これまで、完全自動運転が普及した社会をまちづくりの視点から想像し描いてきた。
現在と決定的に異なるのは、クルマを自己所有しなくても、自宅のドアを出たところから、日常の足としていつでも、どこでも自動運転を利用できるようになることだ。
ところで、このような自動運転のコストは、誰が支払うのだろうか?自動運転はクルマというモノではなく、移送サービスとして人々に提供される。
では、移送サービスを利用する人々は、利用料金を支払うのだろうか。
現在のタクシーのように、走行距離に応じて加算される料金を利用者が支払うとしたら、タクシー以上に普及はしないだろう。
カーシェアリングの方法はどうだろう。現状のカーシェアリングでは毎月基本料金を支払い、利用するときは利用時間に応じて数千円の料金を支払う。
しかし、人々が頻繁に利用する移送サービスでは、その方法は現実的ではないと思う。
筆者は、人々が日常の足として、いつでもどこでも利用できることを前提とすると、そのコストを支払うのは、人々に来てほしいと望む側ではないかと想像する。
人々に来てほしいと望む立場には、例えば、店舗、レジャー施設、宿泊施設、それらの集積である商店街や観光地などが挙げられる。
これらは、これまで駐車場や送迎車に充てていたコストを、移送サービスの購入に回すだろう。そればかりか、利用者に来てもらえるよう、さらにコストをかけてでも、クルマ内で様々なコンテンツの提供を図るようになるはずだ。
人々に来てほしいと望む側が、移送サービスを提供する企業に対し、そのコストを支払うことで、利用者は利用料金を支払うことなく移送サービスを利用できる。そうなれば、完全自動運転は本当に社会に広く普及するだろう。その結果、行政負担で公共交通を走らせる必要もなくなる。
ただし、民間企業である人々に来てほしいと望む側は、最も効率的、効果的なコスト負担を考えるはずだ。そのため投資するエリアを絞ると思われる。
その結果、例えば中山間地域などの離れた場所に暮らす人々が除外される可能性もある。その場合は、やはり行政サービスとして提供することになろう。
人々の税金を移送サービスの購入に充てるのだ。つまり、引き続きそこに暮らして中山間地域の環境が有する多面的な機能を守っていってほしいと願う皆で、コストを負担するのである。
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(2017年1月16日「研究員の眼」より転載)
株式会社ニッセイ基礎研究所
社会研究部 准主任研究員