初の本格的な政策演説
アメリカ大統領選挙における共和党の予備選が事実上終わりました。焦点となっていたインディアナ州の予備選でトランプ氏が圧勝し、クルーズ、ケーシック両候補は選挙戦から離脱、トランプ氏が共和党の指名を得るのはほぼ確実な情勢となったのです。民主党側のヒラリー氏有利と並び、本選の構図はトランプ対ヒラリーということになります。夏に行われる党大会や本選に向けてまだまだ話題を提供してくれそうですが、本日は、4月27日に行われたトランプの初の本格的な政策演説について考えたいと思います。
同演説についての日本での受け止め方は、ゴールデンウィーク直前ということもあって、初めてプロンプターを使ったとか、日本を含む同盟国の負担増が求められたとか、表面的な分析に終始しているきらいがあります。しかし、「トランプ大統領」が実現すればもちろんのこと、仮にしなかったとしても、米国と世界の未来にとってとても重要な示唆に富む演説であったと思っています。
そもそも、トランプ氏が躍進を続けているのは、米国民の本音を体現しているからです。そして、この時点でトランプ氏が初の本格的な政策演説を行ったということは、米国民の本音を体系化する段階に来たということです。実は、私自身たいへん感心してしまったというのが正直なところです。時代の雰囲気に言葉が与えられたという印象を持ったからです。ひとたび言葉が与えられると、我々はその前の世界には戻れないのではないかとさえ思っています。
トランプ氏自身は自らをレーガン大統領になぞらえることを好みます。既存の政治に対するアウトサイダーで、国民に分かりやすい言葉で語る、それでいて、米国の強さを象徴する存在であるという。トランプ氏の外交演説には、確かにレーガンを意識した部分が多々見受けられます。もっとも端的にそれが表れているのは、「外交チーム」の総入れ替えを明確にしている部分でしょう。レーガンも、当時の外交エスタブリッシュメントを軽視し、カリフォルニアやテキサスから引き連れた子飼いの「カウボーイ」達に重責を担わせています。
しかし、私は、「トランプ外交」を考える際にもっとも参考になるのは、ニクソン大統領の政策なのではないかという印象を持ちました。ニクソン外交を表現する際にもっとも使われるのが「現実主義」ですが、トランプ氏の演説は同氏流の現実主義宣言であったと思っています。トランプ氏は、冷戦終結後から民主・共和双方の政権の下で進められた普遍主義に対して極めて懐疑的です。それは、端的にはブッシュ(子)型の介入主義の否定であり、同時に、クリントン=オバマ型の国際協調路線への懐疑でもあります。米国外交は普遍主義と現実主義の間を、そして国際主義と孤立主義の間を揺れ動いてきたわけですが、トランプ演説は2016年という時代背景を背負った現時点での、共和党的な世界観をとてもよく体現したものに仕上がっているのです。
結果として、共和党内の意見も割れています。外交政策に限らず、トランプ氏への支持を躊躇するライアン下院議長や、自身も大統領候補であった上院軍事委員会の大物であるグラハム議員が批判的な一方で、上院外交委員会のコーカー委員長や、ブッシュ政権期のタカ派の代表格であるボルトン元国連大使らは積極的に評価しています。この時期の大統領候補の政策への賛否は、政治的な駆け引きや政権参画への思惑も入り混じるものですから額面どおりに受け取るわけにはいきませんが、少なくとも俎上に乗る対象にはなってきたということです。
トランプが指摘する米国外交の5つの問題点
では、トランプ外交演説ではどんなことが語られたのか、紹介しましょう。演説の冒頭で、冷戦終結以降の米国外交を批判的に振り返るのですが、そこではこの期間の米国外交について、行き当たりばったりで、イデオロギー化しており、世界に混乱を招いただけであると酷評します。そして、自分が大統領になれば、米国外交に目的と戦略を再導入して平和を達成できるとするのです。演説の中で繰り返される言葉が、America First、あるいはAmerican Interestという言葉です。まさに、アメリカ第一主義の考え方です。
外交とは、そもそも国益の追及のために行うものですから、米国の大統領が米国の国益を第一に置くのは当たり前のことなのですが、この点を何十回も繰り返さなければならないところ現在の米国外交の混乱があるように思います。つまり、何を米国の国益としてとらえるか、あるいは、どのような時間軸で米国の国益を定義するかという点が争われているわけです。トランプ外交は、少なくとも米国の国益をより直接的に、より短期的に捉えるという特徴を持っています。この点が現実主義と親和性が高い点でもあり、私がこれまで米国の「普通の大国」化と言ってきた発想です。
演説では、現在の米国外交の5つの問題点が指摘されます。これらの問題点の裏返しがそのまま政策提言の柱になっていきます。順にみていきましょう。
第一は、米国の総合的な国力の基盤である経済力の停滞に対する懸念です。外交演説の最初に、米国外交の停滞の根源には米国経済の相対的な縮小があるという認識を持ってくるあたりはビジネスマンの感覚とも符合するのでしょうし、的確な発想です。大統領候補として、内政上の課題とも重複が多く、攻めやすい課題ということもあるでしょう。特に、トランプ氏のこれまでの発言では米国経済について短期的な悲観主義、長期的な楽観主義が特徴的でした。この点が修正されたのであるとすれば候補者として大きく成長したと評価してもいいでしょう。米国経済の相対的な退潮こそ、米国の国益と現在の世界秩序への大きな脅威だからです。
第二は、同盟国の「タダ乗り」についてです。米国が米軍の前方展開その他の政策を通じて同盟国の防衛を引き受けているにもかかわらず、同盟国は資金的にも、政治的にも、人員としても十分に貢献していないという。そこでは米欧の主要な軍事同盟であるNATOを例にとり、防衛費をGDPの2%水準とするという基準が提示されています。日本に当てはめれば防衛費を現状の5兆円から10兆円水準へと倍増するということになります。
同時に目を惹いたのが、同盟国とともに地域の安全保障上の脅威認識を再確認しようと呼び掛けてもいるということです。どのくらい本気で言っているのか判断が難しいわけですが、東アジアにおいて中国や北朝鮮の脅威を「再確認」した場合に、どのようなことが俎上に上るのか。その際、日米の役割はどのように分担されるのか、興味深いところです。
第三は、同盟目の不信を招いているという指摘です。この点は、主にイスラエルを意識した発言であると思われます。イスラエルの安全保障を軽視したイランとの核合意は、オバマ外交の最大の過ちであるというのは、大統領選挙期間中に各候補から聞かれた共和党全体のコンセンサスに近いものですから。ただ、中東以外にも、オバマ政権がロシアを意識するあまり東欧でのミサイル防衛の約束を反故にしたことにも言及していますから、米国のコミットメントへの不信が世界中に広がっているという認識はあるものと思われます。
第四は、米国がその挑戦者達から尊敬を勝ち得ていないという指摘です。これは、ロシアと中国を念頭においた発言です。特徴的なのは、米国が優位な立場から交渉する限りにおいて両国との妥協可能性はあるとする発想であり、米ロや米中が必然的に対立する運命にはないとする世界観です。その、妥協可能性が何を意味するのかは明確に語られなかったものの、米国の経済力をより的確に活用するということが示唆されます。例えば、北朝鮮問題について中国の正しい行動を促すために、経済制裁その他の経済的手段が有効であるということです。
最後の第五は、米国外交が明確な目的意識を失ったという指摘です。復興と国際的な仕組みづくりを主導した第二次大戦後の米国や、共産主義に打ち勝つことを目的とした冷戦期の米国外交には明確な目的意識があったのに対して、現在の米国外交は行き当たりばったりであり、特に、中東外交の混乱はひどいという指摘が繰り返されます。それに対する処方箋が、冒頭の米国第一主義であり、信頼される米国であり、地域の安定を最重視する姿勢の強調です。大事なのは安定であって、民主主義を広めることでも、リベラルな価値観を広めることでもないという考え方を明確にしています。
パクス・アメリカーナの持続
トランプ氏は政権奪還を目指す野党共和党の候補者ですから、現政権が進める外交政策に批判的であるのは当然のことでしょう。しかし、トランプ外交演説にはそれを超えた米国外交の根本的な発想の転換が主張されているのです。それは、冷戦に勝利し、グローバリゼーションとイノベーションを牽引して世界経済を拡大し、自由と民主主義を広めるために努力した結果がこれか、という米国民の不満に根差しています。
米外交の問題点に続いて提示された戦略は、ブッシュ(子)政権期のテロとの戦いを名目とした介入主義でもなく、クリントン・オバマ政権期の自由主義的な発想に基づく多国間協調路線でもなく、ストレートにアメリカの力に基づく平和(=パクス・アメリカーナ)の継続を目指すものでした。そこには、誰しも孤立主義の匂いをかぎ取ったことでしょうが、演説を収束される際に繰り返されたのは「平和」という言葉でした。米国が力を取り戻すことで、21世紀はかつて人類が経験したことがない水準で、平和と繁栄を達成できるという。
米国の安全と繁栄に対する本質的な脅威については、イスラム過激主義と米国経済の相対的な退潮があげられます。イスラム過激主義については、世界の人口構成の中長期的な展望と、米国に対する本質的な敵意と妥協不可能性の観点が強調されます。オバマ大統領やヒラリー前国務長官が、イスラム過激主義と正面から向き合わず、ISに対しても「封じ込め」政策に終始していることを激しく非難しています。ただ、これまでのトランプ氏と異なるのは、イスラム過激主義との闘いにおいては、イスラム教国の同盟国やロシアとの協調が必要であるとの観点が提示されることです。
米国の経済力の相対的な退潮について多くが語られたのが対中関係においてです。米国から見たときに、中国の脅威とは第一義的には軍事的なものではなく、経済的なものであると。中国の軍事力は、米本国にとってはいまだ直接的な脅威と言える水準ではない一方で、対中貿易を通じた米国製造業の衰退や、米国の財政赤字が中国の資金力によって支えられている現実への脅威認識です。米国から見る世界においては、中国との対立も協力可能性も、その主戦場は経済分野であるということです。
そして、米国の力を再確立するために米軍の能力を再確立することが急務であり、米軍の優位性は誰からも疑問視されてはならないと。そのために挙げられた第一の課題が核兵器体系の更新であり、核抑止の再確立です。この点は、歴代政権が正面から取り組んでこなかった安保専門家の根本的な課題認識であり、オバマ政権の「核なき世界」路線からの明確な決別です。その他にも、海軍や空軍の量的な拡大や装備の更新、人工知能やサイバー攻撃などの新しい技術においても世界をリードする強固な意志が表明されました。
トランプ氏の外交政策を支える根本的な世界観は、冷戦後の世界において形成された「リベラルな国際秩序」(Liberal International Order)への懐疑です。懐疑というよりも、そんなものはそもそも存在したのかという苛立ちに近い感情でしょう。現に、ロシアはクリミアで、中国は南シナ海でリベラルな国際秩序とは正反対の行動を繰り返しているにもかかわらず、世界にはそれを止めさせる力はないではないかと。そして、リベラルな世界観を声高に主導していた欧州でさえ、100万人規模の難民が押し寄せれば見るも無残に腰砕けではないかと。冷戦後に語られた理想主義は、結局は1920年代のそれに似ていて、本当に世界の平和を守る力はない、平和を守れるのは米国の力だけである。いやむしろ、大国間の平和が保たれれば、辺境に紛争が存在してもかまわないという発想です。
世界の文脈と東アジアの文脈と
トランプ外交演説には、ある意味、典型的な共和党的発想と言える部分が多く含まれます。米軍の優位を絶対的なものとすることは、レーガン政権期を通じて形成された発想と通じるものがあります。米軍の中身について、冷戦型の大量展開型の軍隊から、テロ、宇宙、サイバーなどの新しい脅威へも機動的に対応できる軍への転換を目指すというのは、ブッシュ(子)政権期のラムズフェルド国防長官が目指した路線です。また、実際の米軍の展開は質量ともに圧倒的な優位な状況においてのみ行われ、いざ展開する場合には「勝つために戦う」という発想も、レーガン政権期のワインバーガー国防長官や、ブッシュ(父)政権期のパウエル統合参謀本部議長の発想と同じです。
しかし、トランプ氏には従来的の共和党的な路線からの逸脱も見られます。特徴的なのはグローバリゼーションに対しても懐疑的な目を向けている点です。この点が従来型の共和党的候補と大きく異なる点でしょう。その必然的な帰結は、外交全般における孤立主義的傾向です。経済分野では保護主義的傾向が強まるでしょうし、安全保障分野では米国の核心的な利益とはみなされない地域やテーマに対しては、介入に消極的となることが予想されます。
その点から、トランプ外交の世界的な文脈と東アジア的文脈とのズレが生じてくることになるでしょう。米国民のほとんどは、西太平洋の局地戦に米国の核心的利益を見出すことはありません。日本人が理解すべきは、その事実はトランプが勝とうがヒラリーが勝とうが変わらないということです。最初から開き直ってネゴシエーションの対象としてくるか、米国のコミットメントは不変であると最後まで言い続け、最後に梯子を外すかの違いに過ぎません。
「トランプ大統領」が想定しうる事態となってきたことを受け、世界中で外交・安全保障専門家が右往左往しています。トランプ外交演説の原則をそのまま日本の文脈に当てはめれば、在日米軍の駐留費は全額負担し、防衛費全体を10兆円規模に増やし、中国や北朝鮮の脅威への対処についてゼロベースで米国と交渉することになります。20世紀後半の日本外交の転機となったニクソン・ショックと同規模の、トランプ・ショックということになるでしょう。
なにせ、相手は合理性と損得で考えるディール・メイカーです。しかも、これまでの経緯論にこだわらずに、ゼロ=ベースで思考する日本が最も苦手なタイプです。多少救いがあるとすれば、この黒船がいつやって来そうなのかほぼほぼわかっているということでしょうか。
(2016年5月9日「山猫日記」より転載)