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JR福知山線脱線事故と事故から13年間のあゆみ。事故後を生きる人たちの苦悩や喜びを伝えてくれる。
「人生の危機は誰しも一度は訪れる。いいことも悪いこともコインの表裏のようなもの」
107人が死亡し、562人が負傷した2005年4月のJR宝塚線(福知山線)脱線事故で、業務上過失致死傷の罪で強制起訴されたJR西日本の元会長井手正敬被告ら歴代社長3人を無罪とした一、二審判決が確定する。
福知山線脱線事故から10年がたつ。事故前から今日までを振り返ってみよう。
この10年にわたって被害者の人々と共に歩んできた支援者の立場から、いくつかの"成果"と"課題"と"葛藤"を書き残しておきたい。
気がついたらもう10年だったという感じです。事故も自分の人生の一部で、死ぬまで一緒に付き合っていくのが当たり前なんだと実感がわいてきたのは、10年という時間が経ったからじゃないかなと思います。
「もって3カ月」と医師は言った。呼んでも反応のない順子さんの体を、母もも子さんは必死でさすり続けた。
事故で人生を変えられた人々の10年は、事故後も苦難の連続だった。それでも「生きる勇気を発信できれば」と、生き残った負傷者やその家族、支援者が4月19日、兵庫県川西市でシンポジウムを開いた。
会社員の地位を捨てて戦地に身を投げ出す勇気もなく、平々凡々とサラリーマン記者として過ごしてきた私には、後藤さんのような勇気あるジャーナリストが、人間の生命を駆け引きの道具に弄ぶ連中の犠牲になったことが悔しくてならない。
005年に乗客ら107人が死亡、562人が重軽傷を負ったJR福知山線脱線事故から2015年4月25日には10年を迎える。あの事故から生き残った負傷者らは、10年の節目に向けて原点を見つめ直そうと、手記を集め、シンポジウムを開催する。