陛下ご譲位についてなど

自分なりの解が見いだせないままに呻吟の日々が続いています。

石破茂です。

天皇陛下のご譲位の件について、時間のある時に懸命に考えてはみるのですが、当然のことながらなかなか自分なりの解が見いだせないままに呻吟の日々が続いています。有識者会議の意見も一通り目を通していますが、本当にこの問題は難しいですね。

この件で、ある方と議論をしていて、憲法学の泰斗・宮沢俊義東大教授の「天皇ロボット論」なるものが存在したことを初めて知りました。

私たちが学生であった頃(1975年~)、スタンダードな憲法の教科書は「憲法Ⅱ新版」(法律学全集4巻 有斐閣 1971年)でしたが、そこにそのような記述はありませんでした。

同教授がこの説を唱えたのは逝去する年、1976年の「全訂日本国憲法」(日本評論社)においてなので、知らなかったのも無理はないのですが、「(天皇は)なんらの実質的な権力を持たず、ただ内閣の指示に従って機械的に『めくら判』を押すだけのロボット的存在」(同書74頁)との指摘は「ロボット的」というどぎつい表現が不敬かつ刺激的ではあるものの、立法者(形式的には日本国民であるが、実際はGHQ)の意図は実際そこにあったと思われます。

「象徴」の本質は、陛下に対する国民の心からの尊敬である、と私は思っています。一切の私心を持たれず、すべての国民にこの上ない慈愛のお心をもって接せられ、お祈り下さっている天皇陛下であられるからこそ、国民は心から尊敬しているのであって、憲法に定められた国事行為のみを機械的に行われる存在であったとしたら誰もこのような念を持たないに相違ありません。

誰が「ロボット」を尊敬するというのか。普通の人間には絶対に為し得ないことを陛下はなさっておられるのであり、そのことへの畏れの気持ち無くしてこの問題を語ってはならないのではないでしょうか。

宮沢教授は退位について「天皇はその志望により国会の承認を経て退位することを認める」とも述べていますが(「皇室典範に関して」1946年7月)、連綿と続いてきた日本国における天皇陛下のご存在を、無理に日本国憲法と整合させてしまったことの限界をつくづくと感じます。

冒頭申し述べましたように、結論めいたものは未だ見いだせておりませんが、週末何とか時間を作って「いまこそ考える 皇室と日本人の運命」(文芸春秋SPECIAL 2017冬)などを精読し、考えを少しでも整理したいと思っています。皆様のお考えをお聞かせいただければ幸いです。

6日火曜日は長野市において故・小坂憲次 元文部科学大臣の自民党・小坂憲次後援会・小坂家による合同葬が執り行われ、葬儀委員長を務めました。4千人に近い方々が参列され、小坂先生がいかに多くの方々に敬愛されていたかを改めて認識いたしました。

御霊の安らかならんことを希いますとともに、ご家族のご平安を心よりお祈り申し上げます。

週末は、10日土曜日が自民党稲城支部「稲城未来塾」冬季研修会で講演と懇親会(午後2時・東京南農協稲城支店・稲城市東長沼)、よみうりランドの最近の取り組みにつき現地見学(午後3時半・よみうりランド)、TBS「時事放談」収録(午後6時半・TBS)。

11日日曜日は「時事放談」出演(午前6時・TBS系列・収録)、鳥取市河原町公民館竣工祝賀会(正午・鳥取市河原町)、鳥取大学学長他との昼食会・「2016GGJエキスポ西日本第一ブロック共同シンポジウムで講演(午後1時・鳥取大学鳥取キャンパス)、JA鳥取中央役職員との懇談会・意見交換会(午後3時・倉吉市内)、自民党鳥取県連常任総務会・懇談会(午後6時半・ホテルモナーク鳥取)という日程です。

今年も余すところあと3週間となりました。今週後半から急に寒さが戻り、体調が今一つ思わしくありません。

皆様ご健勝にてご多忙な年の瀬をお過ごしくださいませ。

(2016年12月9日「石破茂オフィシャルブログ」より転載)

注目記事