォンでジャーナリズムの黄金時代」論に始まって、「まだ実際にカネを生み出してないだろう」論を経て、「問題はジャーナリズムじゃなくてビジネス」論と「ネットは時間のムダなコンテンツばかり」論と「それは150年前にもあったニューメディア批判と同じ」論をぐるぐると、回る。

ネットはジャーナリズムをダメにしたか。ジャーナリズムの黄金時代をもたらすのか。スマートフォンがそのカギを握るのか。

ほとんどの人たちにとっては、割とどうでもいい話を、界隈の関係者は結構、気にする。

話は「スマートフォンでジャーナリズムの黄金時代」論に始まって、「まだ実際にカネを生み出してないだろう」論を経て、「問題はジャーナリズムじゃなくてビジネス」論と「ネットは時間のムダなコンテンツばかり」論と「それは150年前にもあったニューメディア批判と同じ」論をぐるぐると、回る。

●スマートフォンとジャーナリズム

とっかかりはワイアードのフランク・ローズさんの記事「スマートフォンはジャーナリズムの黄金時代をいかに先導するか」。

「ジャーナリズムの黄金時代」はこのところの流行り言葉だ。

昨年、アマゾンのジェフ・ベゾスさんがワシントン・ポストを買収した際、ハフィントン・ポストのアリアナ・ハフィントンさんがこんな風に使っている

私たちは、ニュースの消費者にとってのちょっとしたジャーナリズムの黄金時代にいる。

さらに、今年2月には、ネットスケープの開発者として知られる投資家のマーク・アンドリーセンさんがやはりこの言葉を使って、注目を浴びた。

おそらく私たちはニュースの黄金時代に入りつつある。そして、まだそれが理解できていないだけだ。

アンドリーセンさんが率いるベンチャーキャピタル「アンドリーセン・ホロビッツ」は実際に、8月11日、ジャーナリズムにも力を入れるバイラルメディア「バズフィード」への5000万ドルの投資を発表している。

ワイアードの記事は、アトランティックやニューヨーク・タイムズなどのメディア企業が、スマートフォン対応に注力する動き、アンドリーセンさんの言葉などから、「黄金時代」論を紹介したものだ。

●「カネを生み出してない」論

これに対して、「みなさん、すいませんが:ジャーナリズムの未来はまだ宙に浮いたまま」と反論したのが、オンラインマガジン「サロン」のアンドリュー・レオナルドさん。

読者にとっての黄金時代は、必ずしもライターや発行人にとっての黄金時代になるとは限らない。

そして、景気のいいニュースベンチャーへと向かう投資の動向について、こう述べる。

しかし、どんなカネがそこから生み出されたのか? 億万長者の小切手やベンチャーキャピタルの投機によって得た資金でもつのはほんの数年。それ以上持続可能になるために、本当のジャーナリズムの黄金時代に必要なのは発行人が利益を手にし、ライターや記者たちが人並みの生計を立てられることだ。

これは黄金時代か石器時代か? 呼び方はおまかせするが。

●ジャーナリズムはうまくいってる

ブログメディア「ギガオム」のマシュー・イングラムさんは、こう反論する。「ジャーナリズムはうまくいってる、ありがとう:病んでいるのはマスメディアのビジネスモデル

イングラムさんは、モバイルの普及でニュースへの需要自体は高まっている、と指摘。ベンチャーキャピタルなどの資金が流れ込んでいるのは、レオナルドさんも認めるところだ、と言う。

読者はいいサービスを手にし、ニュースの閲読がかつてないほど人気を集めているなら、なんでジャーナリズムの未来など心配する必要があるんだ?

イングラムさんは、新聞や雑誌など紙ベースのマスメディアの苦境は認めている。ただ、それはあくまで一つのビジネスモデルから他のモデルへの移行にすぎない、と見立てる。

古いモデルから新しいモデルへの移行は恐ろしい経済的混乱を引き起こすか? もちろんそうだ。どんな種類の編集者や記者やライターにとっても、一つのやり方から別のやり方に移行するのは簡単なことではない。ただ、それは可能だし、実際にそうなるだろう。そしてジャーナリズムはこれからもうまくいくだろう。紙ベースの新聞や雑誌はそうじゃなくても。

●時間のムダなコンテンツばかり

一方で、ネットメディア「パトロール」のデビッド・セッションズさんは、「インターネットの現状はひどい、みんなそれを知っている」と、ネット上のコンテンツの質の低下を嘆き、この業界から足を洗う、と述べる。

優れた文章やジャーナリズムは、絶滅したわけではないが、皮肉な調子の、不必要な、退屈でつまらない、時間のムダの、文章と呼ぶことさえはばかられるコンテンツがあふれる中で、見分けがつかなくなるほど減少している。

これに改めて反応したのが、マシュー・イングラムさん。

ジャーナリズムとインターネット:今は最良の時か? いいや。でも最悪の時でもない」と題し、そもそもメディアは多様なコンテンツが組み合わさっているのが普通で、調査報道の金字塔のようなコンテンツはいつでもごく一部だ、と指摘する。

さらに、新しいテクノロジーにより、メディアのスピードが上がり、質が低下する、との主張には、電信の普及によるニュースの速報化についての、1858年のニューヨーク・タイムズの記事を引用する

軽薄、唐突、選別なし、速すぎて真実が伝わらない――これらはすべて電信のもたらす情報の特徴だ。これによって、世論も速すぎて真実が伝わらない状態になってしまわないだろうか? 欧州からの郵便が届くには10日を要する。ニュースの断片が届くの要するのは10分か? 電信が伝えるコラムはなんと取るに足りない、無価値なものか。

電信を「インターネット」と読み替えてみればわかる。新たなテクノロジーは批判の的になるものだ、と。

●割とどうでもいいこと

いずれも、特段の新しい知見や情報があるわけではない。

わかっているなら割とどうでもいいことではあるが、業界的には、そこの整理がまだついていないからこそ、こういう議論が続くのだろう。

ではそんな「メディアとニュースに、グーグルなら何ができるか」、という「ギガオム」創設者のオム・マリクさんの議論もある。

ニュースの取材に特化した、データベースを横断して検索ができるような機能を開発してはどうか、というそれなりに面白い提案ではある。

(2014年8月30日「新聞紙学的」より転載)

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