日本の子供は賢いがコンピューターが使えない

OECDによる「生徒の学習到達度調査」で、「今回からコンピューター使用型調査となったために、日本の生徒が不慣れだった」という指摘がされている。

54万人のアンケート結果をPythonでながめてみる

OECDによる「生徒の学習到達度調査」(PISA=Programme for International Student Assessment)の調査結果が、12月はじめに発表された(PISA 2015)。

世界の72カ国(および地域)約54万人の15歳を対象とした調査で、日本は、数学が5位、読解力が8位、科学が2位とよい成績だった。これは、素晴らしいニュースである。

ところが、読解力に関しては順位・平均得点ともに前回(2012)より下がっていて、その理由として、:「今回からコンピューター使用型調査となったために、日本の生徒が不慣れだった」という指摘がされている。

国立教育政策研究所が、「読解力の向上に向けた対応策について」というドキュメントを公開していて「紙ではないコンピューター上の複数の画面から情報を取り出し、考察しながら回答する問題などで戸惑いがあったと考えられる」などと書かれている。一部のニュースに「文字が小さく読みづらくなっていた。台湾も急落した」などとも書かれていたが、そればかりではないようだ。

PISA 2015の調査結果は、約54万人の生徒の回答が1件ずつのデータベースとして公開されている。これには学習環境に関するアンケート結果も含まれていて、私も、いままで資料等で引用させてもらったりしてきたものだ。

ところが、これが600以上の設問からなりコンピューターやネットに関しても詳しく聞いていると知って、今回、はじめて自分でデータに触ってみたいと思った。単純に設問項目から"コンピューター"、"インターネット"、"デジタル"で拾ってみただけでも60以上の設問があるようだ。ということで、まずは以下の非常に基本的なデータを眺めてみた。

これらに加えて利用時間などより踏み込んだデータもあるわけなので、メディア機器の使われ方という側面だけでも興味深いデータといえる。

ただし、このデータは読み方がむずかしいというのも事実だろう。各国の経済や教育の環境についての基本的な理解がないと読み違えも起こりそうである。逆に、コンピューターの側の人間からすると「なぜこういう設問になっているのだ?」と疑問を感じる部分もあった。

パネル(回答集団)のバラつきも気になる。「中国」としているのは、正確には「B-S-J-G (China)」であり、北京・上海・江蘇省・広東の意味である。15歳という対象年齢も、むずかしい設定といえる。

角川アスキー総合研究所で、1年ほど前に、中学生、高校生のメディア接触とコンテンツ消費についての調査を実施したが、15歳というのは価値観やコミュニケーションスタイルが大きく変わる年齢だからだ。

たとえば、中高生男女の6人ずつ4組のフォーカスグループ(ヒヤリング)を行ったが、中学3年生女子は全員がスマートフォンを所有していてLINEユーザーだった(一部がタブレットも所有・Twitterユーザーだが高校生は全員がTwitterユーザーである)。対して男子中学生は、LINEの利用がごく一部と女子にくらべて少し遅れてコミュニケーションスタイルが切り替わる。

PISA2015のコンピューターやインターネット、デジタル機器の利用に関しては、国際大学GLOCOMの豊福晋平准教授・主幹研究員が運営するi-Learn.jpで詳しく触れられているので、興味のある方はご覧になることをお勧めする。

一般の新聞・テレビのニュースは、今回の「パソコン不慣れ事件」に触れているものはあっても、その原因といえるデジタル機器の利用状況についてはほとんど言及していない。

自身でデータをこまかく触りたい方は、PISAがデータベースを提供しているSASやSPSSなどの統計分析ソフトウェアを使うか、三重大学の奥村晴彦研究室がCSV形式に変換したものを公開しているので、それを使わせてもらうこともできる。

私も、後者をダウンロードしてPythonであれこれ集計しはじめたところだ。Pythonには、「pandas」や「numpy」といったデータ集計・加工に便利なライブラリがあるのだが、今回は、単純集計しかやっていないのでCSV機能で読み込んで足し込んだものをエクセル用に書きだした。

日本の教育におけるデジタル機器利用は世界最低クラス……これを誰がどうするのか?

まずは国(および地域)ごとの15歳のコンピューターの利用環境・利用状況を見てみよう。「ST012Q06NA:家にコンピューターは何台ありますか?」(ST012Q06NAは上の表にあるように設問ID)の結果は、次のようになる。

自分専用のコンピューターがあるかの目安として「3台以上ある」の割合の高い順に並べてみた。その結果、日本は53位。ちなみに、家にコンピューターがない「無コンピューター家庭」の占める割合では、日本は、24位である(国だけでなく地域でも集計されているので必ずしも国の順位ではないのだが)。

日本よりも「無コンピューター家庭」の割合が多いのは、インドネシア、ベトナム、アルジェリア、ペルー、ドミニカ、メキシコ、ブラジル、チュニジア、トルコ、コロンビア、タイ、コスタリカ、プエルトリコ(米国)、ヨルダン、中国、ウルグアイ、モルドバ、レバノン、グルジア、ルーマニア、コソボ、チリ、トリニダードトバゴだ。所得等から考えると日本はかなり低いと言わざるをえないが、米国も26位につけている。

そこで、「ST012Q05NA:家に携帯電話(スマートフォン含む)は何台ありますか?」を集計してみると次のようになる。これも3台以上の割合の高い順で並べてみよう。すると、いきなり日本は9位に浮上してくる。日本の家庭は、モバイルは普及しているがコンピューターはあまり使われていないといえる。

「IC001Q01TA:家ではあなたはコンピューターが使える状態ですか?」という設問も用意されている。これについて、日本は、集計された47カ国中なんと46位という結果だった。これは、いささかショッキングな数値である。

「IC001Q03TA:家ではあなたはタブレットを使える状態ですか?」についても集計してみた。結果は、ご覧のとおり上位にくる国々がヨーロッパ各国へとガラリと変わってくる。

トップの英国など、タブッレトを使っているが75.22%と、コンピューターを使っているの61.91%を上回っている。日本は、いま教育関連へのタブレット活用が進みつつあるように見えるが、順位としては47カ国中41位だった。

それでは、「IC001Q04TA:家ではあなたはインターネットを使える状態ですか?」を見てみよう。結果は、47カ国中39位とこれも低めだが「使える状態で、なおかつ使っている」と答えた生徒は86.52%には達している。

家でインターネットが使えると答えた生徒のほうが、家でコンピューターが使えるよりも数字が大きいのは、スマートフォンやタブレットを利用できるからだろう。

しかし、このグラフはよく見ると無視できない状況をあらわしていると思う。ほとんどの国が90%以上の高い水準と“家で子供がネットを使うことが世界的な了解事項となっている”といえる数値であるのに対して、日本は一段低い水準となっているからだ。

日本以下は、ブラジル、コスタリカ、タイ、コロンビア、中国、ドミニカと続くが、これらも70%台の利用率ではある。日本は、ネットが来ている割合は90%を超えている(ITU の「ICT Statistics」によると、日本のネット普及率は93.33%という数字になっているからこのデータの93.18とも整合性はある)。ところが、生徒が使っているとなると80%台に落ちてしまう。

これには、学校でのデジタル機器の利用とも関係があるとも考えられる。そこで、「IC009Q01TA:学校ではあなたがコンピューターを使える状態ですか?」を見ると、以下のとおり47カ国中39位となった。

「IC009Q03TA 学校ではあなたはタブレットを使える状態ですか?」の結果は、次のとおりだ。47カ国中45位。コンピューター以上に厳しい数値だ。

そして、「IC009Q05NA 学校のコンピューターはネットに繋がっていますか?」だが、これは47カ国中39位という結果となった。

家でも、学校でもコンピューターやタブレットを使える環境に置かれているとはけして言えないのが、日本の子供たちというわけだ。それは、ネット利用の意味も変えてくる。

問題は、これでよいのかということだ。少なくとも、PISA 2015では、日本の15歳がコンピューターの画面に不慣れためにつまずいた。たぶん、これと同じようなことはPISAの試験を受けるときだけでなく、現実社会のさまざまな場面で起こるはずである。

それは、15歳以降でキャッチアップしていければいいという意見もあるかもしれない。なにしろ、スマードフォンやタブレットのほうが新しいデバイスだから、教育には、そちらのほうが合理的だという見方もあるだろう。

実際、ちいさな子供ほどモバイル機器やハンディゲーム機の中でも細かいことができる傾向はある。しかし、現実は、そうシンプルなものではない。たとえば、世界中が大きくそちらに動いているプログラミングに関しては、現状としてはまだタブレットよりもコンピューターの方が効率的なのは間違いない。

スマートフォンとタブレットとコンピューターは、それぞれソリューションが異なるのである。

スマートフォンは、SNSなどネット上の居場所などへの“アクセス”が中心であり、“フィルターバブル”という自分周辺の世界が中心になりがちだ。タブレットはウェブやコンテンツの“閲覧”や物事を俯瞰するのに向いている。それに対して、コンピューターは前提として面倒なことも少なくないが“使う人間との共同作業”を得意とする。

これらを、いま世界を動かしている企業がやっているように場面ごとに使いわけて活用しまくるという当たり前の話だ。

ある教育関係者に聞いたのだが、日本の大学生で卒業時に「プログラミングがきちんとできる」といえる学生は、全体のわずか数パーセントだそうだ。これによって、日本がやりたいことも大きく違ってくるはずなのにだ。問題は、成績が良かったというPISAの15歳よりも後の段階ではないのか?

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