ホーガン訴訟支援、フェイスブック取締役、トランプ支持:ペイパル創業者のメディアへの影響力

IT長者が、1000万ドル(11億円)の私財を投じて、敵対的と見なしたネットメディアへの訴訟を支援し、1億4000万ドル(154億円)もの賠償命令を引き出す―。

シリコンバレーで知らぬ者のないIT長者が、1000万ドル(11億円)の私財を投じて、敵対的と見なしたネットメディアへの訴訟を支援し、1億4000万ドル(154億円)もの賠償命令を引き出す―。

今、米メディア業界はこの話題で持ちきりだ。

第1幕となった裁判の原告は元プロレスラー、ハルク・ホーガンさん。被告は、ゴシップサイト「ゴーカー」などを運営する「ゴーカー・メディア」。

ホーガンさんが、知人女性との〝セックスビデオ〟を「ゴーカー」に公開された、として起こした裁判は、今年3月、1億4000万ドルという巨額の賠償を命じる評決が出され、大きな注目を集めた。

ところが今月に入って第2幕の展開となった。

フォーブスが、ホーガンさんの裁判には秘密の資金提供者がいて、それはペイパルの共同創業者、フェイスブックの取締役で、推定資産27億ドル(3000億円)と言われるシリコンバレーのIT長者、ピーター・ティールさんだと特報したのだ。

過去の報道を巡る確執が、ネットメディアを存亡の危機に追い込む大がかりな〝操り人形型のスラップ(威嚇)訴訟〟につながったようだ。

ティールさんはIT長者というだけでなく、今やニュース配信の最大のプラットフォームであるフェイスブックの有力出資者で取締役であり、しかも米大統領選候補のドナルド・トランプさんの支持者であることも、今回の騒動がメディア界に大きな反響をもたらしている要因だ。

つまりメディアの激変の中で、制御不能とも見える要素が、いくつも詰まった騒動なのだ。

そして騒動には第3幕があり、新たなIT長者の名前も登場してきた。

●ペイパル・マフィア

ティールさんは、一昨年、スタンフォード大での講義をまとめた著書の邦訳『ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか』が話題となり、日本でもよく知られた人物だ。

ティールさんと言えば、まず思い浮かぶのが「ペイパル・マフィア」の中心人物。

ティールさんが共同創業し、のちにネットオークションの「イーベイ」が買収したネット決済ベンチャー「ペイパル」からは、やはり共同創業者で「テスラモーターズ」創業者のイーロン・マスクさんや、「ユーチューブ」の共同創業者、チャド・ハーリーさんスティーブ・チェンさん、「リンクトイン」創業者のリード・ホフマンさん、「イェルプ」共同創業者のジェレミー・ストッペルマンさんら、シリコンバレーの有力起業家が輩出しており、強力なネットワークを持つことで知られている。

さらに有名なのは、フェイスブックの初期の出資者であり、社外取締役であるということ。

映画「ソーシャルネットワーク」の中でも、マーク・ザッカーバーグさんが、サンフランシスコのティールさんのオフィスで、最初の本格出資、50万ドルを取り付けるシーンが描かれている。

ベンチャーキャピタル「ファウンダーズ・ファンド」のマネージング・パートナー、ヘッジファンド「クラリウム・キャピタル」社長、データ分析ベンチャー「パランティール・テクノロジーズ」会長、などの顔を持つ。

大統領選候補の決選投票が行われる7月の共和党全国大会では、ドナルド・トランプ候補の支持者として2472人の代議員リスト(カリフォルニア州)に名を連ねている。

そんなシリコンバレーの立志伝中の人物が、ハルク・ホーガンさんのプライバシー侵害訴訟に、秘密裏に巨額の資金を提供していた、というのだ。

●「慈善事業として」

ホーガンさんの訴訟は、背後に資金提供者がいるのでは、との指摘は以前からあった。

それがティールさんだとフォーブスが報じたのが24日

翌25日には、裁判所が3月の1億4000万ドル賠償命令の評決を認める判断を示している。

そして同じ日、ティールさん本人が資金提供を認めた、とするニューヨーク・タイムズの記事が掲載された。

タイムズの記事の中でティールさんは、2007年に「ゴーカー・メディア」傘下のシリコンバレー・ゴシップサイト「バレーワグ」(昨年末で閉鎖)に掲載されたブログ記事が、自身が同性愛であることを取り上げたのが、事の発端だったとしている。

この記事や友人らを取り上げた一連の記事が、「故なく人々の生活を損なった」とティールさん。

弁護士チームに資金を出し、「ゴーカー・メディア」の記事の〝被害者〟を探し、訴訟の支援をするという計画が動き始めたという。

これは復讐というよりも限定的な抑止ということだ。

私はゴーカーが、読者の関心を引くために、公共の利益とは何の関係もないことについて、人々をバッシングするという、独特の、信じられないほど有害な手法の先鞭をつけたと思っている。

ただティールさんは、言論の自由にも関心は高く、言論弾圧監視NPO「ジャーナリスト保護委員会」にも寄付をしていたようだ。

ティールさんは「大がかりなプライバシー侵害がジャーナリズムだとは思いたくない」と言い、「ゴーカー」との〝闘争〟はジャーナリズムに敵対しているわけではない、との立場をとる。

ティールさんは、いかなる政府の管轄も及ばない海上住居「シーステディング」の計画に50万ドルを出すなど、リバータリアン的な一風変わった〝慈善事業〟への取り組みでも知られる。

ホーガン訴訟への資金提供についても、「私が取り組んで来た数々の慈善事業の一つだ」と述べている。

●「コミック本の悪役」

「ゴーカー・メディア」創業者のニック・デントンさんは、ゴシップブログを核にブログネットワークを築いてきた人物だ。

ホーガン訴訟の賠償額は、営業利益20年分以上だ。

ただ、フィナンシャル・タイムズによれば、今回の騒動の前から「ゴーカー・メディア」には買収の打診があり、米国のスペイン語テレビネット「ユニビジョン」や、WWD、バラエティーなどを抱える「ペンスキー・メディア」などの企業名が浮上。

最高3億5000万ドルの買収額も取り沙汰されていたという。だがこの騒動で、その評価額も雲行きが怪しくなってくる。

とは言え、つぶされるのを黙って見ているつもりもなさそうだ。26日に「ゴーカー」上にティールさんに宛てた「公開書簡」を掲載している。

今や自分が打たれ弱い億万長者であることを、自ら露呈している。人の望みうるあらゆる成功と社会的な名声を手にしてなお、批判に対して激高し、物陰から、勝手知ったる訴訟で敵対者をがんじがらめにする。

さらに、こんなゴシップブログらしいネタも織り込む。

あなたは、HBOの番組「シリコンバレー」で、無情のベンチャーキャピタリストのモデルになった。だがこの悪魔的な10年にもわたる復讐計画によって、自分のキャラクターを、コミック本の悪役として設定し直したことになる。

以前にも紹介したグーグルなどのIT業界を題材にした人気コメディードラマ「シリコンバレー」には、ピーター・グレゴリーという、神経質なベンチャーキャピタリストが登場する。そのモデルが、ティールさんだと言われている

もっとも、ピーター・グレゴリーを演じていた俳優のクリストファー・エヴァン・ウエルチさんが亡くなってしまったため、ドラマの中でもこのキャラクターは急死したことになっているのだが。

デントンさんは、さらに、こうも述べている。

今とは違うアプローチがあることを、示しておこう。自由な社会において、言論に対する最善の規制とは、より多くの言論だ。

「ゴーカー・メディア」は控訴する方針だ。

●もう1人の億万長者

そして、この騒動には第3幕があった。

それが、ティールさんの「ペイパル」を買収した「イーベイ」の創業者、ピエール・オミディアさんだ。

オミディアさんは、2億5000万ドルを投じて調査報道メディアベンチャー「ファースト・ルック・メディア」を立ち上げている。スノーデン事件のスクープで知られるジャーナリスト、グレン・グリーンウォルドさんが創刊エディターを務める「インターセプト」などの傘下メディアを擁する。

この「ファースト・ルック」が、賛同者を募り、第三者が法廷に意見書を提出して助言を行う「アミカス・ブリーフ制度」を使った「ゴーカー」への支援を計画しているのだという。

ブルームバーグの取材に対し、「ファースト・ルック」のスポークスマンはこう述べている。

明確にしておきたいのは、これが報道の自由の原則を巡る問題であり、まさに我が社の存立基盤に関わる、深い関心をもっているテーマだということだ。

オミディアさんは、ジャーナリズムへの思い入れが強いようだ。

「ファースト・ルック」立ち上げ前にも、ホノルルで有料のニュースメディア「シビル・ビート」を設立。

「ファースト・ルック」の設立資金2億5000万ドルも、アマゾン創業者、ジェフ・ベゾスさんと競り合ったワシントン・ポスト買収のために用意したものだった。

オミディアさん自身はツイッターでこう述べている。

ピーターに会ったことはないが、彼のベンチャーキャピタリストとしての仕事は尊敬している一方、トランプ(支持)や報道(への訴訟)にははっきりと反対だ。これは〝いさかい〟というわけではない。

豊富な資金力で対抗するわけではなさそうだが、第3幕の登場人物としては十分なインパクトだ。

●スラップ訴訟と法規制

今のところ、メディア界の反応は、総じてティールさんに批判的だ。

ティールさんが寄付をしていた「ジャーナリスト保護委員会」は、騒動を受けて専務理事のジョエル・サイモンさん名の声明を発表。こう非難している。

我々は特定のメディア対し、懲罰を加えたり破綻させたりする目的で、訴訟を乱用することを支持しない。

ガーディアンニューヨーク・タイムズワシントン・ポストといった新聞系、ワイアード、さらにはヴォックスフュージョンといったネットメディアも、今回の騒動のメディアへの悪影響、特に萎縮効果を懸念している。

米国には、言論の封殺を主目的とする威嚇的な「スラップ訴訟」を禁じる「反スラップ法」が多くの州で制定されており、今回の裁判が行われたフロリダ州にもある

ただメディアサイト「ポインター」によると、州法は「スラップ訴訟」は禁じていても、懲罰的な賠償を目的とした、第三者の資金援助による実質的な威嚇行為までは禁じていない、という。

この騒動をきっかけに、「反スラップ法」の強化や、州法だけでなく連邦法レベルでの法整備の必要性も、改めて指摘されている

特に、財政的な体力の落ちた報道機関は、このような〝攻撃〟に弱くなっているようだ。

ナイト財団が行った調査では、回答社の65%が、10年前に比べて「言論の自由」を巡って法的手段を取る能力が落ちている、としている。

また、前回紹介したように、ティールさんが社外取締役を務めるフェイスブックは、その情報選別の透明性が疑問視されている今や最大のニュース配信プラットフォームだ。

ピュー・リサーチ・センターの調査では、米国の成人の44%がフェイスブックでニュースに接しているという。

そのフェイスブックの透明性問題の火付け役になったのもまた、「ゴーカー・メディア」傘下の「ギズモード」だったというのも、皮肉な成り行きだ。

今、メディアが抱える様々な問題が、一点に凝縮した騒動とも言える。

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■ダン・ギルモア著『あなたがメディア ソーシャル新時代の情報術』全文公開中

(2016年5月29日「新聞紙学的」より転載)

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