東日本大震災から5年が経過した。私は福島県浜通りの医療支援を続けている。
私どもの研究室からは、これまで20名以上の医師が常勤・非常勤で浜通りの病院に勤務している。
今年も麻酔科医である森田麻里子医師が南相馬市立総合病院、血液内科医の森甚一医師がいわき市のときわ会常磐病院に就職する。
浜通りでの勤務経験は若者を成長させる。本稿では南相馬市立総合病院の初期研修医である山本佳奈さんをご紹介したい。
彼女は昨年4月から同院で初期研修を始めた。滋賀県出身で滋賀医大卒。大学時代から当研究室に出入りしていた。
当初、都立墨東病院での研修を希望していたが、マッチせず、悩んだ末、南相馬での研修を選んだ。
研修を始めた当初、彼女は不安だったようだ。そもそも研修医として社会に出るだけで大変なのに、縁もゆかりもない福島で働くのは相当なストレスだったのだろう。「辛いです。このままで大丈夫でしょうか。」と言うことが多かった。
ところが、彼女は大きく変わった。表情は明るくなり、自信をつけつつある。最近は「皆さんのお陰です。感謝しています。」と言うことが増えた。こうなると、周囲が彼女を応援し始める。仕事もできるようになる。
なぜ、山本さんは成長したのだろう。私は、さまざまな経験を積んだからだと思う。
彼女は産科希望だ。今年1月から4月まで産科を回っている。研修2年目も4ヶ月間、回る予定だ。
あまり報じられないが、南相馬市立総合病院では分娩数が急増している。震災前年間220件あった分娩数は、2011年度はゼロになった。12年度に再開し、12 年度93件、13年度167件、14年度183件と増加している。15年度は年間216件のペースだ。
これを診ているのは、産科常勤医である安部宏医師と山本さん、さらに福島医大から来る非常勤医師だ。山本さんの役割も大きい。外来、検査は勿論、分娩や帝王切開術も安部医師とともに立ち会う。経験数は通常の臨床研修病院より遙かに多い。経験を積めば、自然と実力もつく。
南相馬市立総合病院のもう一つの特徴は、金澤幸夫院長が「何でもチャレンジしてみよう」という方針を打ち出していることだ。
外科医であった根本剛医師は、震災後、在宅治療を専門とする医師に転身した。神経内科医の小鷹昌明医師は、専門分野の診療だけでなく、地域住民を対象として、「エッセイ講座」や「男の料理」教室などを定期的に開催している。
山本さんが力を注いだのは、文章を書き、発信することだ。これは大学時代から、彼女が力を入れてきたことだ。研修開始後も、朝日新聞の読者寄稿欄やハフィントンポストなどに文章が掲載された。
さらに、4月には光文社新書から貧血に関する本が出版される予定だ。約11万字の大作で、研修の合間をぬって文章を書いた。彼女にとって大きな「業績」となる。
若者には「旅」が必要だ。異郷で苦労を重ねることで成長する。東日本大震災から五年、浜通りは若き医師にとって格好の修業の場になりつつある。
*本稿は「医療タイムス」の連載に加筆したものです。
(写真)南相馬市立総合病院の一年目の研修医。右から二人目が山本佳奈さん。