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1945年9月27日アメリカ大使館で撮影。新聞に掲載されて、日本人に衝撃を与えた「あの写真」の秘話
特攻隊の話ばかりしていたあの頃から、20年。今の私は40代で、彼らの若さに別の意味で打ちのめされる。もう私は、彼らの親世代だ。だからこそ、あの頃と見えている光景は違う。若い特攻隊を死に追いやった大人たちに、深い深い怒りを覚える。
歴史学者の磯田道史さんは、「日本は、これまで避けてきた問題と向き合い、同時に歴史的な時間軸で物事を考えないといけない時代に突入した」と語る。その真意とは。
いま、日本人に必要なのは「深く考えること」だと磯田道史さんは語る。その真意とは。
ハフポスト日本版では、宮内庁が復元して公開した当時の音声を、現代語訳の字幕つきで動画にしてみた。
目的は玉音放送を録音したレコード(玉音盤)を奪取することにあった。
あるアメリカ人が和平のために大きな役割を果たしていたことはあまり知られていません。
当初、午後6時めどに送信する予定が、文案の策定に手間取り、連合国側への通告が遅れた。このため、アメリカ軍の空襲は14日夜から15日未明にかけても続くことになる。
「武力という抑止力」でしか国際関係のバランスを取ることができないという考え方は、もう古いのではないでしょうか
1945年8月15日-敗戦の日。それから30年以上の月日が流れた70年代後半に私は生を受け、「戦争なんて昔のこと」「自分とは関係がない」そう当たり前のように思って過ごしてきました。
オアフ島パールハーバー、世界中からの観光客が足を運ぶハワイの一大観光スポットです。ただし、日本人観光客の割合は少なく、私自身仕事で足を運ぶ以外、なかなか訪れる気にはならない場所でした。様々な感情が去来し、痛みばかりが増すのみなので、なんとなく避けていたきらいもあります。
8月15日は68回目の終戦記念日。68年前の正午、昭和天皇の玉音放送によって当時の国民は終戦を知った。玉音放送というと、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」のくだりが有名だが、その続きまで覚えている人は多くないだろう。終戦記念日にあたって、原文とともに現代語訳を全文で紹介する。