■「ぜんぶ 雪のせい・・・」ですよね?
今年の初めでしょうか、普段あまりイケてない男子の様変わりしたスキーウェア姿を見て、キュン死して倒れる女性を描いたJRのコマーシャルが話題を呼んでいました。正直言って、タイプでも好みでもない男子が異性を虜にしたのは、和製英語だとゲレンデマジック、悪く言えば、見た目の騙し効果?(以下「the 見た目効果」)だったのでしょう。
新学期が始まると「学習しよう!」と一斉にメディアが色々な学習にスポットライトをあててきます。その中でもやはり英語学習(会話)は上位ランクで、今年は更に注目が集まったようです。昨年の東京オリンピック選考スピーチで、『これからは英語を話せないと!』という消費者意識を刺激したのでしょうか。
一方で、英語学習(会話)は資格学習と違いゴール(例えば合格)がないため、どうしてもモチベーションが続かず途中挫折するパターンが非常に多いそうです。リクルートMSが行った2012年の調査によると、英語学習を途中挫折した理由は「結局仕事で使わない」「他に興味が向いた」「参考書の読了・試験で目標点数を取得の達成感」の合計が70%以上と非常に高い数値を示していました。
特に最初の2つの理由は、広い意味で学習者が「the 見た目効果」にハマったことを示唆しています。英語コンプレックスに加えて外国語ができる人への憧れもあり、「何のための英語学習か」が抜け落ちたまま学習を開始してしまったせいかもしれません。
■「なんでも英会話学習"の呪縛から解放されるべき」ですよね?
英語を何のために学ぶのかは人それぞれですが、「なんとなくグローバル化が進んでいるから」とか、「周囲で英語学習を始めたから」という理由だと、最終的に挫折する確率が高いことは火を見るよりも明らかです。必要に迫られないとモチベーションが続かないのは人間行動の真理です。
特に英語を話すという「the 見た目効果」は、昨今英会話の学習の手軽さもあって、「必要な状況を想定した英語学習」思考を人の脳から完全排除してしまいます。さらに、芸能人を採用したグローバル化を連想させるCMを流せば、「グローバル化には会話である」が正しいと信じてしまっても仕方のないことでしょう。以前に投稿した"人の感覚を狂わす新しい経済学"で紹介したアンカーリング効果がまさにそれです。アンカーリング効果で、人は英会話を学習することに疑いを持たなくなってしまうのです。
英会話を学ぶことは決して悪いことではありません。ただ国際ビジネスをやってきた人間として、英会話に偏ることの危険性も指摘しておく必要があります。というのも、英会話はマルチに効果があるものではなく、時に自身の周囲(会社や学校内の)の信頼を失う羽目にもなりえるからです。私の経験談で、それをリアルに感じていただけると思います。
私は、以前俳優を(目指)していたおかげで、発音がネイティブに近かったせいか帰国子女?とまで言われていました。(今ではオワコンの)金融工学で修士も取っていたので、やたらと社内評価がバブっていました。株式部で最強の海外部隊の唯一の日本人に任命され、「オレこそグローバル人材だ!」と正直言って調子に乗っていたところがあったと思います。
しかし、その自信は一瞬で跡形もなくなります。私の発音がネイティブに近いため、顧客が「ネイティブなら安心」とかなり早口で話すようになったのです。そして、グローバルで顧客を担当していたので、英語圏でないアクセントや発音の人も話しかけてきます。結局、顧客からのメッセージをちゃんと理解できないヘマを何度も犯すようになりました。社内評価がバブル並に高かった分、信用失墜の度合もローラーコースター並の急降下でした。
メインからサブに回された屈辱的な瞬間。
自分の英語能力がビジネスで有利に立たせてくれる一方で、英語が話せるからビジネスがうまくいくとは限らないと痛感したのもこの時でした。英会話呪縛からの開放です。この経験は、グローバル人材としての意識を変えてくれた本当に貴重な経験ですが、同時に思い返すたびに吐き気がするくらいのイヤな気持になる経験でもあります。
■「アウトプットのトレーニングをするべき」ですよね?
英語の会話トレーニングとは、言いたいことを全て話せというトレーニングです。そして会話スクールにとってあなたは顧客にあたるので、プレッシャーなど与えることはありません。一方で仕事は、プレッシャーだらけです。情報をできるだけ細かく分けて、自分が伝えるべき内容を取捨選択する能力が必要になってきます。海外相手であれば尚更だということは、容易に想像できるでしょう。では、以下のような状況に直面したとき、皆さんはどちらを選ぶでしょうか?
状況:緊急で海外顧客に重要な情報を伝えなくてはならない状況になった。周囲にはあなた一人しかいない。あなたは社会人として「英語ができない」と伝えることや「見てみぬふり」という選択はできない場合、どうしますか?
選択肢1: 受話器を取ってとりあえず話してみる
選択肢2: とりあえず伝えたい情報を書き出してから、話してみる
帰国子女も含めてですが、ほとんどの人が選択肢2を選びます。なぜでしょうか?
その理由は、仕事相手や顧客に邪魔だと思われたくないので、無駄なことは話してはいけないという気持ちが働くからだそうです。もし選択肢1を選ぶと、自分の伝えたいことがまとめられないまま、相手に間違った情報を伝えてしまう可能性もあるでしょう。そんなリスクは取りたくないのです。
先ほどの話に戻りますが、私は"話す"という"the 見た目効果"では、仕事評価や信頼を得ることはできないと思い、自分の社内信用立て直しのため、代替案を考えました。カッコつけ屋の私も、このときばかりは"the見た目効果"なんて気にしていられないくらい必死でした。そこで、話すという"the 見た目効果"を一旦は捨てて、会社の業務遂行に必要とされる英語を意識したのでした。
それが"書く"ことだったのです。
話を整理せずに沈黙を嫌ってベラベラ話していた自分とは、この瞬間お別れしたのでした。
■「書くことってかなりアリ」ですよね?
"書く→話す"という一連の行動は、人間が瞬時に考える脳の動きに似ています。だから、ネイティブではない我々は会話というコミュニケーションをとる前に書く練習をすることが重要なんだと思います。ITの発達で、メールやSNSでのコミュニケーションが頻繁になっている現代ならば尚更ではないでしょうか。
書く力がどれだけグローバルな環境でパワフルなツールなのか、知らない人が多すぎるように思います。グローバル化が謳われはじめて30年近く経ったいまでも、「会話」「発音」「試験」関連の学習本がショップの本棚を埋めてしまうは、購入者である読者が違和感を持たなかったからかもしれません。もしくは、こうした学習本の著者がリアルに英語で仕事をしていなかったからかもしれませんね。一部の学習本では、英語のライティングはなるべく避けろというアドバイスをされていてひっくり返りそうになりました。
英語を書けるということは、本当に使える能力で、会話で発言できないときの逃げ技となったり、転職でもかなり有利になります。一方で話せる能力とは個人の主観になるため、会話力がFluentだと履歴書に書いていてもレベルのばらつきがかなりあり、真の実力を測ることは難しいのです。当時私を採用した人も騙されたと思ったことでしょう。
書くこととは自身の英語レベルを社内社外で可視化できる唯一の方法です。つまり書く能力があるということは上司や周囲から評価されやすいのです。
話す能力は大事です。ただ、話すという「the 見た目効果」だけにハマらず、自分の価値を上げる英語学習を意識すると、グローバル時代に必要とされる英語の使い手になると思うわけです。
その前に英語のビジネス文書を添削できる日本人を育てることが必要なのですが。。。
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JB SAITO 経済&英語ライティング-プレゼン講師