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赤ちゃんのいるママが言われたくない言葉

「レントのため、私は睡眠を断念します。#新米ママ」に投稿したら……
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Baby girl on mother's lap
Baby girl on mother's lap

2015年のレント(カトリックの四旬節、40日間断食とざんげを行う、最近は断食の代わりに40日間、何かを我慢する傾向がある)が始まったとき、私は、3カ月の赤ちゃんを抱えて睡眠に恵まれないママでした。私はFacebookで、次のように近況を投稿しました。「レントのため、私は睡眠を断念します。#新米ママ」

面白い、でしょ?

45の「いいね!」がついて、同情や共感の声をもらって、パパたちからは、「アーメン!」とか「そんなの簡単!」とか、コメントしてくれた。彼らは私の冗談をわかってくれたのです。子育て中の親として、何にでもユーモアを見出していかないとやっていけないことを、理解してくれていました。

でも、この後、こんなコメントが......

「くだらないことに聞こえるかもしれないけど、赤ちゃんが大きくなってしまったら、絶対、夜中の抱っこが懐かしくなるよ。今は大変だろうけど、今はその瞬間を受け入れて、赤ちゃんに(時間を)捧げるべきよ」

私は、このコメントに「いいね!」をしました。でも実際は、このコメントがすごく嫌でした。もっというなら、私をすごく怒らせるものでした。

「今の時間を楽しんで」「この瞬間を受け入れて」......。これらの言葉は、子育てのアドバイスのなかで、私が一番嫌いなものになりました(もっと嫌なのは、この決まり文句を、私が他の妊婦さんにいったことがあるということ。もちろん、私がママになる前のことですが)

たいてい、こういうケースは、幼い子の母でいることで――どちらかというと望まないことについて、人はこういうアドバイスするんですね。この話もそう、睡眠不足の話題でした。あのコメントに、悪気はなかったと思います。ほとんどの場合、愚かなコメントであっても悪気はないでしょう。でも今回は、私は怒ったのです。

ひとつに、私が"赤ちゃんと向きあっていない"とはいっていません。睡眠不足についても不満をいっていません。「寝れなくて最悪」といっていないし、夜中の抱っこについても、触れてもいないのでです。

※ちなみに「ママが寝れない」イコール「夜中の抱っこ」とはなりません。ときには「ママが寝れない」イコール「激しい夜泣き」だったり「抱っこされるのが嫌で、大暴れする赤ちゃん」だったりします。いろいろあって、ただ泣きたかったり、お腹が空いていたり、おっぱいをおしゃぶりしたかったり......。叫びたい、遊びたい、おしゃべりしたいだけ、のときもあります。

すべてのときを楽しみましょう

あなたは、私に赤ちゃんと向き合うべき、というのでしょうか? 深夜、できれば眠りたいときであっても? いいえ、それは結構です。

母であることが楽しくて、すべてがかけがえのない時間かというと、そうではありません。実際に、あるときは文字通り、「クソ」といいたくなるときもあります。乳首から血が出ているのを、楽しんではないし、取り替えた汚れたおむつを愛おしく大切にしてはいないし、おしゃぶりを45分おきに起きて拾うのが嫌だからといって、ママであることを楽しんでいないわけではないですよ。この瞬間を、赤ちゃんにとっぷり浸っていないわけではないのです(実際、かなり、浸ってます。ほとんどの場合、赤ちゃんのヨダレだったり......ですが)

それだけではありません。親になることは、十分にいろいろ大変なんです。だから、子育てのすべての瞬間を楽しまなければいけない、という余計プレッシャーは、私にはいらない。誰にもいらない。

今まで、何日も何夜も、母になることの大変さ、その大きなプレッシャーに打ち砕かれて、泣いたことがあります。自分勝手なことも考えます。「寝たい」とか「これができない」とか「ただ一人になりたい」とか......。でも、その次に頭に浮かんでくるのは、いつも「でも、この瞬間を楽しむべきよ――みんなが"今を楽しむべき"って言っているし!」。すると罪悪感が、まるでドラッグのように血管をめぐるのです。ああ、罪悪感。うちのめされてしまいます。

ええ、わかっています。私もそう思います。「母でいることはかけがえのないことである。赤ちゃんは奇跡である。時間が経つのは早すぎる。1日は長い、でも1年は短い。夜中ずっと寝させてくれない赤ちゃんを、心から願う女性が数えきれないほどいることも分かっている」

そういうことは、全部わかっています。さっき書いた、罪悪感のところを見てください。

しかし、分かってくれない人もいます。「赤ちゃんとの時間を楽しんでいながら、赤ちゃんが寝てくれたらいいのに、と願うこと。母でいられることに感謝をしながらも、人間らしくいたいということ。赤ちゃんを愛しながらも、ロッキングチェアではなくて、自分のベッドで寝たいと思うこと。疲れて、寝たいと思うのと同時に、私のすべての細胞で赤ちゃんを愛せる」ということを。

母というものを、はっきり白か黒かで分けなくてもいい。

私たちは、その瞬間を「大事にする」「楽しむ」「気分に浸る」ことを選べるのです。たとえば、1〜2時間しか寝られなかった夜は、この瞬間に含めなくても大丈夫。赤ちゃんが、私のおっぱいを口に入れるか、口の近くに置かない限り、機嫌が悪くて、トップレスで過ごす日も大丈夫。赤ちゃんが、私の服に吐いてしまって仕事に遅れるときも、子供がヒステリーを起こしているのに、何が原因なのか、どうすればおさまるのか、全然わからないときも、この瞬間に含めなくていいのです。

このような大変なときは、必ずしもすごく楽しいとはいえないけれど、子育ての一部。そして、そのひとつひとつのエピソードから学べることがあります。

母となって過ぎていく日々のなかで、私は学び、成長します。だんだん楽になってきていています。みんなが「いつかそうなるよ」といってくれたように。最近は、以前よりも、もっと「楽しんで」います。実際に、私の8カ月になる赤ちゃんがいてくれて、とっても楽しい。それでも、最初の数週間がどれだけ大変だったか、深く掘り下げて思い出すのはつらいものです。

赤ちゃんが、いつも私を必要としないときが来るのはわかっています。ずっと小さいままではない、子育ての一番辛い時期が永遠に続くものではない。息子を永遠に抱っこできるわけでない。よーく分かっています。

私は、できる限り、赤ちゃんに寄りそい子育てを楽しみたい。生後8カ月の彼は、新しい世界を知ることに忙しくて、なかなか私の膝の上でじっと座ってはいられないから。

赤ちゃんの匂いを思いきり吸い込み、まるまるしたほっぺや太ももやお腹に1日に何百回もキスをする。

身をこがすほどの愛に圧倒されながら、彼を揺らすとき、私は涙が出そうになる。

息子の服が小さくなったときや、おむつがワンサイズ大きくなるとき、私はちょっぴり悲しくなる。

パパが部屋に入ってきたら明るくなる彼の顔を見て、私はとろけてしまう。

赤ちゃんが私に笑いかけると、「これ以上、私の心が満たされることはない」と思う。

いろんな表情をしながら大げさな間を入れて、話しかけてくれるとき、私はほっぺが痛くなるほど笑顔になる。

私の腕で落ち着いてくれるとき、私は安心のため息をもらす。私を必要とし、私がそれに応えてあげられる。たとえそれが、一時的な瞬間だったとしても。

これを書きながら、私は泣いています。これまで、そしてこれから経験するすべての楽しいことが、私の心をいっぱいにしてくれるから。

そう、ほとんどのときを私は楽しんでます。

ある夜、赤ちゃんを腕に抱く代わりに、寝かせたいと思ったからといって、私が子育てを楽しんでいないという意味ではなくて、ただ、疲れているということなんです。

このブログはハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。

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