2016年7月、カンボジアで世界食糧計画(WFP)と連携した、小学校における給食支援プロジェクトの進捗調査に行ってきました。
授業前に学校で朝食を提供することで、ひとりでも多くの子どもたちが元気に学び、卒業できるようにするのが目的です。
プロジェクト開始から3年、当初は配膳に時間がかかり授業の開始が遅れる、給食は美味しくない、などの課題がありました。少しずつ問題に取り組み、今では手際も味も改善され、児童たちは毎朝、お腹いっぱいごはんを食べて授業に臨んでいます。
児童たちが卒業まで学校に通い続けられるように、給食と並行して実施している活動があります。給食の食材を栽培する学校菜園や安全な水を供給する井戸の維持管理、衛生教育です。活動では児童たちが活躍しています。また、先生たちには児童中心の教授法やPTA組織運営の研修を行っています。このような総合的な取り組みも成果を見せ始めています。
改善が進む給食の提供
今回訪問したのは、カンポントム州プラサットサンボ郡にあるアトゥ小学校。
予定より少し遅れ午前6時に到着すると、調理はすでに完了し、高学年の児童が大きな鍋に移された給食を教室に運んでいるところでした。まもなく鐘が鳴らされ、皿とスプーンを手に児童たちが続々と集まってきます。配膳係によそってもらった児童から教室の中や外、思い思いのところで児童同士、話をしながら朝食を食べ始めます。
調理係は朝5時から支度を始めます
配膳準備もてきぱき
食欲旺盛な子どもたち
食事が終わると食器を洗いに井戸へ直行
この時点でまだ7時15分。見事なスピードです。さらに私を驚かせたのは、食後校庭に全児童が集合して整列、行進して国旗を掲揚したことです。先生の引率もない中、集会の後には校庭のゴミ拾いを始めました。
授業前にみんなでゴミ拾い。男子は調理場で使う薪を集めます
思いがけない日本とのつながり
これまで活動地域の小学校を私は数えきれないほど見てきましたが、ここほど規律正しい学校はめったに見られません。その感想を伝えると、校長先生は「それはうれしいお言葉です。この学校は日本の方が建ててくれたんですよ。だから児童たちも日本の精神を受け継いで学んでいるのです」。プランのカンボジアの同僚も私も初めて聞くことです。
校長先生が、校長室に飾られていた額縁入りの写真を持ってきて、創設者だと言って見せてくれました。私の想像に反して写っていたのは青年。アツヒト・ナカタ? 瞬間、20年以上前の記憶が押し寄せ、気温35度の中で全身鳥肌が立つのを感じました。あのナカタさん・・・?
脱いだ履物が整然と揃っています
中田さん親子の写真は国王の写真とともに教室にも飾られていました
1990年代、ボランティアの選挙監視員として国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)からカンボジアに派遣され、任務中にクメールルージュに殺害された中田厚仁さん。そして、その遺志を継いでお父上がカンボジアに学校を建てられたことも思い出しました。その学校がここだったのです。
校長先生が続けて「彼のお父さんである武仁さんも素晴らしい方で、開校後も何度か来てくれましたよ。最近はいらしていないけれど・・・・・・」。ここへ来る数週間前に、武仁氏の訃報を新聞で読んだことを思い出しそれを告げると、校長先生はがっくりとうなだれて言いました。「ここはアツ村と呼ばれ、彼が残してくれたものを語り継いでいます。中田さん安らかに・・・・・・」。
アツ小・中学校とクメール語と日本語で書かれていました
村の代表が来て、中田さんが在職中に子どもたちの安全のために作ったという小道や交通標識を見せてくれました。村のために精一杯尽くしている姿が目に浮かぶようでした。中田さんが命を懸けて再建を支援した村の、その遺志を継いでお父上が設立した学校で活動していることに不思議な縁を感じました。
プランはこれからも、中田さん親子の思いとひとつに、内戦で深く傷ついたカンボジアの地域開発を支援していきます。