アルツハイマー病マウスで記憶が回復

アルツハイマー病の患者でも記憶を形成できることを示唆する研究結果が発表され、新たな治療への期待が膨らんできた。

アルツハイマー病の患者でも記憶を形成できることを示唆する研究結果が発表され、新たな治療への期待が膨らんできた。

アルツハイマー病を患う人は、人の顔や、自分が普段よく使っている物を置いた場所を忘れてしまうことがある。その理由は、脳がそうした記憶の格納場所を見つけられなくなることにある可能性が、マウスを使った実験で示唆された。この研究成果はNature 2016年3月24日号(参考文献1)に掲載された。

この実験結果は、アルツハイマー病は脳に新しい記憶が形成されるのを妨げるという考え方に反論を唱えるものだ。さらに、アルツハイマー病の初期の段階では、脳刺激によって一時的に患者の記憶力が改善する可能性があることも示唆している。

この研究は、理化学研究所(以下、理研;埼玉県和光市)脳科学総合研究センター長であり、理研がマサチューセッツ工科大学(米国ケンブリッジ)に設置した理研-MIT神経回路研究センターを率いる利根川進のグループで行われた。2015年、彼らはあるタイプの記憶喪失では、記憶は保存されているが想起できなくなっているという研究結果を発表している(参考文献2)。

ヒトにおける唯一の記憶の検査方法は、患者に情報を思い出してもらうことであるため、保存された記憶と想起された記憶を区別することは難しい。しかしマウスの場合、記憶を操作することが可能だ。そこで利根川らは、アルツハイマー病に関連付けられている遺伝子に変異を持つ2系統のマウス(アルツハイマー病マウス)を使って、アルツハイマー病でも記憶は保存されているが想起できなくなっているという仮説を検証した。

アルツハイマー病の患者の場合、病気が進むとアミロイドタンパク質の凝集体であるアミロイド斑が脳内に明白に広がるが、それが起こる数カ月〜1、2年前の早期において、すでに出来事記憶に支障が見られることが分かっている。実験で使用したマウスの場合でも、このような早期の状態を経てからアミロイド斑が広がる。

利根川らは、病気が比較的早期のマウスを箱の中に入れ、そこで電気ショックを与えることにより、このような記憶喪失が起こっている状態を再現した。正常なマウスは箱を恐れることを学習したが、アルツハイマー病マウスは、電気ショックを受けたことを覚えていなかったため、箱を恐れることはなかった。

上:マウス脳の横断面。グリーンの部分は、アルツハイマー病の進行に伴って蓄積するアミロイドタンパク質の凝集体。

下:一部のニューロン(上の写真のグリーンの部分)が光感受性タンパク質を作るように改変されたマウスを使い、記憶喪失の研究が行われている

Dheeraj Roy

箱の中で考える

利根川らはウイルスを使った遺伝子操作により、このアルツハイマー病マウスの海馬(短期記憶を符号化する脳領域)のニューロン群で、光感受性タンパク質が作られるようにしておいた。そのマウスを箱に戻し、電気ショックの記憶が保存されているニューロン群に人工的に光を当てて発火させた。この刺激によって、マウスはショックを受けたときの記憶を取り戻し、怯えてすくんだ。

マウスのこの動作は、ショックの記憶が作られ、脳内に保存されていたことを示唆している。しかし翌日、自然な方法で記憶を呼び戻すことはできなかった。つまり、これらのマウスでは記憶は作られるが、想起の段階がブロックされていたのである。

次に研究チームは、記憶が長期にわたり繰り返しアクセスされるときに自然に起こるプロセスをまねて、パルス光を複数回照射した。これによって、嗅内皮質と呼ばれる領域と海馬の間のつながりが強化された。この2領域間のつながりは長期記憶の保存を担っている。こうして記憶が強固になったマウスは、光を当てなくても箱に対する恐怖を思い出すことができた。

それらのマウスの脳を解剖すると、光パルスの刺激によって海馬と嗅内皮質のニューロンに、この2領域のつながりを強化させるスパインと呼ばれる棘状の構造が増加していることが分かった。スパインは、アルツハイマー病の進行に伴い失われていくことが分かっているため、この手法で患者の記憶を回復させることが可能かもしれない。

しかし利根川らは、この手法が有効なのは、アルツハイマー病が始まってからマウスでは数カ月、ヒトでは2、3年程度だろうと考えている。アルツハイマー病が進行して、いくら神経のつながりを増やしても追いつかなくなると回復は望めない。

アルツハイマー病における記憶障害の仕組みについてのこのマウスモデルで得られた仮説は、患者に見られる症状と一致する。理由は分からないが、海馬は特にアルツハイマー病によって損傷を受けやすい。

自分の車をどこに駐車したか、といった新しい記憶がまず損なわれるのはそのためだ。病気が悪化するにつれ、脳の他の部分も破壊されていき、患者は家族の名前など昔から知っていた情報も忘れるようになる。

記憶を刺激

「この研究で見事に実証されました」と話すのは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(米国)の神経外科医Itzhak Fried。しかし彼は、マウスを使ったこの研究結果と同じことがヒトの脳でも言えるかどうかは分からないと注意を促す。マウスでは、ヒトと全く同じ過程でアミロイド斑が沈着するわけではないからだ。

それに、ヒトの脳を光で刺激する方法はまだ開発されていないため、アルツハイマー病では記憶想起に支障があるというこの仮説をヒトにも適用できるかどうかを調べることはできない。

コロンビア大学(米国ニューヨーク州)の神経生物学者Christine Dennyは、光遺伝学的手法が使えない部位でも、電気刺激なら成功するかもしれないという。数名のアルツハイマー患者を対象とした初期の臨床試験で、海馬の深部脳刺激によりニューロンの新生が起こり、記憶が改善することが示唆されている。だが、それがどのような機序によるのかは分かっていない(参考文献3)。

しかし利根川らの研究結果によって、より標的を絞った刺激ができるようになるかもしれない。特に、記憶が(長期に保存されるために)海馬からどのように移されるのかが分かれば、成功する可能性は高まる。Friedの研究チームをはじめとするいくつかのチームがすでに、記憶能力の回復を期待して、脳に損傷のあるてんかん患者の嗅内皮質に微調整された微小な電気刺激装置を移植している。

Friedは間もなくごく少数のアルツハイマー病患者を対象に、微小な局所刺激を試験するときが来るかもしれないと言う。彼は、特に霊長類を使った、より多くの動物実験を行うことが重要だと考えているが、同時にこう語る。「私たちは実際にひどく苦しんでいる患者たちの症状を緩和したいと切に願っているのです」。

Nature ダイジェスト Vol. 13 No. 5 | doi : 10.1038/ndigest.2016.160502

原文: Nature (2016-03-16) | doi: 10.1038/nature.2016.19574 | Memories retrieved in mutant 'Alzheimer's' mice

Sara Reardon

参考文献
  1. Roy, D. S. et al. Nature531, 508-512 (2016).
  2. Ryan, T. J., Roy, D. S., Pignatelli, M., Arons, A. & Tonegawa, S. Science348, 1007-1013 (2015).
  3. Sankar, T. et al. Brain Stim. 8, 645-654 (2015).

【関連記事】

Nature ダイジェスト Vol. 13 No. 5 | doi : 10.1038/ndigest.2016.160511

Nature ダイジェスト Vol. 13 No. 5 | doi : 10.1038/ndigest.2016.160527

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