「ウィル・スミス」「麦チョコ」「コーヒー豆」「留学生」...これは全部、私の高校時代のあだ名です。
私の場合、こうしたニックネームをそのまま自分のアイデンティティとして好むようになりました。
その訳をこれから、書いていきたいと思います。
ウガンダ人の父と日本人の母の間に生まれ、日本で育ちました。
転機になったのが2009年、父親の祖国、ウガンダに初めて家族で旅行したことです。母方の祖父、母、父、兄弟で父の祖国であるウガンダに数週間、滞在しました。
空港に着いたとき、見渡す限りの草原を眺めたときから何もかもが新鮮で、こんな国があったのか!と思いました。このときの訪問で、何もかもが日本と違っているこの国をすぐに大好きになってしまいました。
それまで東京で育ち、父親はアフリカ出身という程度は認識してはいましたが、「ふるさと」という意識は特に無く、日本にずっと住んできたということが当たり前すぎて、アフリカのルーツをさして気にとめることもなく過ごしていました。
そんな私の人生に、東アフリカのこの小さな国が、急に現れた、と言っても過言ではありません。このとときの訪問がきっかけになり、自分が何者なのか、ということへの疑問を持ち始めました。
2013年に今後は父親と2人で、旅人ではなく住人としてアフリカの地を踏みました。1年ほど現地に住み、インターナショナルスクールに通いました。このときの生活を通じて、ウガンダがさらに好きになって、自分をウガンダ人とも思うようになりました。
生活する中で、ウガンダのアイデンティティを持つようになりました。自分をウガンダ人でもあるのだ、と認めたくなりました。
当時のこんなエピソードがあります。
日本で、私の薄い茶色の肌色は目立ち「アフリカ人?」みたいに思ってくれる人が多いのですが、ウガンダの人から見ると、私の肌は白いので、逆に目立ちます。
また、アジア系の顔立ちをしているからか、行き交う人々に、「中国人」(注:当時、現地で多かった中国人の労働者と日本人を混同したようです)と呼ばれるなど、どうしても「外国人」扱いされてしまうことがほとんどでした。
日本でこれまでずっと育ってきたのだから、仕方がないことだと割り切れたのかもしれませんが、「白い」と言われたことを、私は気にしてしまい、それがコンプレックスにもなっていました。ウガンダの人と一緒がいい、という自発的な同族意識がそうした気持ちを生んだのかもしれません。
いま思えば、この経験から「三浦ノアという人間はどこに属するのか」という問いが浮かんだのだと思います。
高校2年でニュージーランドへ1年近く留学したときに、大きな学びがありました。
多民族国家であるこの国には、いわゆる外国人という意識がないことに衝撃を受けました。「日本出身/日本人のノア」ではなく「ノア」そのままで自分が受け入れられることを経験し、自己というものは国籍によって決まるものではないことを悟りました。
その気づきがもととなり、以降人間観察にハマりました。リーダーとしての意識をよく持つ私からすれば、「どうやってこの様に多様な人々をまとめていくのだろう」ということ何かも考えていました。
日本に帰ってきて、高校最後の年。自分なりのアイデンティティへの答えは、この時にポッと出てきました。これまでの経験は、幸いなことに、私が日本人でもアフリカ人でもあることを気付かせてくれたのです。
そうして私は自分をJAFRICAN(Japanese×African)もしくはJapanese African(日系アフリカ人)と称するようになりました。
嬉しいことに、周りの友人は自分のバックグラウンドに関心や理解を示してくれました。
高校には、協働ゼミという生徒主体の研究型授業があって、私は「アフリカゼミ」のゼミ長をしていました。大学生の方々を始め、外部の方と様々な協働をしていました。夏休み中に、コンゴ民主共和国に行き、現地の人々と協働・協創したミュージカル(ワークショップ)や、タンザニアからの生徒を招いておもてなししたり、ルワンダの学校とスカイプ交流するなどの活動を行いました。
そのゼミの仲間が「麦チョコ」というあだ名を、私につけてくれたのです。
ウガンダで肌が白くて「中国人」と呼ばれ、ウガンダ人として扱われなかった経験から、私は肌が茶色いと言われることは、逆にうれしく思っています。コーヒー豆や留学生などなど、ほかにも呼び名は多くあります。
こうしたニックネームの中には、失礼なものも含まれているのではないか、とも思われがちですが、私はすべての名前で呼ばれること自体は、自分の茶色の肌の色やルーツがアフリカにあると認めてくれていると受け止めているので、逆にありがたいな、と捉えています。
これからも、日系アフリカ人としての自分に誇りを持って、時にはそれをネタにしたりもして周りの人を笑顔にし、マイ・アイデンティティをフルに活用していきたいです。
様々なルーツやバックグラウンドの交差点に立つ人たちは、自分を取り巻く地域の風景や社会のありようを、どう感じているのでしょうか。当事者本人が綴った思いを、紹介していきます。
投稿もお待ちしております。さまざまなルーツの交差点に立つ、皆様のライフストーリーを教えて下さい。掲載の場合はご連絡を差し上げます。英語、邦訳つきの他言語での寄稿も大歓迎です。
送付先:blogs@huffingtonpost.jp