慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(慶應SDM)で、「前例がないプロジェクトをどうマネジメントするか」や「ユーザーが必要なものを、限られた予算や期限の範囲でいかに生み出すか」を教える神武直彦准教授。サービス創出の手法や仕組みに挑む研究は、ヨーロッパで、日本との「働き方」の違いに衝撃を受けたことが原点となった。個別の技術では優れている日本が、それらをつなぎあわせた大規模システムでは世界に立ち行けない理由は何か? 以来、神武さんは、役に立つサービスやイノベーションを創出する方法論を追いかけている。
●働き方の違いを目の当たりに
宇宙航空研究開発機構(JAXA)の国際連携プロジェクトに携わった神武さんは、2007年、オランダにあるヨーロッパの宇宙機関で働いていた。
そこでの働き方は日本と全く異なっていた。いわゆる「9時から5時まで」の勤務で、金曜日は夕方3時にチューリップを買って帰ってしまう同僚たち。「一方の日本人は徹夜してナンボの文化」。しかし、出てくる成果物に大きな違いはなかった。日本は求められた性能より少しよいものを作り、ヨーロッパは求められた仕様通りに作ってくる。「個々の能力でも優れていると感じることが多い日本が、『ちょっとの差』のために、さらにこれだけ時間を費やす意味があるのか?」
理由を考えるうち、仕事の仕方が違うことに気付いた。日本はプロジェクトや部門が異なれば、多くを一から作り直す。ヨーロッパでは、言語も考え方も異なるいろいろな国の人が一緒に開発するため、業務プロセスが明確に決められていて、誰かが一度やったことは二度やらない、すでにあるものは改良して使う、衛星でも再利用できるところは全て再利用したり、再利用を視野に入れて設計されていたりするなど戦略的かつ効率的だった。体系的に進める「システムズ・エンジニアリング」の発想が徹底していた。それは、人生の質(クオリティ・オブ・ライフ)にも関係すると体感して帰国した。
●ものづくりに必要な「Validation」と「Verification」
帰国から1年後、神武さんは2009年に慶應SDMに籍を移し、ヨーロッパで学んだことや日本での経験をもとにシステムズ・エンジニアリングや、そのマネジメントに関する考え方や方法論を教え始めた。
例えば、大学院で担当する必修科目では、「妥当性確認(Validation)」と「検証(Verification)」という2つの言葉を使って「本当に顧客が必要としているものを、求められた品質に、限られた予算とスケジュールで実現する」ことを扱う。実現するサービスが顧客や社会が求めている要求を的確にとらえた"正しい"ことなのかを確認する「妥当性確認」。また、サービスが実現の過程でその仕様通りに"正しく"作れているかを確認する「検証」。神武さんの研究室では、講義で得た知識やスキルを活用して、次世代の防災システムや安全保障システム、ITシステムを研究するエンジニアや政府職員もいれば、薬局の連携による新しいヘルスケアシステムの提案に取り組む薬剤師や、地域コミュニティ創出に取り組む社会福祉士もいる。地球規模課題から地域課題までテーマは多様だ。
さまざまな社会課題を抱え、前例のないことに取り組まなければならない成熟社会、日本。価値観もニーズも多様化する中では、必ずしも「新しい」だけでは価値にならない。成長過程の途上国なら、「衛星をともかくあげたい=作る」ことに議論の余地はないが、日本では「誰のためか」「どんなものを作るか」「価値は何か」をしっかり考えることが求められる。
だからこそ、「メディアはより大事になる」と神武さんは話す。課題を解決するサービスを生み出すには、「正しい情報をメディアが提供し、利用者による俯瞰的かつ詳細な調査分析に貢献すると同時に、生み出されたアイデアやソリューションが本当に役立つかの妥当性確認や検証などの『評価』にもメディアが貢献できる」からだ。
●新しいものを生み出し、イノベーションを興すためには...
神武さんは今、アジアを中心として世界各国に月に数回、足を運び、現地の人と課題解決に取り組んでいる。「日本と異なり、そもそもネットワークが全然つながらず、1日の半分は停電しているような国では、衛星やITの価値がとても大きい。例えば、衛星からGPS受信機に天気予報を1日1回送るだけで価値になる」。衛星の機能に新しい「付加価値」を求める必要がない。「そういうところで、サービスを提供し、失敗して、評価もして、洗練されたものになってきたら、日本に導入するやり方もある」と最近は思い始めた。「日本企業はどうしても、まず日本で試して、良かったら海外へも出しましょうというマインドだけど、市場も人口も縮小していく日本でそのモデルが成り立たなくなっている」
どうすれば本当に社会の役に立つものを実現できるかを追求する神武さん。そのための手法や仕組みづくりが研究のテーマのひとつだが、イノベーション創出は「最後は情熱」とも語る。「マックス・ウェバーの言葉を借りれば『情熱なしになしうる全ては無価値である』。情熱がないと新しい価値やイノベーションは起こらない」。大学での講義や「イノベーション・キャンプ」のような場を通じて、「情熱を単なる思いに終わらせず、具現化する」ための手法や仕組みを伝え、イノベーターたちの後押しを続ける。
●プロフィール
神武直彦氏(慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科准教授)
大学卒業後、1998年に宇宙開発事業団入社。H-IIAロケットの研究開発と打上げおよび国際宇宙ステーションプログラムにおけるNASAや欧州宇宙機関(ESA)との国際連携に従事。ESA研究員、宇宙航空研究開発機構主任開発員を経て2009年より現職。専門は社会技術システムのデザインとマネジメントやイノベーティブなサービス創出のためのプロセス・環境構築。一般社団法人GESTISS(宇宙・地理空間技術による革新的ソーシャルサービス・ コンソーシアム)理事。アジア工科大学大学院客員准教授。
朝日新聞社・未来メディア塾のプログラム設計とモデレーターを担当。