fukushima

東日本大震災からの「復興五輪」という名目に、何の実態が伴ったのか。東京五輪直前、今も帰還困難区域となっている福島県浪江町津島地区の人々は、国と東電を相手取った訴訟の判決を待っていた。
新潟地裁の判決は自主避難の合理性を認めたが、賠償額は「求めていた請求額からはほど遠い金額」となった。
処理水を実際に海に流すレベル(100分の1以下)まで薄め、通常の海水での飼育と比較検証する計画という。
様々な犠牲と矛盾を飲み込んで、コロナ禍で強行されるオリンピック。オリンピックよりも何よりも、「今、飢えている人」「住まいがなく困り果てている人」に手を差し伸べて欲しいと切に思う。
福島県は原発の廃炉や汚染水の処理問題、未だ多くの方が避難生活を送っているという過酷な現状があります。ただ一方で、「復興のその先」を見据えた新しい姿を見せ始めています。
3.11 世界中の一面は、東日本大震災だった。10年たった2021年、世界のメディアは被災地や原発の今を伝えた。その中でも、福島原発事故に焦点を当てトップニュース級に扱っているメディアも。
放射能で不安な住民の気持ちに寄り添うことと、科学的判断とはどう両立するのだろうか。そして、政治家として「まちを守る」こととは?退任した飯舘村の菅野典雄元村長に聞いた。
2011年3月11日、NHKのヘリコプターからの中継映像は、海沿いの町をのみこむ津波を克明に捉え続けていた。カメラを握っていたのは、当時、NHK福島放送局の報道カメラマンだった鉾井喬(ほこい・たかし)さん。入社1年目、その日がまだ5回目のフライトだった。 ※この記事には津波の描写があります
1年後がどうなっているのかわからないのに30年後も続いていると疑いなく思えることが他にどれほどあるだろう
火災などのトラブルは起きていなかった。