先日の本欄に、SNSの「いいね!」にみられるような承認欲求が強い時代を、他者の評価をあまり気にせず自由に生きるためには、確かな自己アイデンティティが必要だと書いた。
では、どうすればそれを実現できるか。自己アイデンティティの形成は、中高年ともなれば仕事と深く結びついており、どんな仕事をして生きてきたかは、その人のアイデンティティを語る上で重要な要素だろう。
日本経済新聞朝刊の最終面に『私の履歴書』というコーナーがある。1か月に渡る連載で、政治家や企業家、文化人など著名人の半生を描いた自叙伝だ。
企業経営者の場合、仕事の経緯を読めばその人となりが分かる。たとえ著名な経営者でなくても、多くのサラリーマンの自己アイデンティティは、仕事と不可分の関係にあるのではないだろうか。
さらに仕事は収入を得る手段に留まらず、個人の自己実現と密接に関わっている。かつて、労働は苦役だったが、義務としてではなく自発的に行う仕事は、それが自己目的であり手段ではなくなる。
仕事を通じて自らの人生観や価値観を体現するライフスタイルは、収入を得るという価値を超えて、自己アイデンティティの源泉になるものだ。
一方、今日では仕事は単に「食べる手段」と割り切り、余暇時間を個性的に楽しむ人も増えている。その人にとっては、仕事以上に余暇の過ごし方が自らのアイデンティティになっているのだ。
映画の『釣りバカ日誌』に登場する主人公「ハマちゃん」のアイデンティティは趣味の釣りに他ならず、趣味も重要な自己アイデンティティの一部だ。
但し、近年では働き方が多様化し、仕事と趣味の境界線は曖昧になり、時間的にも空間的にも区別が難しくなっていることも確かだろう。
サラリーマンは、いつか定年退職の日を迎える。仕事から解放された時、自己アイデンティティをどこに求めたらよいのか。
ひとつは退職後のボランティア活動や地域、趣味まで含めた幅広い活動にアイデンティティの基盤を置くことが必要だ。
もうひとつは環境や健康、食生活や住まい方へのこだわりなど自らの価値観を反映した日常生活に自己アイデンティティを見出すことができるだろう。
AI(人工知能)の発達により多くの仕事がコンピュータやロボットに代替され、「働かない時代」が到来するかもしれない。しかし、自律的な労働は退屈を癒し、心身の健康を維持する上でも有効だ。
人間は労働に内在する実存的価値を求め続けると同時に、われわれは定年退職後の仕事に替わる新たな自己アイデンティティの求め方が問われているのではないだろうか。
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(2016年6月28日「研究員の眼」より転載)
株式会社ニッセイ基礎研究所
社会研究部 主任研究員