間もなく開催されるサミットを前に、世界中から注目が集まる三重県。
日本を素材に新たな価値を作り出しているふたりが、21世紀における日本の可能性について話し合いました。
対談の前に、知事室の一角を借りて日本茶を淹れ始めた丸若さん。
従来の伝統的な日本茶の概念を変えようとイメージの刷新に取り組んでいる最中とのこと。
茶葉を煎り、湯を沸かし、部屋中にお茶の優しい香りが漂い始めたころ、知事が到着しました。
東京に飽きてしまった若者たち
鈴木 対談相手にお茶を淹れていただくのは初めてです。美味しいお茶ですがこれは...
丸若 実は三重ではなく、あえて静岡のお茶をお持ちしました。
お時間を取らせず気軽に飲んでいただくにはほうじ茶がよい、と思い、いま美味しいと思うほうじ茶が静岡のものでしたので。
鈴木 なるほど。心がホッとする大変いいお味でした。
静岡はお茶の生産量が全国1位ですが、三重も静岡、鹿児島に続いて全国3位の生産量を誇ります。
旨み成分のテアニンが豊富な『かぶせ茶』というのが有名で、よく飲んでいますから、静岡のほうじ茶のキリッとした味わいもまた新鮮に感じますね。
丸若 今日は知事と、日本や地方が持つ可能性についてお話できたらと思います。
僕は伝統産業を扱う仕事柄、産地や職人を訪ねて地方にもよく行く機会がありますが、最近は身のまわりの知人や友人の中でも地方に興味を持つ人が増えています。
というのも、東京にはあらゆるサービスや情報が溢れていますが、東京の人間たちはそれにはもう飽きてしまっている。
仕事や子育ても含め、まだしたことのない経験ができるのは地方かもしれない、と若い世代が昔よりもはるかによいイメージを持って地方を見つめている側面があると思います。
丸若裕俊(まるわか・ひろとし)/日本文化の再生屋、丸若屋代表。伝統工芸から最先端の技術まで今ある姿に時代の空気を取り入れて再構築、視点を変えた新たな提案を得意とする。2店舗あるパリのギャラリーショップにて、日本の手仕事の魅力を発信している。
鈴木 たしかに移住希望者は年々増えており、三重県の移住相談センターには700件ほどの相談が寄せられていますが、その7割が20~30代。
大杉谷という山奥の廃校を利用して自然学校を運営しているNPOのもとには、都会の若者がたくさんやってきます。
米作りなど都会ではできない経験ができる、という楽しさもあるのでしょうが、聞いているとそれよりも『土鍋を使って、仲間と炊いた米は本当に美味しかった』とか、根本には自分で何かを成し遂げたという自己肯定感や達成感を得られた喜びのようなものがある。
丸若 人も情報も多い都会では、一人ひとりが達成感や肯定感を感じるのは、難しい現状がありますよね。
鈴木 過去に経済的にどんな実績をあげたとか、8カ国語しゃべれますとか、20代でベンチャー企業を立ち上げていますとか、そういう人たちがゴロゴロいる都会では承認欲求が叶いづらい。
そういう物質主義、実証主義というのでしょうか。目に見える数字や成果で評価を出さないと生き残れない、という流れのひずみみたいなものも地方にいると見えてきます。
丸若 僕はパリにお店を構え、フランスの人たちと交流するなかで実感していることなのですが、20世紀まで日本は海外の物質主義を真似て、追いつけ追い越せと経済的に豊かになろうと努力してきた。
しかし21世紀になって今度は欧米が『精神的なことを大事に』と、かつて日本が大事にしており、いま忘れかけている部分に目を向け始めている。
東京の人間が都会に飽きているのと同じで、物質主義的な価値観に世界全体が飽き始めている感覚はたしかにあります。
------地方にいても、海外と行き来をしていても、物質主義からの脱却のような動きは感じられる、ということでしょうか。
丸若 僕、日本人ってM体質だと思うんですよ(笑)。受け入れることに快感を感じるところがある、という意味ですけどね。だから欧米の新しい文化が入ってきたときに、これまでの自分たちを変えるのがきっと楽しかったんじゃないか、と。
鈴木 サミットをきっかけに海外31カ国のメディアが三重にやってきました。
最初は僕たちも『三重のこんないいところを伝えたい!』と、伊勢、伊賀、熊野とすべてを網羅したスケジュールを組んだらものすごく不評で(笑)。
むしろ自由時間をたっぷりとって、各々の関心に沿ったアレンジができるようインフォメーション機能を充実させるようにしたら、記事化されることが増えてきました。
たとえば、あるフランス人のシェフはとにかくコシヒカリのことが知りたい、と。三重は西日本一の生産量を誇りますし、なかでも伊賀のコシヒカリは5年連続で特Aの評価をもらっている。
生産の様子や、おにぎり、和菓子などをゆっくり体験してもらったら非常にいい記事にしてもらいました。
どれだけたくさん紹介するかという物質的な発想ではなく、そこでできる体験や物語性が求められているんですよね。
丸若 本来、そういう目に見えないものを重んじていた日本人が、いまそれを忘れかけているんですよね。
パリは長らく日本ブームですから、私たちの扱う焼き物などに興味を持つ方はたくさんいる。
なのに背景にある物語を忘れて、とにかく日本のものを何でも紹介すればいい、というごり押しを日本人のほうがしがちな面が出てきてしまっているんです。
次世代リーダーの鍵は、「面倒」という価値を理解し選択できるかどうか
------これからますますグローバル社会の波がおしよせます。日本がこれから国際社会で生き残るために、何が求められるとお考えですか。
鈴木 日本の未来像、というところで考えると、三重県から日本や世界に提供できるヒントがあると思っているんですよ。以前、視察でヨーロッパを訪れたときに、取材を受けて伊勢神宮の式年遷宮の説明をしたんです。
20年に一度、神殿を新造して神様にお遷りいただく、それを1300年続けているというと『じゃあ、1300年持つ石で作ればいいのでは?』と言われまして。
物質主義的な効率発想でいくとその通りですが、じゃあ同じく1300年の時を経たギリシャのパルテノン神殿はどうなっているか、というともはや遺跡になっているわけですね。でも、かたや伊勢神宮は今も美しい姿のまま残っている。
丸若 なるほど。面倒くさいことが実は本質的な近道である、ということは往々にしてありますね。
鈴木 伊勢神宮を世界遺産に、という声もありますが、伊勢神宮側は『遺産ではないから』とお断わりをしているんですね。
この手間をかけながらも、美しい状態を保ち続ける背景には、変化し続けることで永続性を保つ、という神道の『常若(とこわか)』という思想があります。
常に若々しくいるためにも、変えるべきものは変え、変えてはいけないものは変えない。そしてそこには中間があって、変えてもいいもの、というのがある。
実は、ここをどうするかが難しい。
鈴木 これからの日本、そして日本を担っていくリーダーは、変化し続ける社会のなかで大事なものを守りつつ、変えるべきところは変える。そして変えてもいい部分については、人と理解を深めてコミュニケーションを取りながら結論をちゃんと導き出せる人でなくてはいけない。
どういう実績をあげたかよりも、なぜ変えてはいけないのか、という精神性や行動習慣にも目を向けられる人材が日本らしさを発揮できるリーダーと言えるように思いますね。
丸若 面倒なことを排除する、というのは効率を重んじる物質主義が最初に切り捨てたところです。
しかし実際は、かけた手間や人の思いなどの熱量のほうに人の意識は向いている。
伝統産業を扱うときも、同じ問題が起こりがちで、僕は「アップデート」という表現をしていますが、変化をしないと生き残れないのだけれども、残すべきものは残していかなければいけない。
その采配こそが、これから求められるリーダーシップ、という点は非常に共感します。
これからは、物質主義が浸透していない地方に勝機がある
------物質社会が切り捨ててきた「面倒」のなかに、実は衰えない価値を生み出すヒントがあり、そこを理解できるのもリーダーの資質ということなんですね。
丸若 効率や生産性を重んじる物質社会において、面倒は悪になりがちですが、こころの満足度が重んじられるようになった最近の流れを踏まえると、必ずしも面倒が悪いわけではありません。
それで言えば三重ってすごく面倒な場所じゃないですか。
鈴木 おっしゃるとおり(笑)。空港も新幹線の駅もありませんからね。
でも昨年6月にサミットが決まってから、7~12月半年間の外国人観光客の伸び率が前年比で全国1位、通年でも4位になりました。
三重以外の県は、LCCの就航によるインバウンド需要や、近隣の大都市への移動拠点、という側面もあるようですが、三重はPRが成功した結果。これは嬉しいですよね。
丸若 東京から行くにもわざわざ名古屋で乗換えなければいけないですもんね。
なかでも伊勢神宮は面倒の粋を集めたような場所じゃないですか(笑)。実際に行っても内宮と外宮は離れているし、本殿までの距離も遠いので、参拝して戻るだけでもすごい時間です。
本当は日本各地の地方はほとんど面倒な場所なんだけれども、三重は特にそれが分かりやすい。
エンターテインメントと考えれば、面倒だとお客を取りこぼすかもしれないですが、実は魅力になっているのはその面倒さなんですよね。
というのも、訪れた人間の記憶には面倒なことほど残りやすい。わざわざ長い参道を歩いて最終的に辿り着くから感動も大きいんです。
それを単純に飛行機や新幹線を通して便利にすればいい、と発想してしまうとおかしくなる。
鈴木 時代は確実に変化しているので、過去の成功体験に引きずられないことは大切かもしれませんね。
かつて日本は高度経済成長期を経験しましたから、その再来を...と発想すると面倒を切り捨てて便利に走ることになる。当然、そこに注目すればするほど、経済的な閉塞感にも囚われます。
そうではなく、面倒なこともふくめ、そこにある価値はなんなのか、自分はどう感じるのかを一人ひとりが再確認していくことで、もっと魅力が見いだせると思いますし、意外と自分の環境が悪くない、という肯定感も出てくるのではないでしょうか。
丸若 今日お茶を飲んでいただいたとき、知事は『ホッとする』とおっしゃいましたよね。
脳の研究をしている知人によると、人の記憶には『中長期記憶』というものがあり、DNAレベルでの古い記憶が残されている可能性があるらしい、という研究があるそうなんです。
つまり日本人が昔から、ひと息つく時間にお茶を飲んでいた記憶があるから、お茶を飲むとなんとなくホッとする可能性がある、と。
それでいうと本来、日本人は相手の気持ちとか、自然への畏怖とか、目に見えない価値に気づくのに長けたDNAを持っているはずなんですよ。
それがいつのまにか、相手のことを考えるなんてバカらしい、どれだけ自分の意見を伝えるかが大切、ということになってしまった。
鈴木 面白いですね。三重県人の気質は他者に寛容、大らかで差別をしない、と言われているんですね。
もしその中長期記憶というのが実在するとすれば、それは江戸時代にお伊勢参りがブームになったのが原因かもしれません。
日本の人口が3000万人だった時代に、500万人の人が押し寄せ、なかには無一文で来た人もいたようです。
そこに伊勢街道の人たちが無償で食事を出し、お風呂や宿を提供した。そんな記憶が細胞に残っているのかもしれません。
丸若 都市の物質主義的な価値観に染まっていないところが地方の強みになるでしょうし、これからの時代が求めるニーズに合うというのは確実でしょうね。
鈴木 いま産業の面ではサステナビリティも注目されていますけれど、古くからの文化にはそういう面がちゃんと織りこまれているんです。
たとえば海産物を採る海女という仕事は日本書紀にも書かれるほど古い伝統漁法ですが、考え方のなかに徹底した資源管理が根づいているんです。
小さな漁村でも漁場を複数に分けて一カ所だけから採りすぎないようにしたり、一家に3人海女がいても、ウエットスーツは一着だけにして、みんなでもぐらないようにしたり。
三重の名物である伊勢エビ漁でも、和具という地域では国の定める7cm角の網よりもあえて大きい網を使用して、小さいエビは揚げないようにしている。
結果、三重で一番大きいエビが採れる地域として有名になりました。
三重のPRはもちろん大切なのですが、その背景にある日本古来の価値観というのも知ってもらえるような努力は続けています。
今まさに時代が変わるとき。その瞬間に立っている
丸若 知事は都市からの視点と地方からの視点、両方を持っている、というのも強みですよね。
僕がパリにお店を作った理由のひとつが、日本の伝統文化を海外に紹介したい人はたくさんいますが、実際に腰据えてやっている人はそう多くない。現地の目線を持つことで、得られる知識の深さとその質が変わってくるはず、と思ったからなんです。
住んでみて初めて、日本とかフランスとか『国』という存在を意識しましたし、その間をつなぐ中間となるのはなにか、考えるようになりました。
だからお店の名前も、外と内とをつなぐ『NAKANIWA(中庭)』とつけたんです。
鈴木 僕は知事に出馬する前は東京と兵庫に長らくおりまして。
三重に何度か来るたびに、失礼ながら『もったいない県だな』と思っていたんです。
食も住環境も文化も圧倒的に豊かなのに、住んでいる人たちが『三重に住めてすごく嬉しい!』という雰囲気でもない。
いろいろな職業があるなかで、僕は自分らしい人生を実現する選択のひとつとして政治家という表現方法を選んだわけですが、正直なところ、いきなり国会議員になるよりも知事になった今のほうが、住民のみなさんの切実な声を聞く機会も得ましたし、多くのことを動かして失敗も成功もさせていただいている。
地方にいる現在のほうが、全国に声が届きやすい部分もありますからね。
丸若 明治維新もそうですが、時代が変わるときは新しい価値観の人と古い価値観の人が混在するんですよね。国と国でも、都会と地方でも。
歴史が変わった後に振り返ると、変化は必然だったと思えますが、当時は古い歴史を必死で守ろうとしていた人たちもいた。
僕たちが気づいていないだけで、そういう変化のなかにあるのが今の時代である気がします。
不況だとか時代の閉塞感だとかメディアは書いていますが、実は閉塞感なんてないんじゃないか、一部の閉塞感を持ってほしい人たちがそう思わせようとしているのではないか、とすら思います。
鈴木 ノーベル賞を受賞した大村智さんも言っておられましたが、昔は地方からたくさんの優秀なリーダーが輩出されていたんですよね。
でもそういう土壌も廃れてきて、地方ではダメで東京に行かないと、という雰囲気になってしまった。
でも今日お話をしていくなかで、無条件に『東京!』という時代が終わってきているのをあらためて感じました。
丸若 これまで地方から都市、という一方通行だった流れが、地方から都市に戻っていくことで、外でも内でもない『中庭』のような中立的な視点がもっと生まれて、これまでの物質主義に偏った形ではない新しい政治や経済の姿が生まれていくのかもしれないですね。
(2016年5月23日 「QREATORS 」 より転載)